
《三月五日》鐘が鳴る シャボンの玉が空を吞みこむ
Sinapos Ri は、最後のページにこう記した。
「時間は流れ続ける。
真空魚はその体表を撫でるように泳ぎ、
その鱗は次々に剥がれ落ちる。
だが、それはすぐに拾われるわけでも、かならず拾われるわけでもない。
もしその鱗が誰にも拾われなかったとしても、
失われたようにみえたとしても、
失われているのは鱗ではなく、
それを探し求める者の視線であったかもしれない。
それは、
何かが消えていくのではなく、
たんにそれを見つけるための「眼」が
そこになかっただけのことかもしれない。」
(Sinapos Ri, The Scales of the Vacuum Fish: Writing and the Drift of Time, Aeon Press, 1963.)
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