《五月二十六日(金)》目覚めたるばかりの指にほうれんそう絞れば暗き水したたりぬ

「長すぎる昼寝は、砂漠のように精神を吸い取ってしまう」というような言葉を、海外の小説で読んだ記憶があるのだが、誰の本だったか思い出せない。たしかにときどき、いくら眠っても眠り足りない状態になることがある。

著者略歴

吉川宏志(よしかわ・ひろし)

1969年宮崎県生まれ。京都市在住。塔短歌会主宰。現代歌人協会理事。京都新聞歌壇選者。歌集に『青蝉』(1995年、第40回現代歌人協会賞)、『鳥の見しもの』(2016年、第21回若山牧水賞・第9回小野市詩歌文学賞)、『石蓮花』(2019年、第70回芸術選奨文部科学大臣賞、第31回斎藤茂吉短歌文学賞)などがある。評論集に『風景と実感』、『読みと他者』がある。

 

 

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バックナンバー

  • 5月29日:三音を繰り返し鳴く鳥のあり山を行きつつ妻は真似する
  • 5月28日:かたつむりの入り口に膜張りたるを幼き日見しそれからは見ず
  • 5月27日:句集とはこんなにも字の大きくて櫨のなかなる七まで見ゆる
  • 5月26日:目覚めたるばかりの指にほうれんそう絞れば暗き水したたりぬ
  • 5月25日:わが顎のレントゲン写真しろじろと兵のごとくに歯は並びおり
  • 5月24日:バフムトとう自らの街を砲撃す 暗緑の砲が反動に揺る
  • 5月23日:空に在るときには見えぬ紫斑もつ桐の花なり土に散らばる
  • 5月22日:ふかぶかと雲の殖えゆくゆうぞらに内海のごとき青あらわるる
  • 5月21日:少し前まで新緑と思いしが粘り気のある匂いただよう
  • 5月20日:このごろの灯はリモコンで消すんだよ 亡きひとの本寝る前に読む
  • 5月19日:爆死とう言葉を聞けど血や肉を思わず過ぎし 言葉は暗幕
  • 5月18日:十日ほど秘仏を見せる寺のあり桜青葉は雨に濡れゆく
  • 5月17日:奥之院よりくだりきて坂と坂かさなるあたりどくだみが咲く
  • 5月16日:雨の日の電車の音が本のなかまで響きつつ死を二つ読む
  • 5月15日:暮れ方は睡蓮の葉の切れ間より白鯉の背のおりおりのぞく
  • 5月14日:アボカドの種をはずせば軟らかく凹みぬ 何もしなかった今日
  • 5月13日:危うさを聞きし法律の決まりたり車窓を崖の過ぐるはやさに
  • 5月12日:韮折りて袋に入るる夕つかた疲れおり辛き鍋をつくらむ
  • 5月11日:あおぞらは屋根のあいだに垂れており交尾隠さぬ鳥の声ごえ
  • 5月10日:昨夜から降りつづけたる雨霽れてカラス啼きおり空の二箇所に
  • 5月9日:京に居て京の土産を買いにけり木彫りの蟬に木の羽尖る
  • 5月8日:夕闇のなかに見えざる鋼索を垂らせるらしもクレーンは立ちて
  • 5月7日:春雨のやみたる雲の畳まれて愛宕の山のうえに居座る
  • 5月6日:三千円ぶんの磁力をカードへと与えていたり夕べの駅に
  • 5月5日:回したら逆立ちをする独楽ありき故郷の廊下は遠くなりたり
  • 5月4日:説得を途中でやめし会議なり濡れたグラスに紙が貼りつく
  • 5月3日:人の見ぬ花は涼しもクルミの木みどりの房を空より垂らす
  • 5月2日:曇天に触るることなき低さにてナズナは白き花を点おり
  • 5月1日:うすあおき目薬の壜にすこしずつ空気の増えて春は過ぎゆく

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