かわるがわる回る
わたしは二度わたしはわたしは
そして夜わたしはひとり。
またさらに
なぜあそこでとつぜんきみ
ずっと以前から昨日。
宇宙は横たわる
万人の眼の中に。海は
子供を呼んでいる。

Michelle Grangaud:“Des chaines de livres a la mer本は鎖になって海へ”
詩集『Etat civil戸籍』P.O.L 1998 より
言葉を伝えるには、脈絡が必要です。そうでなければコミュニケーションは成立しないでしょう。しかし本当に成立しないか? ミッシェル・グランゴーはその疑問の縁で詩を書いてきました。私はグランゴーという詩人を以前から知りながら、翻訳に向かったことはありませんでしたが、彼女の詩は英訳され、国際詩人フェスティバルにもたびたび招かれています。詩人である以外の何者でもない詩人として。ぎりぎり伝達可能のところまで文章を分解していく、という作業を、グランゴーは若い頃ウリポーの活動に加わりながら試みていました。ウリポーとは、例えばジョルジュ・ペレックのように、《e》の字を一切用いないで1篇の長編小説を書くというような、言葉の実験工房グループです。現在、フランスの詩には、ウリポーを代表とする実験的な書き方をする傾向と、反対に、自己と日常を書こうとする《新抒情派》と、おおよそ二つの傾向がありますが、グランゴーの詩を読んでいると、この二つの傾向を総合するような詩だとの感触を持ちます。
ミッシェル・グランゴーは1941年アルジェに生まれ、12歳からパリに住み、活動しています。マリ・エチエンヌともほぼ同じ世代で、私も同世代として眼が離せません。アルジェでの幼児体験が、彼女の文学的傾向に強く影響しており、そこが台湾生れの埴谷雄高を思い起させます。彼女のラブレターの相手は、多分、《本》でしょう。唯一自分を支え続けていくもの、現実の不平等と偏見の苦しみを超えるものとしての本が、彼女に上掲の詩の最終連「白い蝶たち/きみの本の下から見える/雪の上を舞っているのを。」をイメージさせるのでしょう。
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