2020年 第11回 田中裕明賞

受賞者の言葉

生駒 大祐(いこま だいすけ)

1987年三重県生まれ。 「天為」「オルガン」「クプラス」などを経て現在無所属。第三回摂津幸彦記念賞、第五回芝不器男俳句新人賞。共著に「虚子に学ぶ俳句365句」(草思社)「天の川銀河発電所」(左右社)など。

 

 

田中裕明賞受賞の連絡があったその日から、また『田中裕明全句集』を読み返していた。
改めて全句集を通読して、その文体の確かさから静的だと思い込んでいた裕明の俳句も実はかなり動的であることに気づいた。

大学も葵祭のきのふけふ 『山信』

引こうと思えばいくらでも引けるのだが、第一句集から。
この句は名詞と助詞のみで形成されており、形式上は静かでただただ美しい句なのだが、
「きのふけふ」という時間軸での圧縮を考えると葵祭の時期の華やぎを見せる大学を行き交う人々の僅かな高揚の昨日と今日が二重写しのように見えてくる。
さらに、この句の「大学」は平安時代の大学寮を想起しても勿論よい。
そう読むと、昨日と今日という短い時間軸と「大学」という言葉を通して繋がる眼前の大学と大学寮という長い時間軸とで人々で賑わう大学(寮)の景色が多重的にオーバーラップする。
この情報量の多さを動的と呼ばずしてどう呼ぼうか。

裕明の句は古典調とも言われる。そういう場合現代において古典を志向するという時間を遡るベクトルが強調されがちであるが、
古典を身にまとって現代を詠むことで生じる上記のような多重性や奥行きを考えると、古典から現代へ還ってくるベクトルも当然議論されてしかるべきだろう。
その双方向的な往還こそが実は俳句の本質の一つではないかと今は考えているし、僕もそれを生かした句を作ってゆければと考えている。



『水界園丁』を作るにあたってお世話になった方々、
「田中裕明賞」を作り育ててきたこれまでの受賞者、審査員、運営の方々、
関係するすべての皆様に心より感謝いたします。
この賞の冠する田中裕明の名に恥じない句を作ってゆけるように研鑽を重ねてゆきます。
ありがとうございました。

 

 

選考委員の言葉

佐藤郁良

 11篇の句集それぞれに魅力があり、作者の努力に真摯に向き合うべく選考にあたった。一長一短でかなり悩ましかったが、最終的には、俳句という形式を最も強く活かしているという観点から、藤永貴之氏の『椎拾ふ』を一席に推した。虚子以来の写生という方法を愚直に貫きつつ、動植物の季語に真正面から取り組む姿勢は、今の時代ある意味新鮮で、そこに時代を超え得る普遍性を感じたからである。地元九州の風土を詠んだ句群にも、力強さを感じた。
 二席に推した藤本夕衣氏の『遠くの声』は、透明感や健康的な叙情が心地よい句集であった。とりわけ、母として子育ての実感を詠んだ句に力強さを感じたが、全体に調和的でパワーに欠けていた部分はあったかもしれない。
 三席に推した松本てふこ氏の『汗の果実』は、シニカルな視点で、現代的素材に果敢に挑戦しているのが印象的であった。違和感を抱きつつも社会と切り結ぶ生き様が随所に現れており、力強さを感じる一方、直接的に性を詠んだ句には賛同しかねる部分も正直あった。  田中裕明賞に決まった生駒大祐氏の『水界園丁』は、私の中では四番目に位置していた句集であり、受賞決定に全く異論はない。感覚的な句が多い印象ではあるが、そこに不思議な実感があった。現実社会と距離を置くアンニュイな雰囲気は、今の三十代の世代的傾向なのかもしれない。やや叙述過多に感じられたのは、動詞や人称代名詞の多用が気になったからであろう。いずれにせよ、田中裕明賞をゴールと思わず、さらなる進化を遂げてほしいと願っている。
 その他の句集にもそれぞれに見どころがあり、若い世代の充実ぶりを実感した選考であった。今回、受賞を逃した方々も落胆することなく、次の目標に向けて新たな矢をつがえていただきたいと思う。



関悦史

 藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』、生駒大祐『水界園丁』を受賞候補とした。古典となる作品には或る異質さがある。その片鱗を感じたのが叙情性と創意に富むこの2点であり、藤田句集を1位としたが実質同位。選考中は候補作全11点が〈他者〉性にどう対処しているかを吟味していたように思う。
 『水界園丁』は社会的素材の不在を指摘もされたが、《枯蓮を手に誰か来る水世界》など現実への悪意を欠いた言葉で構築された審美世界の静謐と精妙は、後世から見ればその〈社会〉の欠落も含め、平成期俳句のパラダイムとその可能性の頂点を示したものとして、今という時代を逆説的に体現したものと成り得る。
 『楡の茂る頃~』は多彩な材料を方法意識に富む文体で生きる〈私〉につかねようとしており、そこにモダニズム的で清潔な美観が宿る。観想と修辞によって外界と自分を異化する『水界園丁』と方法的ベクトルは逆だが志向として通じあうものはあり、外界を〈私〉に集約していく技術的手続きに厚みと情熱のようなものを感じた。
 3位に推した松本てふこ『汗の果実』はユーモアを最も押し出している点、他者的な批評眼も内包しているはずだが、対人関係とその中での意識が中心で開放感はさほどない。《洞窟の画像眺めて夜業かな》のパソコン上の画像にも似た形でわずかに介入する季語=外部のありように、これが現在の花鳥諷詠のひとつの姿なのではないかとも思った。
 藤永貴之『椎拾ふ』、藤本夕衣『遠くの声』は既知の装置としての俳句の扱いに習熟し、充実と新鮮味を出している。そのぶん諸力の葛藤から生ずる動的な新しみには乏しく、賞に推すには至らなかった。
 無得点の句集にも見所が多々あったが、想いの直叙や擬人法の多用で〈私〉が他者や物を平板に支配している句集も二、三見られた。



高田正子

 田中裕明賞の第二タームが始まった。今から十年、どんな作家たちに出会えるだろう。十年は過ぎてしまえば短いが、今から重ねてゆく歳月としてはたっぷりとした時間だ。存分に学び、楽しみたい。
 一位に推した『遠くの声』は、水が大地にしみわたってゆくような、自然さと豊かさを特長とする。 繊細、静謐、知的な暮らしに子どもが加わり、鮮やかに変調してゆく。〈子のひたひ広げて玉の汗ぬぐふ〉。今は淡めの色彩であるが、人生の深まりとともに変化してゆくことが期待できる作家である。〈掌にみづうみの水なつやすみ〉。
 二位には『椎拾ふ』を推した。正確な言葉遣い、的確な表現、何より媚びるところのない句風に好感を抱いた。〈鶏頭の襞や畳みに畳みたる〉など、対象に吸い込まれそうなほどよく見て作句している。伝統的で実直な作句姿勢に、わかりやすい新しみは見出し難いかもしれないが、この作家の積み重ねてきた修練と到達度をまずは顕彰したいと思う。
 三位に推した『水界園丁』は、どう読んでどう味わえばよいのか、悩ましい句集であった。が、魅かれて抽出した句は二番目に多かった。所収句の総数を分母として割合を算出したら、一位になるかもしれないという句集を見過ごすわけにはいかないので、 上記の一位二位とはまるで性格の異なるこの句集を「三位」と呼んでよいのか、と思いながらも三位に推すことにした。
 抜きんでて面白かった『汗の果実』、威勢のよい『明朝体』、不思議な感性の『三〇一号室』などなど、それぞれに主義主張があり、個性の立った句集に出会えて幸いであった。



髙柳克弘

 「新しみは俳諧の花」の芭蕉の言葉を胸に、少しでもこれまでにない俳句の書き方がなされているものを選びたいと思って選考に臨んだ。つまり、自分には書けない句、自分に不安を与えてくれる句、「これは俳句なのだろうか?」と考えさせてくれる句を求めた。
 第一位に推した生駒大祐『水界園丁』は「吾に呉るるなら冬草に綴ぢし書を」といった美意識の高い句、「幸せになる双六の中の人」「ひぐまの子梢を愛す愛し合ふ」の力の抜けた可笑しみのある句、「天の川星踏み鳴らしつつ渡る」といったおおぶりの句など、手数の多い句集。「にはとりの首見えてゐる障子かな」「仏壇は真桑瓜より軽からむ」など奇妙な味わいの句はこの作者独自のもので、今後どのようにこうした作風が展開していくのか楽しみだ。二位に推した松本てふこ『汗の果実』は「炊飯器買つて良夜を帰りけり」など、通俗化を恐れない詠みぶりが光っている。「雪道を撮れば逢ひたくなつてをり」「メロン切る好きなバンドが解散する」の少し弛緩した文体には時代性を感じた。三位に推した諏佐英莉『やさしきひと』は題材の狭さは気になったが「校庭にフラフープ落ち天高し」のあっけらかんとした映像の魅力や、「冬眠のけもの起こさぬやうに泣く」の自然との関係の特異さに惹かれた。まだこの作者の中には開けられていない抽斗が多くあるに違いない。
 候補作から一句ずつ、心をつかまれた作を。「静物に蟷螂まぎれ描かれざる」(『楡の茂る頃とその前後』)「片耳のとばされてゐる雪兎」(『遠くの声』)、「カーネーション私は許され続けてる」(『未来一滴』)、「子供らも雪だるまだと気付かずに」(『幸福な夢想者の散歩』)、「瀧水の全部が粒に見ゆるとき」(『椎拾ふ』)、「サングラス畳まれ右の蔓が上」(『明朝体』)、「録音のやうな初音のなかにゐる」(『三〇一号室』)、「背中から乗り込む電車夏きざす」(『水になるまで』)。




選考経過報告

 第11回田中裕明賞の選考会は、8月15日の午後1時よりあたらしい選考委員(佐藤郁良、関悦史、髙田正子、髙柳克弘の各氏)によって行われました。新型コロナウイルスによる感染を避けるためにリモート会議による選考会となりました。
 選考委員は、あらかじめ良いと思われるものに3点、2点、1点をつけてもらい上位3位までを決めてもらいます。
 その結果、生駒大祐句集『水界園丁』6点、藤本夕衣句集『遠くの声』5点、藤永貴之句集『椎拾ふ』5点、松本てふこ句集『汗の果実』4点、藤田哲史句集『楡の茂る頃とその前後』3点、諏佐英莉句集『やさしきひと』1点という結果となりました。
 4人の選考委員のつけた最高点がそれぞれことなり、佐藤郁良選考委員は句集『椎拾ふ』、関悦史選考委員は句集『楡の茂る頃とその前後』、髙田正子選考委員は句集『遠くの声』、髙柳克弘選考委員は句集『水界園丁』と評価が分かれました。
 午後1時から途中に2度ほどの10分間の休憩をとる以外は、午後6時までほぼぶっ続けで、応募句集ひとつひとつに丁寧に向き合い評した結果、句集『水界園丁』の受賞ということになりました。
 佐藤選考委員より、『椎拾ふ』とのダブル受賞ということを視野にいれてもという提言もありましたが、やはりひとつの句集にしぼるということになり、また、完成度の高い句集よりも、これまでにない新しいものに挑戦しているものということで、『水界園丁』の受賞ということになりました。

 

ふらんす堂 山岡喜美子 

 

第11回 田中裕明賞候補作品

○『遠くの声』(藤本夕衣/2019年3月3日/ふらんす堂)
○『水界園丁』(生駒大祐/2019年6月28日/港の人)
○『未来一滴』(乾佐伎/2019年8月3日/コールサック社)
○『水になるまで』(倉持梨恵/2019年8月29日/ふらんす堂)
○『明朝体』(森下秋露/2019年6月28日/ふらんす堂)
○『椎拾ふ』(藤永貴之/2019年9月25日/ふらんす堂)
○『汗の果実』(松本てふこ/2019年11月20日/邑書林)
○『楡の茂る頃とその前後』(藤田哲史/2019年11月30日/左右社)
○『三〇一号室』(宮本佳世乃/2019年12月21日/港の人)
○『やさしきひと』(諏佐英莉/2019年12月15日/文學の森)
○『幸福な夢想者の散歩』(十月十日/2019年12月23日/デザインエッグ株式会社)

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