自分の夜に
潜らなかった人は
地獄に
降りて行かなかった
返ってくるまなざしについて
かれは何がわかるだろうか
自分と向き合うことについて
生まれいずる苦悩について

Charles Juliet: 『戻り来るまなざし』より 有働薫訳
『対訳フランス現代詩アンソロジー』2001年思潮社刊より
シャルル・ジュリエにお目にかかったのは、1996年12月、ベケットとブラン・ヴァン・ヴェルデに関するエッセイがみすず書房から翻訳出版されたのを機に来日された折でした。詩人としてお名前を存じ上げていたので、記念の夕べに出席し、ご夫妻にお会いしました。翌日、東京の国立でジュリエ氏を囲む朗読会を持つことができました。1934年生まれの詩人は、パリ詩壇はもとよりリヨンを中心とする南仏での活動が際立っています。お目にかかって強い印象を受けたのは、夕食のとき、テーブルで活発に会話しながら、料理は僅かしか召し上がらす、お気に召さないかと問うと、たいへん美味しいとおっしゃり、ことにデザートはほとんど詩人のお口に入らず、周囲の人たちに分け与えられてしまいました。後から思い返して、最後の晩餐あるいはエマオでのキリストもあんなふうではなかったかと想像しました。ジャンヌ・ダルクも食事のパンと水でうすめたぶどう酒を少ししか取らなかったと、周囲の者から証言されていることも考え合わせたりして、ヨーロッパキリスト教の精神のある面に接したように思いました。ジュリエ氏の人となりは、ひとことで言えば、「静か」でしょうが、その静かさは、「自分を明晰にしようとする執拗な努力の一方で、…他者への並々ならぬ傾聴や、世界に向けての開かれた柔軟な態度」(アンヌ・ストリューヴ教授の評)、この世界を愛するが故に自己の身を深く引いて位置する、現代人としての姿勢なのです。
上掲の詩の後半は「かれは何がわかるだろうか/戦闘の激しさについて/底知らずの苦境について/断末魔の恐怖について//かれは何がわかるだろうか/死を/受け入れることから/何が生まれてくるかを」と歌われています。
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