ぼくは、きみの心のなかにはいりこむまい。それの記憶をかぎられたものとしてしまうから。きみの口を口づけでとざすまい。それが、青くひろがる大気と出発の渇望とへと、ほころびひらくのをさまたげることになるから。ぼくは、きみの心の自由でありたい。夜が見いだされないものとなるまでは、永遠の戸口をよぎるいのちの風でありたい。


ルネ・シャールの詩は人生の折々でくりかえし読まれ、そのたびに深められる詩です。同時代のルイ・アラゴンは生前フランス社会全体から尊敬され、愛された詩人でした。シャールもそのように国民的にたいへん尊敬されていますが、アラゴンの愛されかたとはすこしニュアンスが違っています。ご本人はたいへん素朴で、人見知りの激しい性格の持ち主だったようです。人間のある面の特性が強く表れた性格といえばいいのでしょうか。飾らない、やるべきことはだまってきちんとやる、つねに生れてきたありのままの自分で居るというタイプの、自ずから社会のリーダーであり、詩人であってもなくても変らない。あるときシャールの詩はすべてラブレターだな、と感じたことがあります。故郷のソルグ河の、ゆったりと涼しいさざ波のようで、けして情熱的で押し付けがましい手紙ではないのです。自然が人間を作るのかもしれません。上掲の詩「マルト」の省略した前半のセンテンスでは、愛し合うことは二輪の細いけしの花がかさなりもつれあって巨大な一輪のアネモネになることだと、印象深い表現をしています。シャールの愛の詩には、「ぼくの女狐よ」、「カラヴォンの水車小屋」など、ほかの詩人には見られない独自性があります。読んでいると、手をつないで散歩に行くときのような幸福感、充実感が湧いて来ます。見守ってくれる、というのでしょうか。そばにいて、暖かい視線を感じていることができる、女性から見て理想の男性だったかもしれないのに、生涯独身だったなんて…。いや、最晩年に彼は長年にわたって自分の作品の出版元だったガリマール社の美しい編集者と結婚し、自分の死後の一切を彼女に託しました。故郷のリル・シュル・ラ・ソルグ市にあるルネ・シャール記念館( )の現在の館長であり、市の助役であるマリ=クロード・シャールがその人です。
|