受賞者の言葉
高柳 克弘(たかやなぎ かつひろ)
1980年浜松生まれ。
東京都在住。
俳誌「鷹」編集長。
2004年第19回俳句研究賞受賞。
2008年評論集『凛然たる青春』(富士見書房刊)にて第22回俳人協会評論新人賞受賞。
ほかに『芭蕉の一句』(ふらんす堂刊)。
俳人協会会員 日本文藝家協会会員。
田中裕明氏の句に「水遊びする子に先生から手紙」という句があります。
年々、私の中で存在感を増している一句です。写実的であるとか、人生観が現れているとか、そういったありきたりの批評語のくくりに容易に回収されてしまう句は多いにもかかわらず、この一句には、どうしてもそうしたレッテルを貼ることができないのです。伝統あるいは前衛という、俳句史において当たり前のように通用してきた区分すら、この句の前では無意味に思えてきます。飛び散る飛沫、夏の日差し、そこへ届けられる一通のまっしろな手紙――この句にたたえられた過剰なほどの眩しい光は、世界に充満している穢れを一瞬だけ見えなくさせます(もちろん、その過剰さが、かえってあらゆる醜悪や汚辱を照射するところもあります)。私の俳句も、そうした一句でありたいと願っています。
畏敬する作家、田中裕明の名を冠する賞をいただけたこと、光栄です。
選考委員のみなさまをはじめ、賞の選考に携わってくださったすべてのかたがたに感謝いたします。
この賞の名に恥じないよう、今後も俳句の道を深めてゆければと考えています。
選考委員の言葉
石田郷子
第一回目の選考とあって、少なからず緊張した。田中さんが愛した俳句を、愛し、貢献してくれる人を……! と強く願って臨んだのである。
小川さんにならって、私が刊行に係わった後閑達雄句集『卵』を除き3冊を推したが、『卵』もナイーブで素晴らしい句集である。
二位に推した遠藤千鶴羽句集『暁』は、女性らしい逞しさがあり、生活実感として共感するものが多かった。三位に推した三好万美句集『満ち潮』は俳句を手段の一つとしているのではなく、俳句という形式に思いを委ねるという潔さと清々しさを感じた。
しかし、一位に推した高柳克弘句集『未踏』は、丁寧な句づくりで透明感のある叙情と、またそこにとどまるまいという表現者らしい意欲を感じさせてくれて、もっとも頼もしいと思った。かすかな迷いやニヒリズムもあったかもしれない。それも俳句という形式への情熱ゆえのことだろう。
おそらくこれまでも、若い人の少ない俳句の世界で、もみくちゃにされながら歩んできているだろうと想像しているが、それに耐え得るしたたかさも持ち合わせているに違いない。
そう確信して、最終選考の段階では強く推した。
高柳克弘さんの受賞を心から喜んでいる。
そして、どの句集ももっと多くの人に読まれて欲しいと思う。
小川軽舟
私が一位に推した後閑達雄の句集『卵』は穏やかなタッチの日常詠の集成である。社会に十分適応できない人生を嘆くでもなく、それを日常として坦々と受け容れる。そのスタンスがいかにも現代的だと思われた。
〈蜜柑むく大人四人の家族かな〉にはパラサイトシングルと呼ばれる社会現象が暗示されているのだろう。「家族」といえば子どもを連想する常識を裏切って、作者自身の日常を示す。これからどんな現代を詠ってくれるのか楽しみな作者だ。
二位に推した小川春休の『銀の泡』は、〈風船の割れて結び目残りけり〉など、どんな些事にも感興を見出すテクニックに舌を巻く。ただし、古いものを好む姿勢がちょっと目立ち過ぎないか。三位とした遠藤千鶴羽の『暁』は、既に第二句集ということで安定感があった。〈白菜に菜虫の穴のどこまでも〉と詠む素直な目に個性の芯が通るようになるとさらに成長するだろう。
受賞した髙柳克弘の『未踏』は出版に関わったので推薦対象から除外したが、現在台頭しつつある若手俳人たちを代表する力量を遺憾なく発揮していると思う。田中裕明賞の幕開けにふさわしい句集の受賞を歓びたい。
岸本尚毅
高柳克弘句集『未踏』には、狙い澄ましたような青春性の演出があり、また、その文体は総じて安定感がある。そのため、読者によっては「老成」との印象を持つかもしれない。しかし、俳句の型を本当に自分のものにし、駆使することは容易いことではない。俳句という器を使いこなそうとする「苦労の痕跡」が見える句集が多い中で、『未踏』における自在さの程度は図抜けており、「裕明」の賞に相応しい。
斉木直哉句集『強さの探求』にも惹かれた。句の切目で一字を空ける表記や、漢語を中心とするインパクトの強い語彙の多用は「危なっかしい」作り方ではあるが、強烈な説得力を感じた。このような読後感をもたらしたものは、著者の境涯への「察し」では決してなく、あくまでも作品自体の力であったと考える。
後閑達雄句集『卵』は、脱力系の作品が、読み手の心にスーッと入って来るところに独自の魅力を強く感じ、これも推したい句集であった。
以上三冊が図抜けていると感じたが、他の句集も読み応えがあった。『銀の泡』はアベレージ・ヒッター的地力が感じられただけに、その強靱な足腰を生かして、もっと「攻め」の俳句を期待したいところである。
四ツ谷龍
私が推したのは、斉木直哉氏の『強さの探求』であった。
斉木氏の作品からは、俳句を作ることによって自分の生を発露させなければならぬという、強い意思が伝わってきた。このような力は、現代の俳句にもっとも不足しているものであると思った。感動し、興奮しながら、一気に句集を読みきった。
大いなる 虚空に伸びし 日脚かな
劇団の 声寒林を 震はしぬ
菱形の 子ら菱形の 夏燕
どの眼にも 髪まつはりて 青嵐
敷石を しろがねとしぬ 落葉掻
軒を辞し 濡るる自由や 夏の雨
伏して聴く 我が秒針や 春炬燵
斉木氏は、目に見えない存在をことばによって可視化することに相当成功している。現実には存在しない色彩、実際にはありえない形、日常に聴いているもの以上の音などを描いて、それらに明確なリアリティを与えていた。
受賞の高柳克弘氏『未踏』も立派な句集である。既存の概念にとらわれずに自分の心のありかただけをさらに厳しく追求していけば、スケールの大きな俳人として成長する可能性のある人だと思った。
後閑達雄氏の『卵』は、粒のそろった俳句を集めた好句集であった。心持にユーモアのあるところが良いと思った。正攻法の力強い作があと少しあればと惜しまれた。
選考経過報告
今回は第一回目ということもあり候補句集は八冊であった。
選考委員には、それぞれの句集よりいいと思うものを三句集選び3点2点1点と点数をつけてもらい、選考委員会でその結果について討議することとした。その際、選考委員は編集においてかかわったものには3点をつけないことをお願いした。
結果、高柳克弘句集『未踏』が最高点を獲得し、選考委員会の討議においてもほかの実力ある句集のなかでも優れた句集として今回の決定となった。
詳細は冊子「第一回田中裕明賞」に掲載する予定であるが、受賞をのがしたすべての句集の可能性についても選考委員の感想を掲載する予定である。
今回の選考委員会において、小川軽舟委員は句集『未踏』を石田郷子委員は句集『卵』を編集に関わったとして、それぞれ無点としたことを記しておく。
ふらんす堂 山岡喜美子
第一回 田中裕明賞候補作品
○三好万美句集『満ち潮』 2009年3月12日 創風社刊
○高遠朱音句集『ナイトフライヤー』 2009年3月18日 ふらんす堂
○高柳克弘句集『未踏』 2009年6月22日 ふらんす堂
○佐藤清美句集『月磨きの少年』 2009年8月15日 鬣の会
○遠藤千鶴羽句集『暁』 2009年8月18日 ふらんす堂
○後閑達雄句集『卵』 2009年9月10日 ふらんす堂
○小川春休句集『銀の泡』 2009年10月1日 (株)タカトープリントメディア
○斉木直哉句集『強さの探求』 2009年12月25日 私家版