ぼくは星の中できみに出会う
ぼくは死の中できみに出会う
きみはぼくの口の中の凝(こご)り
きみは死んだ女の臭いがする
…
きみは恐怖のように美しい
きみは死んだ女のように気が狂っている


ジョルジュ・バタイユの名は、わが国ではエロティシズムという言葉と対のようにして想起されますが、若き日のバタイユの写真を数枚見ると、これほど暗く、重苦しい表情の人物もめずらしいとさえ思ってしまい(写真の古さからそんな雰囲気になるのかもしれません)、さらにその同じ人物が壮年に達してこれほど明るい知性の光をオーラのように放つ紳士になるのも驚きだと、考え込んでしまいます。私がバタイユの本と正面から向き合ったのはとてもおそく、15世紀の英雄ジャンヌ・ダルクについての本を探す過程で出会ったジル・ド・レー論が最初でした。ご存知の通り、少女戦士ジャンヌを補佐した将軍たちのひとりがブルターニュ出身の若い騎士ジル・ド・レーでした。だがジルを歴史の上に深く刻印したのは、この青春の輝かしさではなく、稀代の悪としてのその後半の生涯でした。バタイユはたいていの人が関心を持つことさえ避けてしまうこの人物の人となりを見極めようと渾身の努力をしています。人間に潜む悪、欲望やエロティシズム、人間の根源的な暗部に強い光を当て、世界のすべては認識可能だとするフランス精神の精髄を具現する知性人として自分を鍛え上げました。(生田耕作氏によれば、マンディアルグに言わせれば、バタイユは一生「図書館」で過ごした静かな男でしかないとのことですが。)
上掲の詩は、『大天使およびその他の詩』とタイトルがついており、ベルナール・ノエルがバタイユの死後に編集出版した詩集からの抜粋です。これらの詩は発表するためのものではなく、エスキース風に驚くほどシンプルで、40代の頃書かれたようです。真中の省略した連は「きみの乳房は棺のように開き/彼方からぼくに笑いかける/きみの二つの長い腿はうわごとを言い/きみの腹はあえぎのようにむき出し」と、かなり具体的で「図書館」という悪口も蹴とばしてしまいそうです。詩的散文『マダム・エドワルダ』を読むと、吉行淳之介に通じるものを感じます。
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