飯田蛇笏[3]2016.6.15

 

日輪にひびきてとべる薔薇の虫  『山響集』

 「薔薇に止まっている虫」あるいは「薔薇の花や葉を蝕んでいる虫」といった意味を 「薔薇の虫」の語に凝縮している。一方で「日輪にひびきてとべる」の方は、実に伸びやかである。蛇笏の句はこのように、たっぷり述べる部分と、約つづ める部分との使い分けが、抜群に巧い。

 この句の場合、「日輪にひびきてとべる」のあとに「薔薇の虫」という一塊の言葉があるために、虫がいきなりぱっと飛び立ったときの驚きが表現されている。「ひびき」といっていることから、この虫は甲虫のたぐいだろう。「日輪にひびきて」はむろん誇張の入った表現であるが、深く青い夏空や、日を燦々と注ぐ太陽とを景に取り込み、虫に焦点を当てながらも雄大な句に仕上げることに成功している。真赤な薔薇と太陽のイメージとの混合により、眩暈のするような眩しさが一句には溢れている。

 水原秋櫻子に「薔薇喰ふ虫聖母見給ふ高きより」(『残鐘』)の句があり、これも同じく薔薇の虫を扱っている。原爆で破壊された長崎の大浦天主堂で、修復後に詠まれたもの。秋櫻子らしい美意識の句で、蛇笏の句とは異なる趣だが、蛇笏の句も「日輪」を大いなる存在の象徴と読むこともできる。「薔薇」「虫」「日輪」の象徴性の高い言葉を生かした句と言えよう。

 

旅終へてまた雲にすむ暮春かな  『白嶽』

 「帰庵」の前書が付されている。年譜によれば、昭和十五年、朝鮮や満州、中国北部への一箇月余りの旅をしている。そこから帰ってきての感慨である。山廬と呼ぶ甲斐の境川村の自宅へ帰ってきた安堵感が一句に吐露されている。蛇笏が東京の大学を退学し、境川村に居を定めることになった経緯には、複雑な思いもあっただろうことは前回に触れたが、この句は「暮春」の季語が寛いだ気分を醸し出して、故郷への感謝と親睦の念が込められている。

 それにしても「雲にすむ」とは、おおよそ山廬の実態にはそぐわない表現に思われてならない。まるで仙境に結んだ庵であるかのように聞こえるが、実際に訪れてみると、境川村はごくふつうの山村であり、蛇笏の住んだ家も門被りの松が迎える立派な屋敷である。裏手には蛇笏が後山と呼んでいた山があるが、これも山というよりは丘に近く、なるほどいただきでのぞむ南アルプスの山々の眺めは素晴らしいが、雲に近しいとは到底感じられない。蛇笏はふるさとを俳句の中で理想化して表出することで、ふるさとを受け入れようとしたのではないだろうか。

 「雲にすむ」は「雲に近くすむ」の意味だが、潔い省略によって漢文風の調べを作り出し、中国の隠棲詩人たちの面影が重なってくるところも、よく配慮されている。

 

たかんなや山草しげきかなたにも  『白嶽』

 蛇笏は高浜虚子の「ホトトギス」に学んだが、虚子の唱えた「客観写生」には、到底括りきれない資質を持っている。この「たかんな」の句も、一見するところ、山中の筍を写生した句とも映る。だが、より実景に忠実に写そうとするのなら、「たかんなや山草しげきむかうにも」とした方が適しているだろう。逆に言えば、「かなた」の一語に、蛇笏の蛇笏らしさが表れているのだ。「かなた」ということで、実際以上に深い山に見えてくる。

 「たかんな」は筍のことで、食用としての印象が強い。だが、この句における「たかんな」は、とても人が獲って、食べるものとは思われない。それは、「かなた」によって呼び起こされる山の風景が、たとえば「空山人を見ず ただ人語の響きを聞くのみ」(王維「鹿柴」)といった趣を、この句に与えているためだ。ここにも、蛇笏による郷土の理想化を見て取ることができる。

 

あをあをと盆会の虫のうす羽かな  『白嶽』

 「盆会」とは盂蘭盆のこと。蛇笏は、八歳の頃の「もつ花におつるなみだや墓まゐり」にはじまり、

信心の母にしたがふ盆会かな  『山廬集』

流灯やひとつにはかにさかのぼる  同

盂蘭盆や槐樹の月の幽きより  『霊芝』

など、盂蘭盆の句に秀でている。戦時中に息子たちを次々に亡くして以来、この盂蘭盆という季語に対して一段と深い思いが加わってくるわけだが、それについてはまた稿を改めたい。

 掲出句の「虫」は、カゲロウのような羽虫の一種だろう。頼りない虫の羽を「あをあをと」と表現したところに、蛇笏流の誇張がある。この誇張によって、一匹の虫が、死者の魂にも感じられてくる。芥川龍之介を追慕した「たましひのたとへば秋のほたるかな」(『山廬集』)と同趣の句といえる。

 

なにもゐぬ雪水ふかくうごきけり  『白嶽』

 「雪水」とは雪解け水のこと。川へ合流する前の水であるから、魚はおろか生き物の影すら見えないのだ。「ふかき雪水うごきけり」では平板だが、「雪水ふかくうごきけり」と言ったことで、深い水のすみずみまで動いていることがわかる。生き物のいないかわりに、雪解けの水が生動している。やがて訪れる春には、無数の命を養う水であることを、「うごきけり」によって実感させられる。

 

高浪にかくるる秋のつばめかな  『白嶽』

 蛇笏は何といっても山国・甲斐の俳人であり、山岳の句に長けているが、海の句にも捨 てがたいものは多い。海に対して新鮮な気持ちで向き合うがゆえだろう。この句もそのひとつである。つばめは本来は春季の季語だが、この句では「秋のつばめ」、すなわち、渡り鳥として海上を南方へ渡っていく姿が詠まれている。春の燕の子育てに忙しく飛び回る姿はいかにも可憐であるが、「秋のつばめ」の、小さな体でひたむきに波の上を飛んでいく姿は、凄絶の気味を帯びている。とはいえ、「高浪にのまるる」などとして、いかにも凄絶に書いてしまっては、かえって底が浅くなる。「高浪にかくるる」として、海上のつばめが一瞬見えなくなったというだけでじゅうぶんなのであり、秋燕の行方を、最後まで書かなかったのがかえって功を奏したのだ。波にまぎれてつばめを見失った刹那、作者ははっと息を呑んだであろうことが想像される。

 

地獄絵の身にしみじみと秋日かな  『旅ゆく諷詠』

 どこかの寺院で地獄絵をまのあたりにしたのだろう。注目したいのは「身にしみじみと」が、「地獄絵の」にも掛かり、同時に「秋日かな」にも掛かっている点だ。しみじみと身に迫ってくるのは、恐ろしい地獄絵のさまであり、同時に、秋日でもある。まだ暑さの残る秋の日ざしが、地獄絵から受けた思いを代弁しているのだ。地獄絵に対してそれほどに気を引かれるのは、自身をふりかえったとき、いくつもの罪を思い出すがゆえだろう。秋日の暑苦しさは、地獄の業火をどこか予兆させるところがある。「身に」とは単に身体的な感覚をいうばかりではなく、「身上に」といった観念的な意味も潜ませている。ただ寺の地獄絵を眺めているという観光俳句ではなく、自分の人生に引き寄せて詠まれているのは、私たちも倣いたいところだ。

 

打水のころがる玉を見て通る  『心像』

 知らない家の軒先で、家人が打水をしている。特に関心がなくても、視界に入ってくると、その手もとや水の動きを、ついつい追ってしまうというのはよくあることだ。この句の非凡なところは、打水の水を、「ころがる玉」と見たところにある。打水という言葉があるがゆえに、私たちはことさらに水の動きまで気にしないものだが、蛇笏は撒かれた水の先端に生まれる水の玉まで凝視しているのである。

 現実的に考えれば、「ころがる玉」というのは、おかしな表現だ。中空の水が玉を成して見えることはあるだろうが、地に着いた途端に崩れてしまう。だが、「ころがる玉」という不自然な言い方をしなければ、勢いよく打たれる水が、ここまでいきいきと感じられてくることはなかっただろう。その迸りは、見る者をして「ころがる」と錯覚させるほど鮮やかなのだ。

 ここまで打水をよく見ておきながら、「見て通る」といういかにも投げやりな下五で締め括るところも面白い。「ころがる玉」の発見をして、それだけで満足した風である。むしろ打水の水がだらしなく土の上に広がっていくところまで見たくはなかったのではないか。奇跡のような「ころがる玉」を、心の中に残像としていつまでもとどめておくための「見て通る」だったのだろう。

 

山の子が啖べてにほはす柚の実かな  『心像』

 柚子の木から獲ったばかりの柚子を、そのまま齧っているのだろう。「啖べて」の「啖」は貪り食うという意味合いがある。いかにも山の子らしい、野趣のある齧りかたが見えてくる。柚子を主体にした「にほへり」ではなく、山の子を主体にして「にほはす」としたことで力強い文体になっている。蛇笏による子供賛歌の傑作のひとつである。

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