2021年 第12回 田中裕明賞

受賞者の言葉

如月 真菜(きさらぎ まな)

昭和50年3月27日東京生れ 六歳ごろから作句を始める
昭和59年 「花」に投句を始める昭和62年「童子」入会。辻桃子に師事
平成9年 「新童子賞」受賞
平成16年 「童子大賞」「わらべ賞」受賞

現在「童子」副主宰・日本伝統俳句協会会員

句集『蜜』『菊子』
入門書『写真で俳句をはじめよう』

 

 

若い頃は、俳句は自分で作るもの、自分の思うようにコントロールできるものと思っていました。俳句の賞も欲しいと思っていました。でも、『荘子』や『老子』を読むようになり、そういうことから自由になりました。自分自身が考えることなど大したことではない。まわりの環境こそ、抗えない自然や人生こそ、すごいのだと思うようになりました。
そして今、私が俳句を作る環境や、自分の思うようにはならない周囲の事情など、そういう自分で意図しない面がむしろ私と私の俳句を作っているのだと改めて実感しています。
ですから、今回の受賞は私のまわりにいる、私に俳句を作らせてくれた人たちの受賞だと思うのです。「童子」の連衆や、そして私を励ましてくれた人、チャンスを下さった方々のものだと感じているのです。ありがとうございました。 

 

 

選考委員の言葉

佐藤郁良

 今回は、応募句集が6篇と少なかったこともあり、上位3篇を選ぶのがかなり悩ましかった。それぞれの句集に魅力があり個性を感じる一方で、気になる点や残念なところもあり、突出した作品がなかったというのが、正直な感想である。
 その中で、私が一席に推したのは、最も安定感が感じられた篠崎央子氏の『火の貌』である。「伝票のうつすらと濡れ鱧料理」など日常の些細な場面を素材に拾ってくるセンスは抜群で、俳句ならではの良さが現れている。「かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる」など、身体を通して感覚的に世界を把握する感性にも強く惹かれた。一方で、後半に歴史を題材としたやや理知的・観念的な句が散見されたことは残念な点であった。最終的に強く推し切れなかったのは、そのような理由からである。
 二席に推した『琵琶行』は、多くの選考委員から最も票を集めた句集である。「外よりも土間の苗代寒なりき」のような安定感のある写生句や、「ガラムマサラ匂へる指も夏の果」など現代的な素材を扱った句に強く惹かれた。とりわけ「花虻に我が乳くさき体かな」は、子育てをする自分の体を客観的に捉え直す視点が新鮮に感じられ、女性の応募者が多かった今回の選考の中でも特に目を引いた。反面、やや情緒が古く感じられる句や、季語の近さが気になる句もあり、一席に推し切れないところもあったが、選考委員協議の結果、『琵琶行』が受賞作に決定したことは、納得のゆく結論であったと思う。
 三席には藤原暢子氏の『からだから』を推した。「傾きがその人である夏帽子」などには、作者独自の新鮮な把握が感じられて好感が持てた。一方で、「~になる」「~となる」の多用や、「風のかたち」「風待つかたち」などの類型的で甘い措辞が散見された点は、残念であった。ご自分の表現の癖に自覚的になることで、さらなる進化を期待したい。
 安里琉太氏の『式日』は、今回の応募者の中で唯一男性の句集であり、かつ他の応募者と比べて圧倒的に若い人の作品という点で、大いに目を引いた。「うつすらと濡れて粽の笹の嵩」などの安定した写生句のほか、「空瓶は蜥蜴を入れてより鳴らず」のように打消の措辞を効果的に用いて叙情を醸し出す手法など、若い人の作品とは思われない完成度を感じた。個人的に近しい関係にある作者であり、ともに吟行した際に作られた句なども多いことから、慣例にしたがって選外としたが、受賞まであと一歩の有力な候補であったことは間違いない。
 内田麻衣子氏の『私雨』は、社会へのシニカルさが底流に感じられた句集であった。中でも「アルカイックスマイルの群れ社会鍋」などは惹かれた句である。ただ、「~ている」「~てる」などの多用が大いに気になって、上位3篇には推せなかった。口語を詩に昇華させるための工夫が、もう一歩必要であったかもしれない。
 南沙月氏の『水の羽』は、ご自分の人生を等身大に詠んでいる姿勢に好感を持った。「旧姓に戻す通帳涼新た」は、季語も利いており、「通帳」という世俗的な素材をうまく詩に昇華できている。一方、「吾子」や「君」の多用は、句集全体の中で、弱さになってしまったように思う。表現を磨くことで、もう一歩前を目指していただければと思う。
 今回の選考を通じて強く感じたのは、それぞれの作者に表現の癖がかなりはっきりあるということである。ご自分ではなかなか意識しづらいことだが、まとまった句数になると、それが如実に現れてしまう。それを自覚し、表現のバリエーションを増やすことで、句集はさらに魅力的なものになるだろう。今回受賞を逃した方にも、大いにエールを送りたいと思う。



関悦史

 今回は数こそ6冊と少なかったものの、現在の俳句の動向、さまざまな方向性を反映したバラエティに富んだ候補作が揃ったと思う。
 そのなかで賞の対象として安里琉太『式日』、如月真菜『琵琶行』を考え、それぞれ1位、2位に推した。『式日』は前回の受賞作である生駒大祐『水界園丁』などにも通じる、言葉のつながりを洗い直しつつ再構築した審美的な世界を見せていたが、亜流ではなく、この作者固有の方法による完成度を見せている。一見インパクトが弱そうだが、その静かさに引き込まれるようにして、詩的テキストの読書体験としては最も濃密な時間が過ごせた。
 一方『琵琶行』は対照的に、いわゆる伝統俳句の様式に、作者の物事に動じない存在感を乗せる。それでいて句は鈍重に陥らず、粋さと華やぎを帯びている。出産、育児といった題材をも、その鮮度と手応えを保持したまま、情に溺れず、この作風で捌ききる剛腕ぶりに感嘆した。私はこの2作の同時受賞も可と思ったが賛同が得られず、『琵琶行』単独の受賞に同意した。
 私が3位とした内田麻衣子『私雨』は新興俳句の系譜。育児にとどまらず時事、社会をも積極的に詠む。ただしその様式はイロニーの圭角に富むだけでなく、口語調を多用しながらも、どこかモダニズム的な洒脱さを帯びる。数十年前からの前衛的文体に埋没せず、作者の身を通して現在の表現に昇華しようとしている点に好感を持った。
 篠崎央子『火の貌』は線の太い句集で、一時同時受賞の可能性も検討された。私も押してくる力では随一と感じたが、その力感が内容と確かにかみ合ったものか、修辞上の力みかという点で推しきれない句も散見された。



髙田正子

 今年は思いがけず俳人協会新人賞の選考委員も拝命することとなった。俳人協会のラインナップも充実していたが、協会で推した3冊のうち2冊が裕明賞にもエントリーしており、実に悩ましいこととなった。いや、最初は心強いと思ったのである。両賞の選考結果はこれまで異なることのほうが多かったが、一致していけないわけではない。実際、こちらでも推しの3冊のうちにその2冊が入った。だがこちらでは最初から順位をつけて提示しなければならない。それがいかに辛いことであったか。異なる個性の3冊に出会えた喜びと苦しみを同時に噛みしめることとなった。
 一位には『火の貌』を推すことにした。情熱の表明という点でこの作者は抜きん出ている。心の弾み(ときに苦しみ)を読者と共有する喜びを知っている人だ。〈有給休暇鴨の横顔流れゆく〉若い感性を表現しながら、ひとりよがりではない。〈夏至の夜の半熟の闇吸ひ眠る〉悩んだ末に私は情熱と共有感覚を優先することにしたのである。
 一位にもなり得る二位には、言葉に対する感度が抜群の『式日』を推した。〈陶枕の雲の冷えともつかぬもの〉〈火の一穢映してみづの澄みにけり〉この作者は感性を言葉に変換する術に長けている。二十代の句集としてはおそろしいほどの完成度だと思った。
 一位にもなり得る(しつこくて恐縮)三位は『琵琶行』とした。この句集は第一章がすばらしく良い。章全体から立ち上る香気があってうっとりした。また一集を通じて「土地」「子ども」という二本の明確な柱があり、今後もたゆまず安定感のある歩みを続ける作者だとも思った。
 『からだから』の「からだ」で(体当たりでとも言えようか)対象をとらえるあり方には共感した。『私雨』の飛び跳ねるような発想や、『水の羽』のオノマトペの使い方にも楽しませていただいた。



髙柳克弘

 第一位に押した如月真菜『琵琶行』は、自己を風土や歴史の中に置く複眼的・立体的な捉え方が特徴で、句に取り込む情報を増加させ、結果として一句にふくらみと重量感をもたらしている。劈頭の「つかのまを近江住まひや遠砧」は、世阿弥の能「砧」を踏まえ、古人と自己との接点に主体を創出した、堂々たる一句。吾子俳句においても、ただ愛着を垂れ流すばかりではない。我が子を過ぎ去りゆく万物の一つとして捉える冷徹さを兼ね備えていて、読みごたえがあった。「乳やつてゐる間に散りし桜かな」「音あるは虫籠の中や子の寝息」。
 二位に推した安里琉太『式日』は、物の認識の仕方が独特で、見慣れた世界が少し違って見えてくる愉悦がある。「空瓶は蜥蜴を入れてより鳴らず」は、空き瓶の実存とは入れ物であるのか楽器であるのか飼育小屋であるのかを考えさせる。「日本の元気なころの水着かな」のアイロニーや、「荷を置くに膝のほかなくおでん食ふ」のユーモアも上質だ。幅が広い分、作者自身の思想や美意識がつかみづらいもどかしさはあった。第三位に推した『私雨』は従来の詩の枠外から材料を取り込もうとする貪欲さに惹かれた。「造花紅葉や二十四時間レストラン」「着ぶくれて蕎麦屋で人の手に触れる」などは都会生活者の息苦しさを感じる。作者の主張をどう表わすのか、直接的なものが多かったが、間接的な書き方もあるはずだ。
 前回よりも対象句集は減少したが、どの句集もじゅうぶんに質的な達成を示していた。『火の貌』の「回遊魚は海の歯車十二月」は独自の感覚による見立てで回遊魚の哀れに迫った。「蟻の乗る列車は千葉へ向かひけり」(『からだから』)は「千葉」の字面が効いていて、旅の句として清新だった。『水の羽』の「生きたいと壁に手を当つ冬茜」は「壁に手を当つ」の身体に根差した表現ゆえに、「生きたい」の声に真実味が宿る。




選考経過報告

 第12回田中裕明賞の選考会は、5月1日の午後2時より、昨年に引きつづきリモート会議による選考会となりました。
 今回は6句集の応募があり、応募者のうち男性は二十代の安里琉太さんのみ、ほかの五名の方は三十代後半から四十代なかばの女性俳人となりました。また、女性俳人の場合、おおむねご自身の人生や生活を詠んだものが中心というのが特徴的でした。
 選考委員にあらかじめ選んでもらった結果、如月真菜句集『琵琶行』8点、安里琉太句集『式日』7点、篠崎央子句集『火の貌』6点、内田麻衣子句集『私雨』2点、藤原暢子句集『からだから』1点という結果となりました。
 選考対象は『琵琶行』『式日』『火の貌』の上位3位にしぼられ、そこで論議されることとなりました。
 如月真菜句集『琵琶行』は、髙柳選考委員が最高点の3点をいれ佐藤選考委員、関選考委員がそれぞれ2点、髙田選考委員は1点とすべての選考委員に評価されました。安里琉太句集『式日』は、関選考委員が3点、髙田選考委員と髙柳選考委員がそれぞれ2点、佐藤選考委員は俳誌や句会において作品に関わりが深いことにより点を入れるのを控えられました。『火の貌』は、佐藤、髙田選考委員がそれぞれ最高点の3点をいれましたが、関、髙柳選考委員は無点で、大きく評価がわかれました。
 3冊の句集についてさらに論議を重ねていくうちに、『琵琶行』の闊達にして安定した詠みぶり、季語のあしらいの良さや守備範囲の広さなどの評価がなされ受賞に決定しました。関選考委員より『式日』とのダブル受賞でもという提案もなされましたが、やはりその力の差において一つにしぼるということになりましたことを付け加えておきます。

 

ふらんす堂 山岡喜美子 

 

第12回 田中裕明賞候補作品

○『私雨』(内田麻衣子/2020年1月24日/ふらんす堂)
○『式日』(安里琉太/2020年2月29日/左右社)
○『火の貌』(篠崎央子/2020年8月1日/ふらんす堂)
○『水の羽』(南沙月/2020年8月1日/ふらんす堂)
○『からだから』(藤原暢子/2020年9月1日/文學の森)
○『琵琶行』(如月真菜/2020年9月4日/文學の森)

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