《三月八日》鱗屑うろくづを背におぼろ夜をおよぐなり

これは、シダラン族の文字観とよく似ている。彼らにとって文字とは、時間でありながらも時間の流れに属さないものだった。時間の遊泳者である真空魚の身から剝がれ、あてどなくさまよううろこ。雲を喰うという行為は、それを口に含み、何かを掴んだつもりになることだ。でも、それは時間そのものではなく、その塵にすぎない。喰えば喰うほど、真空魚と一体となった空の広がりがわからなくなる。

著者略歴

小津夜景(おづ・やけい)

1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。

(ヘッダー写真:小津夜景)

 

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バックナンバー

  • 3月23日:木蓮のあくびを聞いた気がした日
  • 3月22日:路地裏の猫が焦げたるネガの色
  • 3月21日:寝返ればネーブルの酸に舌目覚め
  • 3月20日:橋脚の錆びの向かうの謝肉祭
  • 3月19日:スイッチのならぶ廊下や朧月
  • 3月18日:暮れかぬるエレベーターの中二階
  • 3月17日:自画像の目と目が合ひて龍天に
  • 3月16日:ネーブルや切符売り場の窓ひらく
  • 3月15日:子犬とメトロ三月を折り返す
  • 3月14日:贋札の一枚まじる辛夷かな
  • 3月13日:クロッカスひとつ遅れて鳴る時計
  • 3月12日:海賊盤ウィリアム・バロウズの春を愛し
  • 3月11日:鳥帰るまでの恋とは知らざりき
  • 3月10日:ひなぎくに八十と九の闇ありぬ
  • 3月9日:潮に熨すイグナティウスの春衣かな
  • 3月8日:鱗屑を背におぼろ夜をおよぐなり
  • 3月7日:ミラー越しもうひとつ在る岬に蝶
  • 3月6日:青信号淡き春日の流音奏
  • 3月5日:鐘が鳴る シャボンの玉が空を吞みこむ
  • 3月4日:婚礼の日の流木に泡立つ蝶
  • 3月3日:レタス食み無言で過ごすひとときの
  • 3月2日:彫り跡にオトメツバキの微睡む夕
  • 3月1日:うららかや雲母の縁のほろり崩ゆ

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