更新日2007/11/11
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◆ 第二句集
最近の作品を読むと、作者の長年の研鑽が実を結び、句境が一段と深まっているのがわかる。具象を通し、具象を超えて、深層心理の世界にまで踏み込んでいる。しみじみとした年輪の味わいを感じさせる好句集である。
(序・岡本 眸)
茎立やものを書きては手を洗ひ
春逝くや家居のごとく墓地にゐて
一湾の茫々たるに氷旗
飲食にきちんと座る白露かな
つまづきて秋の蚊遣と気付きけり
目覚めたる掌に爽涼の畳かな
草の名を聞きては跼む秋日傘
男郎花打ち重なりて倒れけり
散木槿過去一片の暮色かな
屋根といふさびしきかたち寒夕焼
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◆ 第二詩集
稀にみる感受の質、そしてそれを
私達に手渡す純粋で繊細な言葉の「羽ばたき」―――
『エフェメール』には現在、詩の最前線で詩人が直面している
最も重要でかつスリリングな問題がすべて含まれている
(岩成達也・栞より)<
半透明の翅を揺らめかせ
時間と死をのせて
ゆっくりと流れていく
意識を離れて漂うもの
恍惚と 幽かに
(永遠)の方へ
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▼単行本・句集 |
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夏帯
なつおび
田中静穂句集 |
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[たなかしづほ(1913〜2007)]
定価 私家版
序文・延平いくと
装丁・君嶋真理子
A5判フランス装
240頁 2007.10.25刊行
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◆ 第三句集
田中禮孝、靜穂さんの夫婦句集『連理』が出版されてから、はや六年の歳月が流れた。その間、靜穂さんは亡き禮孝さんを偲びつつも、地域のための活動を淡々と続け、更に茶道江戸千家のためにも献身的につくされた。知識欲は相変らず旺盛で、海外旅行にも積極的に参加され、四代にわたって俳句を楽しむ恵まれた一家でもある。「墓誌銘に夫の名子の名梅雨深し」「想ひあらた遠くて近き終戦日」旧満州国の建国大学の助教授から応召され、生死不明であった御主人のことや、満州で亡くされた末子のことなど切々と胸をうつものがある。
(延平いくと)
濃りんだう句座に揃ひし四世代
かはほりや子の家へ夕餉庭づたひ
野菊咲く赤毛のアンの通学路
菜殻焚く筑紫野遠くなりにけり
陽炎ひて越し方の径はるかなり
辞書繰りて字画確かめ二月尽
葉桜やゆるりと生きむ米寿過ぎ
老たのし刻を自由に冬すみれ
寒明くる虎口逃れし思ひかな
再びの花見約せぬ老哀し
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◆ 第一句集
「炉話や火箸ときをり銃となり」炉話に熱中していつのまにか火箸が小道具に。「遅れ来て眼鏡くもりぬ牡丹鍋」眼鏡の玉のくもりに、遅刻してきた人のあわてている心理も表現。『豆剣士』の題名が示すように、
「泣初は面の中なり豆剣士」「面つける速さもきそひ寒稽古」など、剣道に励む子供の様子をいきいきと描き、まなざしに愛情が満ちている。生活実感の上に立ち、鋭い観察力とぬくもりにあふれる一巻である。
(鷹羽狩行)
日に一喜雲に一憂日向ぼこ
勾玉の垂れたるさまに秋茄子
あらそひのもとはといへば福袋
打つてみせ打たせてみせて寒稽古
鉄風鈴鳴つて南部の風を呼ぶ
いかのぼり糸におくれて落ちにけり
みちのくの星の見下ろす佞武多かな
探梅やときをり彦根城仰ぎ
はからずも見合となりし踊の夜
天よりの喝わが肩へ木の実落つ
(鷹羽狩行抽出)
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◆ 第一集
弘さんとは関西ペイントの先輩後輩で東京地区の各事業所の俳句同好者の集まりだった「俳扇会」のメンバーでした。『初時雨』上梓おめでとう申しあげます。これからも文芸の道に精進され、ご活躍されるのを大いに期待しております。
(椎名進一)
自選一〇句
春宵や挙句の果ての仮枕
初時雨亡き母のこと父のこと
子の本音妻より聞きし夜の秋
サックスや銀座静かに冬に入る
糸切れし凧に青空退職日
風吹けば風の形に花筏
秋刀魚焼く単身赴任のほろ苦し
ハンカチや本番開始五分前
幸せはこの眸にみえて初端午
冬木立固き握手の別れかな
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◆ 第二詩集
よく晴れた
風の強い日
私たちは空の一角でだれかを待っている
言葉は、空中をふわふわ浮いている夢のようなそれを掬おうとして、いっしゅん、その手の縁を掠めた「詩」の感触にふるえる。その、触れたという記憶の余韻。白い紙の上に書かれているものは、たぶんそういうものなんだろう。そこにはもう「詩」そのものは残っていない。ただ、けっして掬うことのできないものへの憧れと渇望があるだけで。
(あとがき)
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◆ 第一句集
本書の句の数々は海外詠の難しさをこえて、神原先生の体内から迸りでる詩心を纏めたものです。それは神原先生が百日間の旅行中は一旅人の眼ではなく、体ごとその場の景に参入し、じっくりと対象に向き合ったたまものに他なりません。次の世界一周はまた季節を変えての海外詠をたのしみに期待いたしております。
(鈴木良戈)
飛鳥U百日間世界一周航海旅行に参加して最も印象に残ったことは、訪れた国々の人達が皆素晴らしい笑顔と温かい握手で、日本からの旅人を迎えてくれたことでした。どんなに美しい景色も、どんなに素晴らしい文明も、人間のぬくもりには及ばない、ということをしみじみと思い知らされた旅でありました。この旅で出会った多くの人達の顔を思い出すと、また船に乗りたくなります。
(著者)
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◆ 俊英俳句叢書serie de la fleur
序句 狂ひ泣く童女光れり薮からし 原 裕
はばたきの水音となるみどり夜
これまでの句業を眺めると、自ずと〈俳句の品格〉ということに思い及ぶ。早い時期から詠風に風格と気品が窺われ、今日までしっかりと保たれ、磨かれているのだ。
(序)
○収録作品より
額白き駿馬走らす遠青嶺
八方に雲の峰立つ祖国かな
人ひとりはふりて森は万緑に
枯色は時に金色湖岸道
まなかひに大河の濁り耕せり
身を立てて海のこゑ聴く秋燕
初日いま身ぬちより湧く縄文語
須佐之男の裔の四股踏む春の山
蔓薔薇や眠り落ちたる酒の神
春雷や江戸の古地図に天地なし
萌ゆるかな千尋の谷のやぶからし
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◆ 現代俳句女流シリーズ燦2
者は鹿児島の西端、野間半島の笠沙が故郷だと言う。ことにこの地は『古事記』に名を留め、笠沙の浜が古代神々の遊行された場であると知れば、この歴史の背景を負った明媚な風光は定めし作者の望郷の場になろうと想像するに難くはない。私も海辺に住んだ歳月があり、渚の気配に親しく見惚れていたので、幼少時の体感を通したこの心の風景を俳句の原風景とする作者の認識には得心がゆく。思郷の風景との交響の意が表題の「響」に表われているように思えた。
(山上樹実雄)
自選一〇句
モネを見て春の日傘を愉しめり
薔薇百花壺中の家となるもよし
剪りたてのテ薬を供花しづくせり
ガス灯の名残の街の青葡萄
雄たけびをもて火祭りの始まれり
終戦日音の鳴り出す古時計
百日紅ひとつ道行く死者生者
大夕焼してスメタナの交響詩
舟曳きしあとがそのまま秋の浜
喪の人と落葉の音を分ちをり
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◆ 第一句集
人は何のために俳句を作るのか。俳句を作ることによって、世界の見え方がそれまでとは違ってくる。納得のいく俳句が出来て、自分はこの句を作るために俳句を始めたのだ、と思えることがある。中山さんの句集『海』には、そのような瞬間の数々が、白波のようにまばゆくきらめいている。
(小川軽舟)
冬の海見て来し夜の夢に父
花ユッカ青春の日の海がある
連想のはじめは雲や西行忌
海の絵に海のひびきや夏館
初秋のわれを待ちゐる机かな
寒雷や衣桁に夫の革ベルト
春雪や夫婦の時間減るばかり
おのづから膝におく手や春夕
まんばうの前汗の顔たて直す
俤や胡桃二つをころがして
(小川軽舟選)
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◆ 第八句集
『百済野』は二〇〇七年晩春までの五年間の作品収めた。『延年』につづくわたしの第八句集である。
俳句は極小の詩であるがゆえに無辺の詩。ある仏典にいう「一即一切、一切即一」の文芸たり得るかも知れぬという微かな思いもある。これは瞬時のうちに永遠があり、全世界が一つの現象のうちにあるという意味だという。思えば芭蕉はその域に達していた。
(あとがきより)
はんざきの小さき眼その宇宙
川のもの食べその涼しさをみてゐたり
秋茄子にまだ咲く花の映りをり
正直に腹減つてくる梅の花
秋深くなりゆくものに日のあたる
青春にありしチェーホフ枯野にあり
臘梅や朝の素顔のうつくしく
流星やいのちはいのち生みつづけ
凍蝶にある日届きし日差しかな
戦争がもぐらのやうに春の国
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◆ リブロ・件1/第二句集
かぜの子に敬礼をしてかぜ心地
四十歳で第一句集『桜桃』が出ました。あれから二十年、四季のうつろいの中で、小児科医、父、そして夫としての時間が流れました。暮しが言葉となり俳句になっていきました。
(あとがき)
私の好きな俳句・島谷征良
弁当四つ梅干四つ妻の留守
撫子や死を告げる息ととのへて
赤ちやん健診ちんぽこばかりの小六月
父よりの賀状もつとも字の多き
十六夜はウィーンに見ん旅用意
父でゐる時の眼鏡や青簾
きりきりと結はへて母の粽かな
聖樹据ゑて森のにほひの小児病棟
へんろ道落椿ふまぬやうふまぬやう
桂郎忌雨の「ぼるが」をのぞきたし
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◆ 第一句集
「春立つやヨガのポーズの鳥となり」
素材の面白さと典子さんのモダンな感覚が一致した時、類想のない若々しい句となる。掲句、鳥と化して瞑想する時「春立つ」を体感したのであろう。多面的な典子俳句の一面である。
(序・藤木倶子)
自選一〇句
命名の墨痕匂ふ初硯
裸婦像A恩師の個展あたたかし
友の声隔てて滝の落ちにけり
楷の樹の緑蔭に入り楷仰ぐ
ジーンズの脚くねらせて祭獅子
春立つやヨガのポーズの鳥となり
夫のものもう竿になし秋の雲
春寒し鍼灸院の人體圖
紅薔薇を活けてココアの香りかな
そぞろなる一歩一景冬紅葉
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◆ 第一句集
「風は秋鳥のかたちの梵字かな」
ゆかりさんの最近の句は個性に益々磨きがかかり、感覚の若さに裏打ちされた豊かな詩性を感じる。「風は秋」という上五の置き方も巧みで、「梵字」を鳥のかたちとみた思いは非凡である。
(能村研三)
自選一〇句
さざ波は鯨の尾より生れし波
月朧わたくしといふかたちかな
口中に動く舌あり花疲れ
春満月足裏つめたく眠りけり
田水張る山々を雲拭き上げて
かたつむり泣きたいときは殻に入る
泳ぐとはゆつくりと海纏ふこと
ジェットコースター炎帝どこにゐる
紙折れば生まるる影や終戦日
ことわりもなく満月のついてくる
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◆ 第二句集
秋の水ひかりの底を流れをり
ひとつひとつ絵を見るように、作者が選び取った光景を見、抽出した音を聞き、憧れを感じ取る。そうするうちに鳥の重さ以上のものが、心に残ることだろう。
(栞・西村和子)
硝子器に浸してありぬ花の枝
フランネル草夕空に息吐いてをり
夏至の太陽葬送の列にあり
遠花火われしづかさの底にゐる
濤音を歩きつづける月の海
けふ咲いてゐる花ふゆのはなわらび
どの石もゆふべの落花浴びてをり
夕立来る大き一枚硝子かな
深吉野の奥へ奥へと昼の月
五月雨や石はあかりのやうにあり
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◆ 第八句集
はつなつやかう書いてみむ巴芹なら
作句開始から三十有餘年、しかし私の内部では年毎に混沌の度合ひは増すばかり。その混沌の中にも新奇なものを発生させる秩序と胎動でも見られれば良いのだが。だから件のブケ・ガルニを擲(な)げ入れたとしても、さうは直ぐに研ぎ澄まされた一品は得られさうもない。なのに一輯を編むといふ大いなる矛盾、無分別。それをも重々承知して、蜥蜴の自切の尾ならぬ、自切の作を一歩でも前に進まんが故衆目に晒すこととする。
(あとがき)
鮎の針どこぞ故山にひつかかる
もてなすに裸になれと勧めたる
とみかうみあふみのくにのみゆきばれ
芽吹後の約束違ふではないか
竹馬や黄泉はぬかるといふ晴子
春深しどの家も間引く子のあらず
惨たるは金魚に深く避けたる尾
戀の字もまた古りにけり竈猫
やどかりのかりねのうさをはらすおと
日短か嵯峨も去来の墓の辺は
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◆ 第一句集
たとえば
「遠き日の花桐の下
少女過ぐ」
夢多き佳品と
思いました。
飯田龍太
フランス文学者にして詩人のはじめての句集
私は俊明さんの俳句との出会いを初々しいまでにと書いたが、それはこのような詩人としての難解なまでの形而上的世界を突き抜けた地点での自然の発見があった故だと思う。俳句は俊明さんの自然賛歌をおもいきり可能とした。しかし、俊明俳句がたんなる写生的自然詠に留まるはずはない。俳句に親しむにつれ成熟した詩人俊明が顔を出すようになってきている。そこには幼少期の体験ばかりでなしに、教養の域をはるかに越えた西欧体験がある。それが俊明俳句に形而上的な奥行を与えていることに私は注目する。すでに俊明でなければ出来ない俳句が生まれているのである。少し取り上げてみたい。
(松林尚志)
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◆ 全句集
冬麗や草に一本づつの影
戦後俳句を代表する女性俳人・桂信子の作品五二一八句を収録。昭和の激動期より、90歳でその生涯を終えるまで俳句をつくり続けた桂信子の作品の全貌をとらえる。自らを律することに厳しく、鷹のごとき激しさをその内奥に秘めた信子の作品は、女性ならではの瑞々しい抒情性と清高の気品を湛えている。
収録内容・第1句集『月光抄』 第2句集『女身』 第3句集『晩春』 第4句集『新緑』 第5句集『初夏』 第6句集『緑夜』 第7句集『草樹』 第8句集『樹影』 第9句集『花影』 第10句集『草影』 「『草影』以後」の作品を納める。
監修 ・ 宇多喜代子
栞 ・ 金子兜太 伊丹三樹彦 横山房子 室生幸太郎 松平盟子 坪内稔典 大木あまり 澤 好摩 仁平 勝 小澤 實
解題 ・ 宇多喜代子 年譜 丸山景子 吉田成子
季語別索引 初句索引
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◆ 第一句集
「逃水や犬一匹の溺れゆく」ここにある下坂さんの作品には自分を良く見せようというような作品などひとつもなく、等身大で息をしている。等身大を英語ではLife Size(d)と言うそうだが、小柄な下坂さんの“いのち”の大きさがそのままこの句集になった。
(帯・中原道夫)
十句抄
唐辛子噛みあてし貌ととのへる
御三時の御捻りとなる白芙蓉
茎立や大雁塔を手本とす
文庫本伏せて頂くお索麺
溢れ蚊や烏鷺たたかはす教室も
うつせみをいでてうつしみすがりをり
雁風呂の熱きと聞かばなほあはれ
外郎の離さぬナイフ薄暑光
逃水や犬一匹の溺れゆく
いちにちの冬日の匂ひして乾く
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◆ 第一句集
少し淋しげで 少しつまらなそうな 詩を書く若い女性が
俳句と出会って 退屈しなくなった
よき伴侶を得て ほんとうの詩人になった
彼女に訪れた風を 祝福したい(帯・西村和子)
「太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌」
一葉の素顔を説く多くの評論家は、彼女のなかなかのしたたかさを指摘する。しかし、誰が何と言おうと一葉は一葉であり、その文学の芳しいことに何ら変わるところはない。
(序・行方克巳)
太テエ女ト言ハレタ書イタ一葉忌
夢ばかり見てゐる初夢もなく
白地着て風を迎へにゆく日かな
猫はタマ犬はタローよ福寿草
浜昼顔見てさびしくて手をつなぐ
かなかなや断ち切るごとくテレビつけ
薔薇咲かせ母の美しかつた頃
息かけてビル倒さうか小六月
生きてゐることに気づかぬ雛かな
鳴神の訪れたりし夫の留守 (西村和子選)
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◆ 第一句集
ネクタイは彗星の尾よ夏はじめ
俳句では「写生」が重視されるように、とかく微細なものを丁寧に詠みこんでいくのが本道とされるが、このようにマクロ的なスケールの大きな見方は新しい俳句への挑戦の一つなのかも知れない。
(序)
春帽子置けば羽音がするだらう
シャボン玉どの一室に我ゐるや
アイスコーヒー二十時の男寂ぶ
観覧車夜空の泉汲んできし
亀生るる眼は小さき海なりし
死はいつも我ではなくて雲の峰
太陽の飛沫ぷちぷちプチトマト
露の朝吾も一滴として目覚む
秋の日や動く歩道の横歩く
太陽ははるかな孤島鳥渡る
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◆ 第一句集
完璧といふ曲線の寒卵
自然詠あり、人事詠あり、さらに動植物詠など極めて多彩である。一羊さんはかつて現代詩や短歌等に親しんだこともあり、詩的内容も豊かである。
(序)
涅槃図の破ればかりを見てをりぬ
もう声の届かぬ遠さ卒業子
手枕に春眠といふ重さかな
奇術師のごとく花出す蘇枋かな
みな少しづつは曲がつて葱坊主
水動かさず動き出す山椒魚
汗の子の火薬めきたる匂ひかな
打ち寄せしものをまた引き盆の波
露のせてゐて芋の葉の濡れてゐず
親も子も溶けてひとつに雪兎
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◆ 第一句集
「手品師の春著そこここふくらめり」うら子さんの最も大きな特徴は明るさとユーモアに富むところである。このような楽しいユーモラスな句が多いのは、うら子さん本来の性格的明るさに依るものである。
(有馬朗人)
自選一〇句
地の果てといふ名の岬黄水仙
ぽるとがるまでは届かず花菜風
からくりは律義に飛リの春祭
春宵の影美しき阿波の木偶
にかは煮て水打つて博多人形師
飲ませたき漢などあり鳥兜
一つ葉やひとりで逝きし殉教者
差し金で踊る狐火やもしれぬ
鯉こくの湯気はこばるる男坂
夢の字に似て冬麗の甍かな
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◆ 現代俳句女流シリーズ燦2
「清明や何も挿さざる壺の口」これほど「清明」の本意・本情を具体化した句はない。「汽罐車の黒一塊の淑気かな」「淑気」とはほど遠い存在に対して「淑気」を感じた。「澄む水にわが身の内も映らんか」「澄む水」のありようを、自分の心までも映し出すのものととらえた。鋭い感覚とレトリックが、一体となった業に圧倒される句集である。
(帯・鷹羽狩行)
鷹羽狩行抽出
汽罐車の黒一塊の淑気かな
畦を焼く十字なすとき火を強め
清明や何も挿さざる壺の口
草の葉のするどく夏の立ちにけり
潮の香のたちのぼりくる祭川
赤子てふ熱きもの抱き夜の秋
おのづから膝に手を置き涼新た
澄む水にわが身の内も映らんか
冬銀河まつくらな海動きけり
思ひ出しては炎あげ落葉焚
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◆ 俊英俳句叢書serie de la fleur
はくれんの祈りの天にとどきけり
ことばはあくまで易しく、しかし、発想は独自で鋭く繊細である。しかも、言葉に汚れがなく、透明で清純である。
(序・高橋悦男)
飛び越せぬ川のありけり鳥雲に
菜の花や明日を明るき日と思ふ
ソーダ水楽しき刻を飲み干して
いちまいの水となりゆく薄氷
踏青や背に透明な羽根生えて
銀漢や一生分といふ逢瀬
引く波は見えず十一月の海
星涼し夜空に沖のあるやうな
いくたびも白きもの翔つ冬の海
白鳥に似てセーターの厚き胸
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◆ 第四句集
石田波郷・石塚友二の系譜に直接つらなる生活俳句。「俳句は付合」という著者の人生諷詠の興趣は尽きない。
(綾部仁喜)
綾部仁喜選
金盞花師に叱られに来てをりぬ
草餅の手を引込めてしまひけり
年金と土用鰻を卓袱台に
濡れ縁にほつたらかしの籠枕
梅雨の葬そつとしてゐてやらうかな
芒野をまつすぐに来て半ばまで
人の家に憂さはらひをり衣被
雲呼んでゐる波郷忌の風少し
おでん酒決めかねてゐる退職日
生涯を廻り道して芋頭
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◆ 第四句集
農事にも円熟ということはある。著者の農俳句、頓にその風合を加えつつある。
(綾部仁喜)
綾部仁喜選
地の底に足が吸ひつく田草取
野萱草夕日に母の祈りをり
足あげてせかせごころの瓜の馬
納屋の釘春待つものを掛けにけり
生きてゐる土を叩きて畦塗れり
毛見衆のだんまりの目とすれ違ふ
村の田に水ゆきわたる粽かな
衣ずれのやうな音して稲熟るる
亥子餅われにこの母あるかぎり
坊領の村は百軒稲の花
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▼単行本・句集 |
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続消息春秋
ぞくしょうそくしゅんじゅう
玉木せいし句集 |
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[たまきせいし「若葉」「岬」「栃の芽」同人(1923〜)]
定価 私家版
装丁・君嶋真理子
四六判並製ビニールカバー掛け
192頁 2007.08.29刊行
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◆ 「消息春秋」に続く「続消息春秋」
突然ですが、「続消息春秋」と名付けた一書をお届け致します。変った書名ですが、それはこの書の上梓の意図するところが、年来の知己の方々に、私の晩年の消息をお報せして、永いご厚誼に謝することを第一にしているからであります。
(まえがきより)
蓮の葉の触れ合ふ音と気付きけり
七月、誘われて土浦へ蓮田を見に行った。水は落とされていて踏み入ることが出来たが、低い地鳴りのような音に驚いた。一望の蓮の葉が風に鳴っているのだと気付くまでには少し時間を要した。
三の酉出て一葉の町暗く
三の酉は十一月の最後の酉の日、浅草のこの夜の酉の市はもう寒いが、招福の熊手を買う人波で埋まる。樋口一葉が住んだ町は、市を出てすぐ近く。
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◆ 第一句集
大串さんは、大変控え目で目立ったことが嫌いである。従って、その俳句も才知に走ったり奇を衒うようなものはほとんど無い。あくまでも正々堂々と正面から対象にぶつかり、自分の目と心で確かめ自分の言葉で表現している。これが五十年間俳句に関わって到達した大串さんの信念に違いない。そこに句の確かさと存在感があると言える。
(序より・松田雄姿)
自選一〇句
一歳へ百一歳のお年玉
片言を雛にふやして納めをり
書斎とは名ばかりの部屋啄木忌
水音のして水見えず著莪の花
夏草を刈る団塊の世代かな
一匹の金魚に餌やひとりつ子
邯鄲の闇に百人耳澄ます
雁の列サーカス小屋の上をゆく
座布団の擦り切れてゐる藁仕事
産み月の牛を励ます息白し
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◆ 現代俳句文庫-62
既刊句集『百年の家』(全句)・『人麻呂の手紙』『ぽぽのあたり』『月光の音』(抄出)より四〇〇句を収録。エッセイ・解説付。
からっぽの鳥籠がありお正月
三月や人のきれいな膝小僧
ドーナツの穴が好きです牡丹雪
朝寝して耳のきれいな人のそば
大阪に頑固に住んで百日草
本題をそれてばっかり春の宵
ごろごろのかぼちゃにたまる夕日かな
ひまわりの三本までは、まあ許す
一羽いて雲雀の空になっている
恋人も河馬も晩夏の腰おろし
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◆ 第四句集
そらの青知り尽くしたり木守柿
鶏頭を剪り青空の流れ出す
拳骨の中は青空しぐれ去る
空青し冬には冬のもの食べて
水底に潜む青空冬木の芽
一冊の句集にこれだけ空の青さを詠んだ作品が並ぶことは珍しい。「さすが、書名通りの『青空』という句集だ」と思いながらも、一つのことに気付いた。ここで詠まれている空のほとんどは、夏の妙に健康的な青空ではなく、寒さの厳しい中での空や晩秋の空のように、どこかひじょうにけなげな青さなのだった。
(栞・より)
山が山押して夜の来る年の暮
空澄める上にも空の澄むごとし
にはとりに炎天の沖ありにけり
しんしんとビルにビル向くさくら冷
死後のことしつちやあいねえや夏旺ん
耳の中大き枯野のありにけり
鶏頭花ちやらんぽらんでありしかな
(収録作品より)
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