年老いて自宅にこもり療養すると
年老いはじめた妻が美しく見えてきたりする。
…
遠くに漂うのは少年の日に失った友情
淡いデカダンスを含んでいたその音楽。

清岡卓行『ひさしぶりのバッハ』
(2006年思潮社刊)より
フランス文は詩集のなかで引用されているアルフォンス・アレーの詩
一昨年亡くなった清岡さんの最晩年の詩を集めて詩集『ひさしぶりのバッハ』が刊行され、清岡さんが晩年を過ごされた東京の近郊東村山市の多摩湖のほとりでの、清澄な日々をうかがい知ることが出来ます。
抜粋した詩は「小康」と題する10行からなる詩の最初と最後の2行ずつ。心を明かすことを潔しとしない日本男性のぎこちなげな、しかししみじみとした浸透力のある、夫人へのラブレターになっています。
フランス文のほうは、この詩の訳ではなく、この詩集の「多摩湖」と題する6篇のソネットの第2篇の冒頭に引用されているアルフォンス・アレーの詩の断片です。アレーという詩人を私はこの詩で初めて知りましたが、花火をテーマにしたソネット第2に霊感を与えた詩なのでしょう。おおよその意味は、「おまえのからだをただの爆発物に変えるかわりに/わたしはそれを爆竹やローマ花火や爆雷や回転花火などなど/一そろいの花火にすることができる」というものです。
原口統三を描いた清岡さんの『海の瞳』を開いたまま、一晩中まんじりともしなかった記憶が私にあります。その記憶から離れられぬ視線からすれば、あの記憶があるからこそ、ご自分の余生を静かに大切に営まれた清岡さんの、少年の日に失った友情に今の穏やかな家族への愛を重ね合わせて、静かに旅立ちを待つ白鳥のような詩人の姿を見ることができます。
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