飯田蛇笏[7]2017.2.28

 

地に近く咲きて椿の花おちず   『椿花集』

 

 「地に近く咲きて」は克明な描写であり、分類しようとすればいわゆる「写生句」の範疇に入るのだろうが、そう単純にいかないのが蛇笏の句だ。写生句であれば、末尾の「おちず」とまで断る必要はない。「地に近く咲きて椿の花ひとつ」とでもすれば済むところだが、句の旨味は抜けてしまう。「おちず」と言われると、まるで落ちていないのが不自然で、やがてぼとりと椿が地を打つのを待ちのぞんでいるかのようなニュアンスが生まれる。とすれば、この作もまた蛇笏のネクロフィリア俳句の系列に属するものであろう。これほど地に近いにもかかわらず、まだ土に汚されることのない椿のありようには、ぴりぴりとした緊張感がある。それは、すぐ隣に死があるわれわれの生の緊張感をも思わせる。

 

たちよれるものの朝影山泉   『椿花集』

 

 泉の水を汲みにきたのか。あるいは、明け方の散策にきた者だろうか。何の目的なのか、あるいは、誰の影であるのか、情報の大方は伏せられている。省略されているところは、読者自身が想像で埋めなくてはならないが、この句ほどに、埋めていく過程が楽しい句は、そうそうないだろう。
 「たちよれるものの朝影」は、作者自身の影とも取れるが、ここは、誰か別の者の影だと見たい。そうすると、作者自身は山中の泉にすでに居て、一部始終を見ていたことになるが、それは現実的に考えれば不自然だ。「ではいったいこの句の情景を見ているのは誰なのか?」という疑問が生じてくるが、この句の魅力はまさに、超越者の視点を想定させるところにある。一般に、俳句に詠まれている景は、作者自身が見ていることになっているが、この句においては、不可視の存在が、人の営みをじっと見つめているかのようだ。前回取り上げた蛇笏の「夏真昼死は半眼に人をみる」(『白嶽』)や「凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る」(『家郷の霧』)の句を思い出しても良い。超越者の視点があるからこそ、「山泉」の神秘性は、いやがうえにも高まっていく。少女が聖母マリアの顕現をまのあたりにしたというルルドの泉の逸話も思い出される。

 

薔薇園一夫多妻の場をおもふ   『椿花集』

 

 イスラムやアフリカには一夫多妻制度が現存するし、日本にも過去には大名や武将が側室を持つという習わしがあった。ともすれば下賤な関心をかきたてがちな「一夫多妻」であるが、「場をおもふ」という、空惚けたような終わり方が、むしろほのぼのとした読後感をもたらす。場所が「薔薇園」であるという外連味に加えて、「一夫多妻」という題材を扱っているにもかかわらず、性の生々しさは、この句とは縁遠い。「一夫多妻」という、自分の理解の範囲外にある制度への憧れと可笑しさの入り混じった気持ちが、この句の主題であろう。

 

後山に葛引きあそぶ五月晴   『椿花集』

 

 蛇笏は、みずからの住まいである「山盧」の裏山を「後山」と名付けた。実際に訪れてみると、山とはいいがたい、丘のようなところであるが、「後山」の硬質な漢語から、木深い山を心に浮かべるのが、蛇笏の意にはかなっているだろう。「五月晴」の心地よさに誘われて、特に用もないのに出かけていった裏山で、山肌を覆う葛の蔓を引っ張っては遊んでいる。「葛引きあそぶ」の他愛なさが、悠々自適の暮らしを思わせて、日々のたつきにあくせくしている者としては、羨望を禁じ得ない。
 葛はもともとは「恨みの葛」として和歌にもしばしば詠まれる題材であるが、近現代人にとっては、生命力が旺盛で、盛んに生い茂るふてぶてしい植物という印象が強い。アメリカでは外来危険生物に指定されているそうだ。その葛と戯れているというところは、風狂の徒さながらである。

 

大揚羽娑婆天国を翔けめぐる   『椿花集』

 

 中七の聞きなれない言葉は、「娑婆と天国」ということではなく、「娑婆天国」という一つの造語と見るべきだろう。「娑婆」は仏教用語で、苦しみに満ちたこの世のことであるのだから、「娑婆天国」というのは、ひどく矛盾した語に映る。「娑婆天国」とは、煩悩を抱えた人間で溢れるこの世への、皮肉交じりの讃頌と見るべきだろう。
 「大揚羽」といったように、季語にむやみに「大」の字を付けると、上面だけの空虚な語になりがちであるが、蛇笏のこの句においては、中七下五の強烈な語と見事に拮抗している。人の世の汚らわしさに染まらないものとして、健やかで溌剌とした揚羽を登場させたとも取れるが、それでは自然と人事との安易な対比構図になってしまう。そうではなく、人間の際限のない欲望の形象化と取りたい。その方が、雄々しく飛ぶ揚羽の眩しさが増すのではないか。

 

葉むらより逃げ去るばかり熟蜜柑   『椿花集』

 

 蛇笏最晩年の句とは思えないほどに、いきいきとした句だ。外界への好奇心の強さは、子供のそれにも匹敵する。どこか散策に出かけた先で、弁当の蜜柑を落としてしまったのだろう。子供の作る俳句のようであるが、「熟蜜柑」にはやはり巧さがある。あえて「熟」といったことで、蜜柑の濃厚な黄色が、草葉の緑との対照もあって、ありありと目に浮かんでくる。もっと深読みをすれば、西東三鬼のよく知られる「中年や遠く実れる夜の桃」とも通底する諷喩の句とも取れるが、三鬼の句ほど露骨ではない。何といっても明るい色彩を持ち、快い酸味を伴って舌を喜ばせてくれる蜜柑は、どう詠んでもセクシャルにはなりきれないようだ。
 蛇笏の盟友であった芥川龍之介に、まさに「蜜柑」と題する作品があったことを思い出させる。あの短編の厭世観に満ちた主人公が、汽車の中の娘が弟たちへ投げた蜜柑の色につかの間慰められたように、私もまた、草の上を転がっていく蜜柑に、ほっと心がほぐれるのを覚える。もちろん、芥川とは異なり、蜜柑が転がっていくユーモラスな場面を切り取ったのは、俳人蛇笏の面目躍如である。

 

いち早く日暮るる蟬の鳴きにけり   『椿花集』

 

 「日暮るる蟬」には、蜩という言葉が隠れている。あけがたや夕方に、かなかなと物悲しく鳴く、あの蟬である。「日暮るる蟬」が、「日暮れ」よりも早く鳴き出したという、ささやかな発見が、「けり」の切字の力で、天地が裂けたかのような大事件に思えてくる。思えば、蛇笏の代表句である「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」も、些細な事象を「けり」の切字で昇華させていた。何でもないような些事が、蛇笏の手にかかれば、朗々たる響きと立ち姿のよろしさとを具えて、読者の前に差し出される。要するに、高級食材でしか料理が作れないシェフは、二流ということだろう。

 

夜の蝶人ををかさず水に落つ   『椿花集』

 

 「夜の蝶」は、慣用的には夜の店で客を取る女性の暗喩として用いられるが、そこにとらわれると、通俗的な句となってしまう。ここでは、あくまで昆虫の一種類としての「蝶」と見たい。現実的には「蛾」のことを詠んでいるとみるのが自然だろう。「蛾」よりも可憐な「蝶」の語感を重んじた結果の選択ではないだろうか。
 「人ををかさず」はいささか難解な言い回しだ。漢字に直すと「侵す」(侵害する)とも「冒す」(汚す)とも取れるが、あえて平仮名表記にしていることで、双方のニュアンスも取り込んでいる。人の視界に入ってきて驚かせたり、鱗粉を散らしたり、あるいはみずからの死骸でもって人家を汚したりすることもない。人とは何らのかかわりも持たないまま、水に落ちて、そのまま死んでゆく。さきほど取り上げた「たちよれるものの朝影山泉」と同じく、「いったい誰がこの景を見ていたのだろうか?」と不思議な思いに駆られる。やはりここにも、超越者の視点が呼び込まれているのだ。俳句は時に、ひとりの人間としての視点を超えることがある。この句はその好例だろう。

 

誰彼もあらず一天自尊の秋   『椿花集』

 

 蛇笏の生涯を締めくくる句である。息子の龍太が「一天自尊」のフレーズについて「説明の埒外」と評しているように、難解句としても知られているが、まずはこう解釈しておく─「知己は誰も彼もが居なくなって、今この天が下に生きているのは自分のみである、その自分をこよなく大切にして、何かと気が萎える衰滅の秋を乗り切っていこう」と。
 「自尊の秋」には、老いてひとり残された寂しさも含まれているだろうが、「一天」の語調の張りや、「誰彼もあらず」から「自尊」に至る振れ幅の大きさには、自分だけは生き延びてやろうというふてぶてしさすら感じる。たとえば子規の「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」のように、自分の死を客観視し、そこに可笑しみを見つけるというのではなく、強かに死と向き合っている。怖れるのでもなく、かといって悟りすますのでもなく、最後まで死と付き合おうとしている。死を見つめ続けた蛇笏は、ついに死と盟友となったかのようだ。
 まさにこの「自尊の秋」に、蛇笏は亡くなった。享年七十七。
 肉体は滅んでも、その句をくちずさむ者がいるかぎり、俳人は死ぬことはない。蛇笏にとっては、息子の龍太が、その一人だった。次回以降は、龍太の句を読んでいく。

 

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