更新日2007/5/13
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▼単行本・句集 |
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伊勢宮川
いせみやがわ
吉田邦乎句集 |
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[よしだくにお 「春燈」会員 (1915〜)]
私家版
序文・安立公彦
装丁・君嶋真理子
四六判上製函入り総クロス装
168頁 2007.04.25刊行 |
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◆ 第一句集
「妻といふ詩の友ありて秋灯」三十年に及ぶ邦乎さんの作品を拝見して、まず感じたことは「愛憐」と「浄土」という言葉だった。愛憐は昭和の、浄土は平成の邦乎作品を統べていると思った。どの句にも静江さんの存在があり、愛憐も浄土も全て静江夫人に収斂していると思った。
(序より・安立公彦)
金婚やうす紅の冬木の芽
月ながめともに生きむと言ひをりしに
遍路杖すすぎ立て置く枕もと
鶯や旅の朝餉はゆつくりと
深秋の雲語りゐる山上湖
ポスターを貼りかへ春を待つ駅舎
病窓の眩しさ日脚伸びにけり
声かけて春泥の路地すれ違ふ
いかのぼり二つならぶを遠く見て
卒寿近き灯をたてまつる涅槃像
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◆ 第一句集
「蜩や静かにその人を赦す」この物語性はどうだろう。殊に〈蜩〉=晩夏(季語としては秋だが)の暗喩と合致して、季節の終末観を漂わせる。そして事の起は詳らかにはされていないが、やっと赦す気になった曲折を少々知りたい気分にさせる。
(中原道夫・序より)
大鳴戸渦より淑気起ち登る
でで虫や内に逆巻く沖津波
章魚の鬱矩形にをさめられてゐる
蜩や静かにその人を赦す
的中の矢音の響き天高し
満潮の刻迫りくる薄原
水葬の如き星座や枯野道
騙されてやるも度量や懐手
大縄跳びよもつひらさか行きもどり
金屏に鶴凍てしめて天守閣
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◆ 第一句集
「路地を這ふ一筋の水クリスマス」路地から這い出した一筋の水は、心を寄せ合って暮す庶民の暮らしの水である。その一筋の水の光は神の祝福であるかのように光を放っているのである。なんでもない日常の景が「クリスマス」という季語によって大きく膨らみ、幸福感さえもたらしているのである。
(序より村上喜代子)
食券のうらは水色つばめ来る
起重機の吊り上げさうな躑躅山
太宰忌や本のカバーをかけますか
その先の水を掴んで泳ぎきる
行き合ひの空より日照雨藍の花
子規庵に土蔵が残りちんちろりん
かりがねやひたすら屋根を塗つてをり
花柊言ひたきことを少しだけ
路地を這ふ一筋の水クリスマス
花種を蒔き誕辰を過ごしけり
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◆ 第三句集
『翠巒』は『北回帰線』『そっ(口+卒)啄』に続く第三句集である。秋葉さんは月に三回は私の句会に参加され、その後の酒席にも必ずご一緒いただくが、酒を呑んでいても粋を感じる江戸っ子で、その場を楽しくしていただいている。俳句のみならず、芸術全般にも博識を持ち備えている方なので、そこから湧きでる詞芸も豊かで味がある。先師登四郎の七回忌に合わせた出版になったことにも深い縁を感じる。
(能村研三・帯より)
喧嘩独楽はじき合うては寄り添へる
あす勢ふ形に干され祭足袋
えり(魚+入)簀編む竹の強情なだめては
春繊月沙漠の仮寝いかならむ
千貫を百の肩舁く夜の神輿
湯ざめ顔して朝の電飾ツリー街
翠巒の襞くつきりと田水張る
てくてくと私てふてふは秋の蝶
鳥葬の国をめざして鷹わたる
筆順に似て高嶺より枯れくだる
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◆ 第一句集
李博士から届いた最後の手紙は、平成十四年八月十三日付のものである。そこには、句集の訂正と、今も句作する至福の時間を楽しんでいる、という内容が書かれてあった。その四日後、博士は心臓病のために急逝された。私は、博士が院長を勤める安東市の病院から訃報を受けとって、暫く信じられず、茫然としていた。(略)博士は生前、句集がアメリカ在住の令息や令嬢、友人たち、そして多くの日本の俳人たちに読まれることを願っていた。この度の句集上梓がその願いに叶い、博士の御霊を少しでも鎮めることができるなら幸いである。
(鈴木貞雄「付記」より)
紅の翳かすかに揺らぐ深雪かな
ゆく雲のかげりに映ゆる花菜かな
末黒野の紫紺の空に三日の月
雪の香にいよよ緑の松葉かな
春雪の止みて樹幹の色黒く
手当れば温もり伝ふ冬木かな
万緑や抱かれし嬰の夢に笑み
白鳩の背すぢに澄める秋気かな
声もなく紅葉に佇てる一日かな
秋灯新書披けば薫りけり
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◆ 第二句集
やがて六月になれば百二歳の誕辰を迎える著者浮田胤子さんである。「元旦は百の日記の初めの日」「正月の恙は百歳の厄落とし」「初め」はいい言葉だと思えるし何より構造的把握がきちんと叶えられている点が何とも快い。ちょっとした体調不良を、いわば却って厄落としですと笑ってみせられるお元気もめでたく嬉しいが、同時に並並ならぬ意志力や句としての格調の高さの感じられるのが同行として喜ばしい限りだ。
(序より・辻田克己)
菊の花あまり好きではありません
見てごらん狐の皃のシクラメン
アメリカの曾孫の喃語初電話
仕事はじめ古きミシンをだましだまし
わが船場もう羽子をつく子もあらぬ
雪にスキー突きさしそこがスキー校
徒鵜匠ざぶざぶ河へ入り行く
春楽し犬と話をして居れば
白寿の春曾孫六人皆女
ノーベル賞老若二人豊の秋
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◆ 第一句集
笙鼓七波氏の句は、日本の伝統精神を根底に置きながら、それに西洋の詩精神を見事に調和させている。また、俳句の基本たる写実性を守りながら、その俳句を象徴詩的なシンボリズムにまで昇華させている。あくまでも俳句でありながら、詩でもあり得るという意欲的な試みが、ここになされているのである。
(帯・大輪靖宏)
水天の光りと翳り蓴生ふ
初蝶の光に化粧ふひらひらと
天降る蝶火焔となりて風と消ゆ
紫木蓮 火群なしてぞ昇りゆく
鍬形虫夜天の月を捧げ持つ
蹲踞の内にたゆたふ月天心
鮭遡る銀鱗キラリ跳躍す
寂として時止まりをる湖 の秋
黙契のごと 群集 せむ寒立馬
凍鶴のそつと脚替へ眠りをる
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◆ 第一句集
句集の題名に「青き踏む」と名付けられたのは集中の次の句からであろう。「ロボットの膝は柔らか青き踏む」現代的なモチーフを瑞々しい感覚で捉えて共感できる。「青き踏む」は新しい時代への俳句という大地へ踏み出す前進の象徴とおもわれて爽快である。
(序より・本橋定晴)
ロボットの膝は柔らか青き踏む
モスクワつ子もМакдоналдсへ春の街
旅なれば妻サングラスためらはず
新宿を丸洗ひして夕立去る
汗のシャツサッカー選手のやうに脱ぐ
恐竜の頸椎見上げ日焼けの子
袖で拭く信濃の旅の青林檎
理科室のヒトの骨格ちちろ鳴く
山寺のこんにやく熱き翁の忌
羽子板市モナリザ買はれ行きにけり
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◆ 第二句集
「気の狂れし渡り鳥あり北へ飛ぶ」
「殉教を願ひしか凍蝶となりたるは」
さまざまに表現された季語としての対象は、いずれも作者自身の化身であると言ってよいのであろう。これらは激しい情念の確かな形象化、もしくは昇華がなしとげられた秀句であろう。
(帯より・矢島渚男)
流氷の岸うつ音や言葉欲し
そっ啄といふ刻のあり土恋し
のりものに少し睡りぬ西行忌
生きのびむ雛のしもべとなるために
夜桜と夜桜までのくらさかな
転生の明りか花のあかりとは
夕べ来て津軽八十八夜かな
刃こぼれのわが身をさらす燕子花
空蝉の軽さにも似て独りなり
かなかなに浸されし夜の髪重し
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