祈る詩[5]―ディキンソン2017.1.1

 


エミリ・ディキンソン

 

 

「希望」は羽根をもつもの-
魂の止まり木で-
言葉のない歌をうたう-
歌いやむことはない-決して-

 

晴れやかに-烈風のなかでこそ-響く
嵐は心を痛めるだろう-
みなの心を暖めてきた
小鳥を困らせたりすれば-

 

極寒の地でその小鳥の歌声を聞いた-
見知らぬ遠い海でも-
それなのに-決して-どんなに苦しくとも
パン屑ひとつ求めない-私から。

(森山 恵 訳)

 

©Megumi Moriyama

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

今回はアメリカの詩人、エミリ・ディキンソンの詩をご紹介したいと思います。
ディキンソンには特別な思い入れがあって、どの詩にしようかと迷っていると、窓辺にスズメが来た。屋根に飛び移り、頭上で引っ掻くような爪音を立てている。

 

「希望」は羽根をもつもの-
魂の止まり木で歌う-

“Hope” is the thing with feathers –
That perches in the soul –

 

酉年の新年に「希望」の言葉で始まる小鳥の詩を選んだ。
一見するとやさしいが、他のディキンソン詩と同じく読み流せないものがある。

 

エミリ・ディキンソンは1830年、アメリカ東部マサチューセッツ州のアマストに生まれている。アマストは、ボストンから120キロほどの距離の小さな町。当時の人口は約2000人というから、村と呼んでもよい程である。彼女はこの小さな町を生涯殆ど出ることはなかった。それどころか、後年は自宅からも殆ど出ることがなかったのだ。

 

この詩も含め、彼女が旺盛に執筆していた1860年頃のニューイングランドは、ピューリタニズムのまだ色濃く残る相当に保守的風土である。ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』の世界だ。(1850年初版。物語の舞台は17世紀半ばのボストン)
裕福な家庭に生まれ、比較的高い教育も受けたとはいえ、女性である。
そして生涯結婚することもなかった。
そんな環境に置かれた彼女がどのような内面世界を持ち、どのように詩を書いたのか。

 

ディキンソンには小さな鳥や、虫、花を読んだ詩が多い。小鳥、蜂、蝿、蜘蛛、ミミズ。竜胆、スミレ、桜草、九輪草、雛菊。
私が初めに注意を引かれ、共感したのもその小さな生きものたちであった。
小さな生きものの目線に立ち、小さく歌う。
しかし小さくとも、決して弱々しい声ではないのである。

 

2行目の「止まる(perch)」という単語は、小鳥がちょこんと枝に止るような、ささやかな動詞だ。「希望」の化身である羽根もつものは、心の奥の止まり木にとまる。
小さいが不屈である。魂の中で歌う。そして決して歌いやめることはない。
しかも嵐の時にこそ、晴れやかに高らかに声を響かせるのだ。
嵐や寒さに抗うこの緊張感がディキンソンならではと思う。
闘志とも呼べる力強さを持つ小鳥だ。

 

彼女は生涯に1700編ほどの詩を書き残している。
しかし生前に発表したのは僅か10編ほど。ディキンソンの死後に妹が詩稿を発見したのである。きちんと清書し引き出しにしまってあったという。
無名で死に遺稿が発見されるというこのエピソードに、私はいつも感嘆し強烈に憧れていた。 

 

ディキンソンは宗教的な詩人であるが、単純に教義に従うだけの人ではない。
信仰告白や教会へ通うことを退けたのである。
閉鎖的で保守的な環境の中、自分だけの「神」を純粋に見付けようとしたのだ。

 

もう一度詩を読み返してみる。3行目の
「言葉のない歌を歌う-(And sings the tune without the words -)」
に引かれる。
なぜ「言葉のない歌」なのだろう。
なぜ詩人である彼女が「言葉のない」と言うのだろう。

 

ディキンソンは、まず既存の言葉を退けるところからスタートしたのではないだろうか。
既存の、当り前の、常識的言葉をまず取り除いてみる。
そして自分の言葉で歌うのだ。

 

更に一歩進めて考えると、これは神の言葉かもしれない。
聖書の始まりにある「はじめに言葉ありき」の「言葉」だ。
その言葉すらもまずは疑ってみる。「言葉のない」場所から始めるのだ。

 

彼女の心には、時に嵐が吹き荒れる。
それでも希望の鳥は抗うように歌い続ける。
「決して」歌いやむことはない。短い一篇に二度も「決して」が現われる。しかも二度目はダッシュに囲まれ強調される。
小鳥は、ディキンソンの核となる魂そのもの、決然たる詩の魂そのものだ。

 

絶壁のような極みまで自己を突き詰める。
そしてどんな苦しい状況でもパン屑すら求めないのだ。
自分の真実の歌を歌うためには、貧しくとも辛くとも施しをうけたりしない。
なにかに屈したりしない。褒美も求めない。

 

ディキンソンは自分を花であれば雛菊に、小鳥であればミソサザイに喩えている。
ミソサザイは体長が10センチ程、重さも10グラム程、小鳥の中でも一際小さな鳥だ。
和名のミソサザイも小さな鳥を指す言葉から来ている。
しかし体は小さくとも短い尾羽を上げて快活に囀る。
スピスピスピ チイチイ ピリリリルリリル と辺りの空気を明るく震わせて。

 

私も山道でこの囀り声を耳にしたことがある。急いで辺りを見回すと、薪置き場の隙間に潜り込んで鳴いていた。短い尾を直角近く、ピンと上げている。
少し丸っこくて焦げ茶色、目立たない小鳥だ。
薪の隙間から、今度は切り株に飛び移り、弾むように移動する。
そこでまたチイチイ ピリリリルリリル と朗らかに高らかに囀っていた。

 

この詩の小鳥は詩人ディキンソンそのものなのだ。
彼女は自分の中に希望の小鳥を住まわせ、また同時に自分だけの言葉で歌う希望の小鳥そのものとなったのである。
そしてエミリ・ディキンソンの歌は今も私たち読者の心に、明るく力強く響き続けている。

 

酉年の2016年が皆様にとって、希望に満ちた佳きものになりますようお祈り致します。

 

最後に原詩を引用します。
4行4行4行。2行足りないが変則的ソネット形式で、脚韻もほぼ正確に踏んでいる。
他のディキンソンの詩と同じく題名はない。

 

 

 

 

Emily Dickinson

“Hope” is the thing with feathers –
That perches in the soul –
And sings the tune without the words –
And never stops – at all –

 

And sweetest – in the Gale – is heard –
And sore must be the storm –
That could abash the little Bird
That kept so many warm –

 

I’ve heard it in the chillest land –
And on the strangest Sea –
Yet – never – in Extremity,
It asked a crumb – of me.

 

 

 

 

©Megumi Moriyama
©Megumi Moriyama
 
 
【エミリ・ディキンソン(1830-1886)】
アメリカ東部ボストン郊外のアマストに生まれる。アメリカを代表する女性詩人。祖父と父は弁護士で、その後父は州議会や下院議員にも務めるなど裕福な家庭に育つ。家に閉じ籠もって暮らしたとは言え広い敷地の「お屋敷」内であった。
独特の詩風を編み出し、イマジズムやモダニズムの先駆とも言われる。彼女の詩が整理されて全貌が明らかになったのは1950年代になってから、またダッシュなどオリジナル表記のもとに出版されたのは1981年になってからである。

 

 

【略歴】

森山 恵(もりやま めぐみ)

東京生まれ。
1993年 聖心女子大学大学院 英語英文学修了。
2005年第一詩集『夢の手ざわり』ふらんす堂より上梓。
その他詩集『エフェメール』(ふらんす堂)、『みどりの領分』、『岬ミサ曲』(思潮社)。
淑徳大学池袋エクステンションセンターにて2014年「イギリスの詩を読む」講座担当。
NHK WORLD TV 「HAIKU MASTERS」選者。
翻訳書近刊予定。

森山恵ブログ「poesia poesia」

愛読してきた外国の詩など、これからご紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

 

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