《九月十三日》灰汁桶の雫やみけりきり〴〵す

凡兆ぼんちょう

「きりぎりす」はコオロギの古名。『百人一首』でも有名な「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」(『新古今和歌集』)のように、いつまでも成就しない恋の悲しみを、鳴き続けるこおろぎに託して詠むものであった。俳諧では日常生活に即したこおろぎの声が詠われる。凡兆の句は、ぽとりぽとりと灰汁桶から滴る雫がいつしかやみ、今はこおろぎの鳴き声が聞こえるばかり、というもの。「灰汁桶」とは灰汁を取るための桶のこと。灰と水を入れた桶の下部にあけた穴から、灰汁が別の桶に滴り落ちるようにできている。当時灰汁は、洗剤や染色などに活用された。庶民生活に取材して、「灰汁桶」の滴の音が、こおろぎの鳴き声にも劣らない風趣を持っていることに気づいた感覚の鋭さ――名句と称されるのも納得の出来である。カ行の音が要所要所で句を引締め、秋の清澄な空気感を伝えている点も見逃せない。

(『猿蓑』)●季語=きりぎりす(秋)

著者略歴

髙柳 克弘(たかやなぎ・かつひろ)

1980年 静岡県浜松市生まれ。2002年 「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年 「息吹」五〇句によって俳句研究賞受賞。2005年 藤田湘子逝去。新主宰小川軽舟の下、「鷹」編集長就任。2008年 評論集『凜然たる青春』によって俳人協会評論新人賞受賞。2010年 第一句集『未踏』によって第一回田中裕明賞受賞。2017年、Eテレ「NHK俳句」選者。著書に『凜然たる青春』(富士見書房)、『芭蕉の一句』(ふらんす堂)、『未踏』(ふらんす堂)、『寒林』(ふらんす堂)、『NHK俳句 作句力をアップ 名句徹底鑑賞ドリル』(NHK出版)、『どれがほんと? 万太郎俳句の虚と実』(慶應義塾大学出版会)。読売新聞夕刊「KODOMO俳句」選者。浜松市やらまいか大使。

 

 

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