芝不器男22016.6.14
一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな 不器男
昭和五年二月二十四日、不器男は肉腫が悪化して二十七歳の若さで逝去する。この句はその少し前、昭和四年十二月二十五日に開かれた兼題句会で詠まれたものである。場面は、瀟洒な洋館の一室に設定すればいいだろう。主の心配りの行き届いた館で、落ちた一片のパセリすらも許されることなく掃き出されてしまう。調度品などもよく磨きこまれていることだろう。もちろん暖炉も立派な造りで、パセリはそこへ放り込まれて一瞬で燃えてしまう運命なのだ。作者が病床にあることは置いても、「掃かるゝ」の受動態に色濃く死の予感がある。同時作に「大舷の窓被ふある暖炉かな」「ストーブや黒奴給仕の銭ボタン」がある。「暖炉」や「ストーブ」といった季語の故郷である乾いた西欧的世界観が、的確な道具立てによって完璧に構築されている。
万葉調の句で知られる不器男が、最後にこのような日本的な抒情を一歩抜け出た句を作っていたことは、注目に値する。俳句という詩型にかかわるかぎり、日本的な湿った抒情はつきまとうものであるが、不器男はその境地に安らぐことはなかった。道具立てが西洋趣味であるというにとどまらない。パセリと暖炉の油絵を思わせる色彩感や、「大舷の窓被ふある」の圧迫されるような暗さ、あるいは「黒奴給仕の銭ボタン」に着眼する奇矯なユーモアが醸し出す感情は、日本語の憂いや哀れというよりも、ロシア語のトスカに近いものだ。近代になってなお俳句が引きずってきた哀れの美学を、鮮やかに断ち切って見せた句として記憶される。
不器男の生涯は相対的に短いものであったが、その句業は中途で断たれたというわけではなく、この三句に至ってこれ以上ない達成を果たしたといえるのではないか。
不器男という俳人は、こと詩魂の熱さ、激しさにおいては、その静謐な句風からは考えられないほどのものを持っていたようだ。家族句会の記録に、こんな呟きを書きこんでいたという。
小器用な俳人ならそのだれもが詠めば詠み得る底の句を詠んだところで彼は遂に小器用の俳人以外のものではない。その小器用こそ「殻」である。「マンネリズム」である。「俳人一般の境地」というものがあるならまさしくそれである。そんなものに低回してゐる位なら句帖を焼却するがいい。
抹殺せよ抹殺せよ芸術的興奮に因せずして芸術的興奮をもたらし得んや。腑脱句を抹殺せよ。泥土に遺棄せよ。
このような不断の自己批判の意識を抱き、実際に旧来的な抒情を更新する句を作り上げ、不器男はその俳句人生を全うした。その句業は、歳月を積み重ねることで俳人は完成するという一般通念が、どれほど脆いものであるかを証し立てている。