石田波郷2016.6.14

 

プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ   『鶴の眼』

 

 陽光の中のプラタナスを詠うのではなく、あえて時間を夜に設定して、プラタナスの濃い緑の葉を鮮明に印象付けている。「鈴懸の木」ではなく、「プラタナス」という学名を用いていることも目を引く。このために、日本の湿潤な夏の印象を薄くして、印象派の絵画を思わせる鮮明な像を結んでいるのだ。さらに、「みどりなる」が、プラタナスの葉の緑であるのと同時に、「夏」という季節そのものが緑に染まった季節であることを示していることも、巧みというほかない。

 後年、病を得た当時の波郷は、随想「樹木派」において、「自分の生活が植物的になつたせゐか、樹木に対する関心がいちじるしく高まつた」と述べて「人間派転じて樹木派毛虫焼く」という自嘲気味の句を掲げている(「文芸家協会ニュース」昭和四十一年五月号)。波郷には初期の頃から、樹木にかかわる印象的な作が多いから、「樹木派」は生来の気質だったのだろう。

 波郷は人間探求派と呼ばれたが、作品を丹念に見て行くと、自然を題材にした句にも、佳吟を多く拾うことができる。それらの句における自然の姿に、折々の心情や思想が投影されているのが、作者の狙いなのかもしれない。しかし、波郷の自然詠は、純粋に自然の様相をくきやかに捉えた句として、じゅうぶん鑑賞に耐え得るのである。とりわけ、樹木を詠みこむ波郷の筆致は冴え渡っている。初期作品から見ていきたい。

 

冬青き松をいつしんに見るときあり     『鶴の眼』

 

 「いつしんに」という言葉は、直接的には「見る」に掛かっているが、間接的には「松」にも影響を及ぼし、寒さにも耐えて青さを保つ松のけなげさ、ひたむきさを感じさせている。「冬青き松」のリアリティが捉えられているからこそ、一句の主題である、作者の表に出すことのない決意や覚悟の強さが、読者にも迫ってくる。

 

東京の椎や欅や夏果てぬ            『風切』

 

波郷の故郷は愛媛の松山であるが、その情報は脇においても解釈できるだろう。「東京の椎や欅や」というフレーズは、街路樹をイメージさせるが、「東京の」とわざわざ限定していることに気づいた読者は、その街路樹の向こうに、自然のままの雑木林のイメージを重ねる。雑木林は、さまざまな種の樹木が雑多にひしめきあい、混沌としている。それに比べて街路樹として植えられている樹木は、ある規則性をもって配置されている。「椎や欅や」には、都会に出てきたばかりの人間が、樹の一本一本の存在感に驚いている心の動きを伝えている。葉を青々と茂らせていた椎や欅にも、秋は着実にしのびよる。どこかその青さも色褪せつつあり、枝を揺さぶる風の音にも哀切な響きが混じっているのだろう。椎や欅の一本一本が、それぞれ「夏果て」の季節感を宿していることへの感動が、この東京賛歌の一句を生んだ。

 

名月や門の欅も武蔵ぶり        『風切』

 

「武蔵」であることを感じさせるものは、山並みや野面など他にあるだろうが、あえてどこの家にもあるような「門の欅」に、荒々しい「武蔵ぶり」を認めた。煌々と輝く「名月」に対して、この句の「欅」は堂々として一歩も退いていない。

 

槙の空秋押移りゐたりけり        『風切』

 

「槙の空」のきっぱりした具象性があるから、「秋押移り」のいささか抽象的な言い回しにも納得がいく。「秋押移り」からは雲が流れていくさまを連想するが、やはり「秋雲押移り」ではあからさまだ。秋と言う季節そのものが移ろっていくのを、槙のそよぎを手がかりにして感得したのである。内容的には上五中七で全て言い切ってしまっているのだが、下五の「ゐたりけり」は、けして蛇足ではない。このきびきびした韻律が、冬へ向かって秋がたちまちのうちの過ぎていく容赦のない摂理を、読者に突きつけている。

 

椎若葉東京に来て吾に会はぬか   『風切』

 

郷里松山に住む妹へ呼びかけた句だと言う。そうした成立事情を離れて、田舎に残してきた恋人へ向けられた句と解釈してもかまわないだろう。「若楓」でもなく「欅若葉」でもなく、やはり「椎若葉」がもっともしっくりくる。椎の葉は密に重なり合い、たとえ一本であろうとも、数本の樹を束ねたような鬱蒼とした茂りを成す。その鬱蒼とした暗さは、都会に倦んだ青年の心中を、よく代弁している。「東京に来て吾に会はぬか」の「会はぬか」という否定を伴った表現のかたちは、一抹の含羞や逡巡を匂わせ、この句に書かれた感情の機微をこまやかにしている。椎若葉は『風切』にしばしば現れるモチーフであり、「椎若葉一重瞼を母系とし」「椎若葉わが大足をかなしむ日」など、みずからの起源への愛憎が託されている。「椎若葉さやきさわぐは何念ふか」という作もあり、こちらはもっと生な形で鬱屈した感情を表出している。

これまで、波郷の初期作品における、樹木を詠んだ句を鑑賞してきた。樹木そのものを描いたものと、樹木を描くことを通して作者の心情を訴えたものとに分けられるが、いずれのタイプの句にも、それぞれの樹の特質がくきやかに捉えていることに目を瞠る。
波郷作品において、樹木というモチーフはどのような意味合いを持つのか。一つには、都会生活者であった波郷にとって、もっとも身近に季節の移ろいを感じさせるものが、樹木であった。夏には若葉を茂らせ、冬には骨のように枯れる。季節の移り変わりをこまやかに反映するモチーフが樹木であるのだ。

もう一つ、付け加えるならば、波郷作品に顕著であるきびきびとした韻律が、屹立する樹木というモチーフに適っていたということがいえる。韻律自体がプラタナスや椎や欅の立ち姿を描出しているのだ。

では、波郷後期の作品においてはどうだろう。樹木にまつわる波郷の趣向には、明確な変化が見られる。初期作品においては、青春期の心情を樹木に託すという手法が、比較的分かりやすく示されていた。そのわかりやすさに起因する直截な抒情味が魅力だったのだが、後期作品においては、そのような単純な仮託の方法は鳴りを潜める。樹木のモチーフは、別の意味を担って波郷作品を彩ることになる。

 

乙女の声して寒林を屍ゆく    『惜命』

 

 波郷の入っていたのは病棟の一番南側で、そこからは雑木林が見えたという。時期が来るとえごの花が咲いて、よく匂っていたそうだ(「療養所の花」、「随筆」昭和三十一年五月号)。だが、時が過ぎればそれらは全て枯れ木となり、「寒林」と呼ばれる無個性な樹木の集合体になる。そこをひそかに病死した遺体が運ばれていく。背景の「寒林」が、「屍」の冷たさと硬さを感じさせる。「乙女の声」とは看護婦の声と取れるだろう。溌剌とした若い女性の声と、死者の無言との対比が顕著だ。このとき、「綿虫やそこは屍の出でゆく門」という作もある。まるでダンテの『神曲』の地獄めぐりのような殺伐とした光景である。「寒木にひとをつれきて凭らしむる」や「夕映えて常盤木冬もあぶらぎり」といった青春性豊かな『鶴の眼』収録の句と比べると、同じモチーフを扱いながら、ここでの冬の樹木は、死を暗示して不気味でもある。
やがて波郷の樹木は、天上までも届くようになる。

 

金雀枝や基督に擁かるゝと思へ   『雨覆』

仏生会くぬぎは花を懸けつらね   『酒中花』

 

 神に抱かれるという感覚、すなわち、救済の感覚を、人に伝えることは難しいだろうが、「金雀枝」の花の、金色の細かな花の輝かしさによって具現化されると、たとえ無神論者でもその一端を慮ることができる。余さずに咲いた「くぬぎ」の花は、釈迦の誕生を祝福するかのようだ。「懸けつらね」の描写の丁寧さは、読者にも敬虔な気分を要求する。

これらの句には、キリスト教や仏教のキーワードが用いられているが、特定の宗教の教義に回収されることがない。ここに描かれているのは、波郷の神であり、波郷の仏であるのだ。だからこそ、宗派や信条にかかわらず、多くの人の心に響く力を持っている。生活派、境涯派と言われる波郷が、こうした雲上の存在に迫るような句を詠んでいたことは、もっと注目されて良いのではないか。土に滋養を得、天に花を咲かせる樹木さながらに、身辺を徹底的に詠みつづけた波郷俳句もまた、こうした晩年の句に至って、生活や人生を越えた、大いなるものに触れ得たのである。

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