中村草田男2016.6.14
蒲公英のかたさや海の日も一輪 草田男
犬吠埼で詠まれた句だという。読んだとたん、胸の中に、明るい陽光が広がってくる。太平洋の明るさである。
「海の日が一輪」「海の日の一輪」と、助詞を一つ変えれば、至極すっきりとまとまった句になる。だが、それとひきかえに、あたかも厚い雲がきて日を隠してしまったように、一句から陽光が消えうせてしまうことに気づいて、愕然とする。「も」という助詞一つに拘泥する態度は、勇壮な草田男俳句に対するのに、ふさわしくないだろうか。いや、勇士アキレスにしろ、不死の水に唯一漬からなかった踵を射られ、死に至った。助詞の一つが、この句の命の根幹にかかわっていると信じて、話を進めていきたい。
「も」が使われている草田男の句は、全集をひもとけば、いくらでも抜き出すことができる。よく知られた句に限っても、たとえば、次のような句があげられるだろう。
父の墓に母額づきぬ音もなし 『長子』
蟾蜍長子家去る由もなし
はま瑰や今も沖には未来あり
思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ
曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり
鴨渡る鍵も小さき旅カバン
あたゝかき十一月もすみにけり
冬空に聖痕もなし唯蒼し 『来し方行く方』
母が家近く便意もうれし花茶垣 『銀河依然』
をみな等も涼しきときは遠を見る
毛虫もいまみどりの餌を終へ歩み初む 『美田』
古典文法における係助詞の「も」は、一般に「類例・並列・列挙・強意」の働きを持つとされる。こういう考え方からすれば「蒲公英のかたさや海の日も一輪」は、「蒲公英」と「海の日」との間に、丸さと固さという共通点を認め、二つを並列した句、と取るのが一般的だろう。
しかし、そうした文法規則を踏まえながら、助詞を自家薬籠中の詩語としてこそ、真の詩人といえるのではないか。俳文学者の上野洋三氏に、芭蕉の句における係助詞「も」の働きを取り上げた「も考」という興味深い論考がある(『芭蕉の表現』(2005年、岩波現代文庫)所収)。上野氏は、『おくのほそ道』における「塚も動けわが泣く声は秋の風」など、芭蕉句における「も」と動詞の命令形との組み合わせに注目する。そのような組み合わせの場合、願われるのは実現不可能な命令であり、「も」の係助詞には、それでもなお願わずいられないという、感情的意味がこもるのだと言う。芭蕉の句は、会うことがかなわなかった亡き弟子への追悼句であるが、墓を動かすなどということは、秋風に変化したところで、不可能である。にもかかわらず、「動け」と願わずにはいられない哀切な感情が、「も」の助詞にこめられているのだと、上野氏は分析する。
草田男の句においては、「も」と動詞の命令形の組み合わせは見られない。この文体は、芭蕉の独創であるから、当然だ。しかし、草田男の「も」が、感情的意味を担っているというのは、時代を越えて二人の詩に共通する点といえる。
「海の日が一輪」「海の日の一輪」ではなく、「海の日も一輪」でなければならない理由は、「も」に草田男の感情がこもっているからだ。この「も」は、単に「蒲公英も海の日も」という並列を意味するのではない。蒲公英の花と太陽とのアナロジーは、いささかでも敏感な心を持っていれば、見出すことは難しくないだろう。だが、そのアナロジーを、ここまで喜ぶことができる者は、草田男をおいて他にいない。しかも、「も」という、たった一語の助詞でもって、その喜びを代弁できる者は。
草田男の句が多分に情動的であるということはよく言われるが、意外なことに、「さびしい」「うれしい」といった感情語は、それほど多く見つけられない。むしろ、非情ともいわれる山口誓子の句にこそ、「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」(『凍港』)や、「炎天の遠き帆やわがこころの帆」(『遠星』)など、感情語が印象的に用いられている。そして、これらの誓子の句が、感情語を用いながら、冷徹な印象を与えることに、驚かされる。「さびしい」とか「こころ」と言ってしまっているがゆえに、むしろドラマの演出めいてくる。感情語の過多は、その句が情動的であるかどうかの、指標にはならないということだ。
草田男は、係助詞「も」を自家薬籠中の詩語として、そこに感情をこめる術を見出した。そうみれば、「あたゝかき十一月もすみにけり」(『長子』)などという、内容的にはほとんど何も言っていないに等しい句から、どうして安らぎの感情が伝わってくるのも、納得できる。本格的な寒さを前にした、一時のぬくもりをじゅうぶんに享受した安らぎが、「も」の一語には託されているのだ。
付け加えておくと、「も」による感情の表出ということは、草田男の句の美点の一部でしかない。感情を表すこと自体は、それがどのような方法を取っているのであれ、詩の最終目的にはなりえない。「蒲公英のかたさや海の日も一輪」の場合、重要なのは、一句に描かれた風景の明るさに、「も」から滲み出る喜びの感情が、いかにも似つかわしいということだ。喜びの感情は、蒲公英と海の日から成る風景に、まぶしい陽光となって降り注いでいる。「も」は、一句において、感情の源泉であると同時に、風景の彩りともなっている。この句の本当の美点とは、まさにその点にある。
咲き切つて薔薇の容を越えけるも 『美田』
助詞「も」について論じてきたのだから、この句の「も」にもぜひ触れておきたい。いままでの「も」は、係助詞であったが、この句の「も」は、終助詞に分類される。意味は、一般的には「詠嘆」とされるだろう。
うらうらに照れる春日に雲雀あがり心悲しもひとりし思へば
大伴家持
『万葉集』
終助詞「も」の実例としては、この名歌がまっさきにあげられる。よく知られているように、この和歌は、家持が政争に敗北し、没落していく中で詠まれた。世の春の麗らかさとはうらはらに、沈んでいくばかりの胸中を嘆じたのが「も」なのである。草田男の句は、「花が花であることの限界」とも呼べるような、形而上のモチーフを扱いながらも、やはり古典和歌由来の慨嘆を「越えけるも」にこめていると見るべきだろう。家持が権力の座から凋落したように、薔薇もまた、ある頂点を過ぎた後は、崩れ去っていくしかない。古代の歌人と草田男とは、まったく違う角度ながら、滅びというものに対する思いを、「も」という一語の助詞によって、みごとに表出している点では、同じなのだ。
詩歌は、多くを語る必要はないといわれるが、たった一語が、これほど多くのものを語るのだということを、奇しくも私は、饒舌・腸詰と評される草田男俳句から学んだのである。