飯田蛇笏[4]2016.6.30

 

冬滝のきけば相つぐこだまかな 『心像』
 「冬滝の」の「の」で、少しのねじれが生じている。上から意味を読みとおそうとすると、「の」で引っかかるのだ。「冬滝の」のかかるべき「こだま」が、離れている。作者は「冬滝」の何に耳を傾けているのか、読者は最後の「こだまかな」を読むまで、分からないようになっている。
 この句の「の」の働きについて、山本健吉は、『現代俳句』の中で重要な指摘をしている。

「冬滝の」でちょっと切れて、「きけば相つぐこだまかな」とつづくのだが、俳句では、上の五文字に何々のと書いて、休止を置く形がたくさん見受けられる。「何々の何々」とつづく「の」ではない。

 たとえば、

 

  冬滝のこだまを聞けば相つぎぬ

 

とすれば、読みやすくなる。だが、それはわかりやすさと引き換えにして、一句のふくよかさ、豊かさを失うことになる。詩歌においては、一般の文法のセオリーを、あえてねじまげることがあるのだ。
 文法的には「冬滝の」は「こだま」に掛かっていることになるが、ここで意味の流れが断たれているために、読者の意識はいったん、ここで停滞する。壮大な景色を前にしたとき、私たちが一瞬、はっと息をのむのにも似て、一句の中で読者を立ち止まらせ、「冬滝」の一語を反芻させる。この停滞によって、冬滝のある空間を、広やかに、奥深く、見せているのだ。「冬滝のこだま」と、連関を明確にしてしまうと、読者の意識は、停滞なく句を読み進めてしまう。結果、句は小さくなってしまうのだ。
 「冬滝の」の後に続く「きけば」も巧みである。「こだま」とあるから、「きけば」は余計なはずなのだが、この句においては、いったん停滞した読者の意識を、本題である「こだま」へ誘導するために、「きけば」が絶対的に不可欠である。音楽でいえば、だんだん調子が高まっていくように、「きけば」「相次ぐ」と、高揚感が高まってきたところで、「こだまかな」の留めが待ち受ける。冬枯れの山の中で、まれなる音を─それも、この上なく清浄な冬滝の響きを聞きつけた感動が、あますところなく謳われている。まがうことなき名吟である。
 この名吟を支えているのは、「の」で休止を置くという、一般の文章にはない「わかりにくさ」や「曖昧さ」であることを、忘れないでいたいと思う。とかく、「わかりやすさ」や「明朗さ」が求められる時代において、この「冬滝」の句の魔術めいた言葉の綾は、稀有な輝きを誇っている。

 

大滝の仰ぎてくらき五月雨  『心像』
 この句も「冬滝」の句と同様に、「大滝の」の「の」で軽く切れていると見るべきだろう。
 よく知られているのは「冬滝」のほうだが、こちらの「大滝」の句の勇壮も捨てがたい。
 この句にも「わかりにくさ」「曖昧さ」がある。「くらき」と連関しているのが「大滝」か「五月雨」か、判然としないのだ。もちろん、第一義的には、「くらき」は大滝に掛かる。降り続く雨によって、水量を増した滝が生み出す、鬱勃とした暗さである。だが、もしも「くらき」が「大滝」にのみ掛かるのだとすれば、

  大滝の仰ぎてくらし五月雨

の句形でよかったはずだ。あえて、「くらき」と連体形を取っていることに、注意したい。つまり、「くらき」は、「五月雨」にも掛かっている節がある。「五月雨」の降る空間一帯の暗さをも、含みこんでいるのが、この句なのだ。
 「くらき」の主体は、はっきりさせない方が良い。「大滝」も「五月雨」も、ともに梅雨時特有の暗鬱の中に沈み込んでいるのだ。
 「大滝」も「五月雨」も、ベクトルは下降する中で、ただ「仰ぎて」の一語のみが、上昇している。すべてが重く、垂れこめる中で、一句の主体のみが、発止と面を上げている。もちろん、最終的には「五月雨」の暗がりへ落ち込んでいくわけだが、「仰ぎて」いる主体の存在は、陰鬱な風景の中で、ずいぶん救いになっている。この句はあくまで自然詠ではあるが、「仰ぎて」いる人物の意思の強さまで感じられるところが面白い。

 

ほたる火や馬鈴薯の花ぬるる夜を  『心像』
 薄い紫の花びらの「馬鈴薯の花」と、「ほたる火」との照応が、えもいわれず美しい句である。「ほたる火」に、古い歌人たちは、恋情を託してきた。その艶な気分を、雨上がりの濡れた草花の風情が、いっそう高めている。
 とはいえ、優美というだけではなく、どこか朴訥な味わいも含んでいるのは、「馬鈴薯」のゆえだ。花は可憐だが、なんといっても、この字面ゆえに、ごつごつとしたあの根菜の姿が、脳裏にちらつく。「ほたる火」を詠みながらも、和歌的情趣に流されないところに、蛇笏の俳人としての矜持が感じられる。
 川辺の畑で栽培しているものだろう。地に足のついた生活感がうれしい一句である。

 

花びらの肉やはらかに落椿  『心像』
 死体を愛でるかのような視線が蛇笏にあることを、これまでも指摘してきたが、これもネクロフィリア的発想の句と、同じ系列に属する。
 椿の花びらは、他の花と比べると、確かに肉厚だ。咲いている椿ではなく、「落椿」の方にその厚みを見ているのは、傷ついたり、蝕まれることで、その花びらの厚みが、よりはっきりと認識されるからだ。
 もっとも、花びらの厚みを捉えたというだけでは、平板な写生句止まりだ。「肉」の一字があるがゆえに、この「落椿」は、ただの花のこととは、思えなくなる。しかも「やはらかに」の生々しさは、不気味ともいえる。死んだ女の体を眺めて愛でているような、異様な情欲が嗅ぎ取れる一句である。

 

冷やかに人住める地の起伏あり  『心像』
高いところから見下ろすと、人の世というのは確かにこう見える。特に日本は、山がちの地形であるから、人が住むのは平地ばかりというわけではない。山の上まで人家が這い上っていることも、珍しくない。「起伏」ある大地の上に、すがりつくように生きている人の営みというのは、思えば健気で、涙ぐましい。
 「冷やかに」は秋の肌寒さを表す季語である。心理的な「冷ややか」とは、また違う意味のはずだが、どこか作者はこの句で、人の世を突き放して見ているような気配もある。俳句という文芸には、こんなアンチ・ヒューマニズムの一面もあるということを、この句はよく物語っている。

 

新年のゆめなき夜をかさねけり  『春蘭』
 新年に見るのが「初夢」。ところが、実際に都合よく夢を見られるとは限らない。このあたりの機微は、多くの人が感じるところであって、「初夢」を見なかった、などという句は世に溢れている。この句も一見、それと変わらない類想句のようにも見えるが、ここでは「かさねけり」と、さらに踏み込んでいることを重く見るべきだろう。
 単に初夢を見なかった、というだけでは、些細な日常の報告に過ぎないが、それが何日も続いたというと、「新年」らしい気分のなかなか出てこない作者の心塞ぎまで連想される。中途半端では、句は成り立たない。この句は「かさねけり」まで押し通したことで功を奏している。

 

いわし雲大いなる瀬をさかのぼる  『春蘭』
 「いわし雲」の映りこんだ瀬を見ていると、その字面どおりに、無数の魚が川の流れに逆らって進んでいくように見えたというのだ。「いわし雲」の名称から発想した句で、いささかの理を含んではいるが、嫌みはない。川面を乱す風ひとつないような、秋の穏やかな日和を感じさせ、叙景句として素直に受け取ることができる。「いわし雲」と「瀬」という、ともに壮大なものを十七音に同時に詠みこむのもさることながら、「さかのぼる」まで踏みこむ膂力が、いかにも蛇笏らしい。読み返していると、だんだん、瀬と青空との区別がなくなってくる。青空が巨大な川の流れと一つになって、そこを「いわし雲」が悠々と流れていくような幻視にとらわれる。これもまた、蛇笏の言葉の力ゆえだろう。

 

戦死報秋の日くれてきたりけり  『雪峡』
 「金剛院聡瑞雲鵬生居士の霊に」の前書が付されている。
 昭和十九年、蛇笏の長男・鵬一郎は出征する。翌年終戦を迎えるが、その戦死が明らかになったのは、昭和二十二年の八月だった。出征した年の十二月、レイテ島で玉砕していたことを記した公報が届いたのだ。鵬一郎は俳句もたしなんでいて、蛇笏はその才に大いに期待を寄せていたという。
 息子の戦死に際して、「戦死報」という即物的把握で向き合うことは、余人には難しいだろう。「戦死」という事実の方が先に立ってしまうからだ。さらに、「秋の日くれてきたりけり」というのは、実に淡々とした述べ方である。無数の思いが去来したはずであるのに、それが一切、表に出ていない。これは、万感の思いを底に沈めて、といったものではない。心を抉るような出来事があったあとの、呆然自失の体を表しているといった方が適っているだろう。

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