飯田蛇笏[2]2016.6.15
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 『霊芝』
鉄製の風鈴が鳴った。それは、時節外れの秋の風鈴であった、というただそれだけの内容であり、縮めようとすれば、もっと少ない言葉で表現することも出来たはずだ。だが、言葉数を多く用いて、悠々と述べているのが良い。風鈴が鳴ったという些細なことを、「鳴りにけり」と朗々とした古典調の調べに乗せて、重々しく叙しているのが眼目だ。「くろがね」の重さは、一句の重さそのものでもある。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行」(『古今和歌集』)という古歌は、風の音に秋の訪れを感じ取った。蛇笏は古の歌人と同じく、風を仲立ちとしながらも、もっと生活に即した秋の感じ方をしている。「くろがね」の古語を用い、文語を最大限に生かした古典的な作品ながら、そこに新しみも認められるのだ。
蛇笏は、秋の句に名句が多い。詩人の高橋睦郎氏は、飯田龍太の追悼句として、こんな句を詠んでいる。
秋の蛇笏春の龍太と偲ぶべし 高橋睦郎
「忘れめや 飯田龍太追悼」、
『飯田龍太の時代』(思潮社)より
「秋の蛇笏春の龍太」とは、言い得て妙だ。なるほど、蛇笏の代表句として知られるのは
「芋の露連山影を正しうす」「をりとりてはらりとおもきすすきかな」など、秋の句が多い。一方、龍太は「春の鳶寄りわかれては高みつつ」「紺絣春月重く出でしかな」など、春の句に良いものが目立つ。これは、蛇笏と龍太の、詩人としての性質や、時代の差異に拠るのだろう。秋は凋落の季節である。夏には天地に満ちていた生命力が次第に衰えていき、やがて静寂の冬に至る。衰亡の過程である秋という時節の哀れを、蛇笏は身に沁みて知っていた詩人なのだ。
閑かさはあきつのくぐる樹叢かな 『霊芝』
静かさというものは、蜻蛉が重なった枝の下を潜っていく、この景をおいて他にない─そんな断定の強さが、一句を支えている。いかにもさりげない「は」の置き方だが、並の作者にできるものではないだろう。
蛇笏の助詞一字も揺るがせにしない意志については、こんなエピソードがある。中川宋淵が入門を願い出に訪ねてきた際、蛇笏にこれまでの作を示すように言われて出したのが、
秋晴れや火口へ落ちる砂の音
という句であった。すると蛇笏は「その句は、火口へ、ではないけない。火口を、としなさい」と即座に指摘したという(『飯田龍太全集 第七巻 俳論・俳話Ⅰ』)。この例でも「へ」と「を」では、句の価値に大きな差が出る。「『へ』では淡々とした描写になりますが、『を』となると、砂と一体になって作者の身も心も落ちていくような、一句の迫力がぐんと深まる」という龍太の評のとおりだ。
蛇笏の句も、たとえば「閑かさに」としてみれば、蜻蛉の飛んでくる林の中が静かだという、意味を伝えているだけの散文的な句になってしまう。「閑かさは」と強調することで、「閑かさ」と「あきつのくぐる樹叢」との言葉同士の関係性が緊密になり、韻文として訴えかける力が増す。
蛇笏の句は鉈で切ったような武骨さに特徴があるが、それと表現の細部への繊細な配慮があることは、矛盾するわけではない。むしろ、繊細な配慮によって、作意を見えにくくすることで、武骨で素朴な味わいの句を生み出しているというべきだろう。
土を見て歩める秋のはじめかな 『霊芝』
とてもシンプルな作りの句だが、「秋のはじめ」の気分を的確に捉えた句だ。土の確かさを、一歩一歩踏みしめながら歩いている。これからの実りの季節をもたらす土である。自分の足元の土を見ながら、その歩んでいく先に広がる、大地までも心に置いているようだ。祈りにも似た気持ちを、私はこの句から感じ取る。
「土を見て歩める」ということは俯いて歩ているのであり、そこに鬱屈した感情を読み取ることもできるだろうが、それはこの句の彩り程度に取っておくのがよいだろう。むしろ土への親しみ、感謝の気持ちを表明した句と取りたい。
橡の実は朴におくれて初しぐれ 『霊芝』
朴の実はあかあかとして、樹間に目立つ。比して橡の実は葉に隠れて目立たないが、この句においては橡の実の方に焦点が当てられている。朴の実よりも橡の実が見られるのは遅く、そして橡の実の頃には、山には初時雨が降る。これは、長年の山暮らしの経て得ることができた知見だろう。
飯島晴子氏は、時雨は京の雨であり、関東の雨はただの田舎雨だ、と言ったが、この句などは、その田舎雨たるところに徹した句といえるだろうか。風流ぶったところは微塵もない。山の暮らしの中での「初しぐれ」が新鮮である。
死火山の膚つめたくて草いちご 『霊芝』
「休火山」「死火山」という言葉は学術的に廃止されたというが、この句の中ではずっと生き続けるだろう。「死火山」という言葉を外して、この句を考えることはできないからだ。「死」の一字が暗示する死体のイメージが、この句の山を、只の山には見せない。「山膚」という言葉もあり、山の地表を肌に喩える発想は既成のものだが、この句の場合は「つめたくて」と掘り下げたことで、急に生々しくなった。
蛇笏の句においては、何を漢字として、何を平仮名とするか、表記が非常によく練られていることは、よく指摘される。この句においても、「肌」よりは「膚」の字の方が、岩や砂の暗い色を思わせて、内容に適っている。
前回、蛇笏のネクロフィリア的傾向の句に触れた。この句にもその傾向は認められるが、全体としては山登りの明るい雰囲気が漂っている。それは季語の「草いちご」に拠るところが大きいだろう。「草いちご」は、死体としての山の冷たさや暗さを引き立てつつも、一点の可憐な赤さに触れた作者の感動を伝えている。
大つぶの寒卵おく襤褸の上 『霊芝』
冬の間に滋養のために摂るのが「寒卵」である。「大つぶの寒卵おく」には豊かな気分が溢れているが、「襤褸の上」で、この句はある陰翳を帯びる。想像するのは、侘しい山村の農家だ。この「寒卵」は、現在の私たちがスーパーで容易に手に入れるものではなく、切実な栄養源としてのそれである。素朴な味わいのある一句だ。
「襤褸」の字数の多さに、蛇笏の表記への思い入れを見て取れる。「大粒」ではなく「大つぶ」、「置く」ではなく「おく」として、平仮名を多くしたのも、「襤褸」との対比を計算に入れてのことだろう。荒い目の、いかにもごわごわした布きれが浮かび、その上に置かれた寒卵のしろじろとして美しい肌合いが見えてくる。
雪山を匐ひまはりゐる谺かな 『霊芝』
まさに山の俳人としての蛇笏の面目躍如である。雪山に谺がいつまでも響き渡っている。人間の声かもしれないし、雪崩がどこかで起こった音かもしれない。長く余韻を引いて、やがて消えてゆくその音を「匐ひまはりゐる」と捉えた。谺とは響くもの、すなわち空中へ放たれるものと捉えるのが通常の感覚だろう。だが、空の広大さ、そして雪山の壮大さが、谺を這いまわるものとして知覚させているのだ。風景のいちばん下側に、谺が押し込められてしまった感じと言えばいいだろうか。「匐ひまはりゐる」のたった言葉一つで、雄大な風景を展開している。小さな十七音が、大きな風景を抱え込むことができる不思議を思う。
凍揚羽翅のちぎれては梢より 『霊芝』
冬の寒さに事切れた揚羽の翅が、木の枝から降ってくるという。私などはその経験はないが、深い山の中を歩いていると、こんなこともあるのだろうか。ただ、実景だとしても、どこか現実離れした趣があり、そこが魅力になっている。「凍蝶」は、人気の季語であるが、どこかムード優先になりがちなきらいがある。この句などは、凍蝶の無惨さを、どこまでも即物的に描いていて、迫力がある。
寒去りて古墳をあばく空の下 『山響集』
「あばく」というと、まるで墓荒しに遭っているようでもあるが、古墳の発掘が行われたのを、興じてそう称しているのだろう。冬も終わろうとする頃で、そろそろ始めようと計画が動き出したのだ。「寒去りて」から、土の中へ思いが至るが、それが古墳であるところに、仄かな可笑しみがある。やがて春が来れば、土の中の虫や獣たちも外へ出てくるが、それと時を同じくして、古墳の中の遺物も空の下に晒されるのである。何の計らいもない、ほのぼのとした俳味を感じる句である。
夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな 『山響集』
旅行者として私たちが甲斐に赴けば、盆地を取り囲む山並を感心して眺め、賛辞の言葉を惜しまないだろう。だが、蛇笏にとって、甲斐の山河は、手放しに讃嘆できるものではなかった。若い頃、東京の大学に学んだ蛇笏は、何らかの事情で、中途で学業を擲ち、故郷の甲斐に戻ってきた。その後、友人の若山牧水が文学への復帰を促しにきたこともあったようだが、蛇笏は応じず、結局最後まで甲斐を拠点とした。
「夏雲群るる」の句は、そんな故郷の山の中に果てるであろう自分の宿命を、諦めとともに受け入れている。光が眩しければ影も濃くなるように、「夏雲群るる」という盛んな景が、「死ぬる」という思いをより強くしているのだ。
「鬱々とまた爽やかに嶽のひる」という句も、『山響集』には収められていて、ここにも蛇笏の複雑な心境が垣間見える。肯定するか、否定するか、そんな単純な二項対立では説明できないのだ。ある面からは「鬱々と」見え、別の面からは「爽やかに」見える。蛇笏の個人的な境涯を離れて、うぶすなとはそういうものだと納得させる力がある。