飯田蛇笏[5]2016.8.25

 

 昭和二十二年、蛇笏のもとに長男鵬一郎の戦死報が届く。十九年、すでにレイテ島で戦死していたという。昭和二十一年には、三男の麗三が外蒙古で戦病死。翌年には戦死報が届く。つまり、終戦後の二十二年、二十三年に、相次いで息子たちの死の知らせを受けたことになる。句集『雪峡』には、彼らへの鎮魂の句が収められている。
 前回取り上げた「戦死報秋の日くれてきたりけり」は呆然の感が詠われていて、悲痛の情が前面に出ていないために、かえってその衝撃が深く読者の胸に食い入る句になっている。ただ、同時期の「盆の月子は戦場のつゆときゆ」「なまなまと白紙の遺髪秋の風」「遺児の手のかくもやはらか秋の風」「霊まつる燭にまちかくひとり寝る」といったあたりは、悲痛の表現として、類型的の誹りを免れないだろう。
 これまで蛇笏は、死というものを積極的に詠んできた。「なきがらや秋風かよふ鼻の穴」「なきがらのはしらをつかむ炬燵かな」「死火山の膚つめたくて草いちご」「冬の蟇川にはなてば泳ぎけり」「花びらの肉やはらかに落椿」など、死を見つめる視線には、愛着すら感じさせる。ただ、肉親の死に際しては、蛇笏も冷静ではいられなかった。俳句ではしばしば、「客観写生」ということが言われる。死すらも客観視していた蛇笏が、いかに平常ではいられなかったが、これらの直截な悲哀の表現に見て取れる。息子を亡くすという重い出来事を客観視し、俳句にすることは難しい。むしろ、次のように象徴化の手法を取った句や、風景に沈潜させた句の中に、蛇笏の嗚咽を聞く思いだ。

泪眼をほそめて花の梟かな 『雪峡

 この場合、季語は「花」、すなわち桜。「花の梟」とは蛇笏らしい極端な緊縮表現で、どう解釈すればよいか戸惑わせる。実際に桜の木の枝に梟がとまっているのだろうか。あるいは、「花時の梟」といった意味合いで、桜が咲いている頃に森で鳴く梟ということだろうか。いずれにせよ「泪眼」は実景を超えた見方で、象徴的な句と受け取るべきだ。「泪眼」は、濡れているかのようにぎらついている梟の眼のことを言うのだろうが、本来は泪を持たない鳥獣が「泪眼」になるはずはなく、ここには作者の悲しみが託されている。梟の眼はかすかな光も吸収できるように大きく見開かれているイメージがあるが、ここでは「ほそめて」ということで、いっそう人間臭さを感じさせているのである。「花の梟」に、泪で目を濡らしてひたすら夜に耐えている、そんな作者の姿を重ねてもよいだろう。
 ただし、私としては、まずはこの句のイメージの魅力をたっぷりと味わいたいという思いがある。絢爛たる桜を背景に、泪目の梟がじっと目を細めているというイメージは、どこか幻想的であり、飄逸でもある。どこからこうした着想を得たのかはわからないが、蛇笏が並みの作者ではないのは、現実か幻想か不分明の境から、こうした魅力的なイメージを引き出してくる才の持ち主だからだ。

梅雨の雲行く嶽々のうらおもて 『雪峡』

 連なる山並みのこちら側にも向こう側にも、梅雨雲がまるで大蛇のようにのたうちながら進んでいく。景にダイナミズムを与えているのが「うらおもて」の一語である。「梅雨の雲」と「嶽々」とを景に盛り込もうとしたときに、たいがいの作者は、嶽々の上空を梅雨雲が行く、だとか、嶽々を覆って梅雨雲が行く、などという仕立て方をしてしまうだろう。「うらおもて」ということで、梅雨雲と嶽々との位置関係がつまびらかになり、黒々とうごめく雲の動きがまざまざと見えてくるのだ。
 息子たちの死の記憶の生々しい時期に詠まれた句としてみれば、この句の鬱勃たる景も、作者の心象風景とも映るだろう。

にぎやかに盆花濡るる嶽のもと 『雪峡』

 「戦死せる子二人の新盆を迎へるにあたりて」の前書がある。本来は「にぎやかに」は明るく健やかなものをいうために用いられる語であり、濡れた「盆花」があふれているさまを言うには、いかにもちぐはくである。この句では、まさにそのちぐはぐであるということが、華やかな盆花と、自身の鬱然たる思いとの落差を語っていて、有効なのだ。盆花が「にぎやか」であるがゆえに、喪失感はいっそう深まるのである。
 暗いトーンの句ではあるが、下五の「嶽のもと」で広やかな景に転じているところに救いがある。水玉をまとった盆花の向こうに、嶺がそびえている。故人のたましいの寄り処となるような、あるいは作者自身の心の支柱となるような、そんな頼もしい嶺だ。

旅ゆけば暮れはやく過去かへりこず 『雪峡』

 二人の子供をなくしながらも、蛇笏は自身の結社「雲母」の大会や句会のため、終戦後、精力的に東京や関西、北海道へ旅をしている。早急に「雲母」を立て直したいという願いもあったのだろうし、かえって旅をしていた方が、悲しみがまぎれたのかもしれない。この句には、忙しく旅をすることで、「過去」の記憶から逃げおおせようとするかのような蛇笏の足掻きが書き留められている。「旅ゆけば」と浪曲調で始まりながら、胸に去来してほしくない過去があるという重いテーマに転じる振幅に、魅力がある。「暮れはやく過去・かへりこず」というように、下五のリズムを 崩している屈折感が、過去の思い出の苦さを思わせる。

石をもつてうてどひるまぬ羽蟻かな 『雪峡』

 「石をもつて」からは「石もて追われる」の慣用句が連想される。その迫害のイメージを逆転させたのが、一句の面白さだ。人に疎まれ、邪険にされながらも、羽蟻は一向に屈することがない。「一寸の虫にも五分の魂」の言い換えと言ってしまえばそれまでだが、無機質で機械的な蟻という生き物の特質をよく捉えている。
 蛇笏には「冬の蟇川にはなてば泳ぎけり」(『山響集』)という句もあり、迫害した者が、意外な力を見せるという趣旨は共通している。蟇も羽蟻も、迫害に対して反撃するのではなく、迫害をどこ吹く風として、おのれの心の赴くままに生きているというのが痛快だ。蛇笏の理想の生き方といえるかもしれない。

降る雪や玉のごとくにランプ拭く 『雪峡』

 「玉」、すなわち宝石を磨くかのような入念の手つきで「ランプ」を拭いているという。ランプを玉になぞらえたのは、球形であることと光を照り返す特質とが宝石を思わせるというだけではなく、やがてそのランプに灯される光への愛着や憧憬ゆえだろう。よく拭きこめば拭きこむだけ、そこに点く灯は、まぶしいものになる。作者はその輝きを胸の内にすでに灯しながら、ランプを拭いているのだ。ランプの灯に、希望や展望といった言葉をかぶせても不自然ではないだろう。「降る雪」の静かさがや白さが、いっそうその光を輝かしく見せる。
 ランプにあかりが灯った〈結果〉ではなくて、灯すためにガラスを拭いているという〈過程〉を見せたことで、切実な希求の表現となった。

冬の墓人遠ざくるごとくにも 『雪峡』

 墓とはあくまで、人によって訪ねられるものであり、常に受け身で捉えられるもののはずだ。この句では、墓の立場になって、訪ねてくる人を拒んでいるというように、墓を能動的なものとして捉えていることが目を引く。表面的には、墓を取り巻く殺伐とした冬景色を言ったものだろう。もちろん、その深奥には、痛ましさのゆえに墓に近寄ることが憚られるという心理がこめられている。
 中七下五は「人遠ざくるごとくなり」と断定してもよかったはずだが、「ごとくにも」とあえて曖昧な、ぼかした言い回しにしている。これによって、墓参りに躊躇する気分が再現されている。特に前書などで言及があるわけではないが、おそらく亡くした息子の墓なのだと想像される。

老猿の檻にちる雪誰もゐず 『雪峡』

 動物園での所感である。もっと見る甲斐のある動物もいたはずなのに、あえて「老猿の檻」に立ち止まったのは、もはや多くの人の目を注がれることなく老いてゆくばかりの猿の哀れさに、自分を重ねるところがあったからではないか。「降る雪」ではなく「ちる雪」というのが、さらに陰惨さに拍車をかけている。しんしんと降り積もるのではなく、風にあおられて、細かい雪粒がはらはらと散っている。まるで残り少ない猿の命が剥落しているかのようだ。
 淋しさの極みとはこういう句を言うのだろう。

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