受賞者の言葉
津川 絵理子(つがわ えりこ)
1968年生れ 1991年「南風」入会
鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事
2007年第30回俳人協会新人賞、第53回角川俳句賞受賞
2013年第1回星野立子賞受賞
句集『和音』(2006)
南風副代表 俳人協会会員
俳句を始めたのは学生時代の終り頃だったが、いつの間にか歳月が過ぎ去ったことに驚いている。今日と同じ日は無い、ということを、私は俳句に教えられた。俳句とともに生きられる有難さを思う。
選考委員の先生方に大変お世話になりましたこと、心より御礼申し上げます。山上樹実雄先生、鷲谷七菜子先生、句友のみなさん、家族に感謝します。
選考委員の言葉
石田郷子
このたびの選考では、今までにも増して、どの句集もきらきらと輝いて見え、私などが手を触れてはならないのではないかとさえ思い悩み、真実、棄権したかった。
一位に推した宮本佳世乃さん。〈手袋を片方はづし濤の音〉の俳句らしい作り方もいいし、〈むささびの眼がふつと弓を引く〉など捉えたものをすっと言葉にしたような作品が強く心に残った。片言めいて危うさのある句があっても、それを傷とは思わない。二位の山田露結さん。〈たんぽぽに踏まるるつもりありにけり〉。小さなものにも同じ高さの目線で対することの出来る人だ。〈噴水が人の代はりに立つてゐる〉など、これはものの本質を見抜く力なのではないか。初心を忘れないで欲しい作家だ。三位には御中虫さん。何よりも自分の思うこと、感じたことに誠実であるという、そこに感動した。ぶれないのだ。それはあらゆる表現に必須のことではないか。でも、前書きから後書きまで一気に丸ごと全部でないと鑑賞できない。関悦史さんのことを知らない人には通じないだろうという、審査員の指摘にも頷ける。
矛盾するようだけれど、『はじまりの樹』の受賞には、むしろほっとしたし、嬉しかった。完成度が高く色褪せない作品群だと思う。『光まみれの蜂』は、玉石混淆の感があったが、「玉」はとっておきの大粒だ。「石」と見えるのは、あるいは未知の世界へ導いてくれる原石かもしれない。『熊野曼荼羅』の堀本さんは、今後大いに活躍される方だろう。『俳諧曽我』は、すでに作家として認められた人ならではの作品で、『関揺れる』同様、全体としてみなくてはならない句集だと思ったのだが、そうとも言い切れないところがあって、未消化のままである。
小川軽舟
七冊そろって新しい時代の俳句を形作ろうとする意欲に満ち、どれを推すか選考委員として興奮を覚えた。
私が一位としたのは神野紗希の『光まみれの蜂』。短歌の世界で若い歌人たちの作品がすでに日常と等身大の口語、新かなによる文体をいきいきと駆使しているのに対して、俳句ではそれが実に難しい。詩型の違いによるものではあるが、若い俳人でも旧かな愛好者が多い。神野さんの作品は、代表作の「寂しいと言い私を蔦にせよ」をはじめとして、新かなにこだわり、新かなにふさわしい文体を工夫してきた軌跡がすがすがしい。
二位とした津川絵理子の『はじまりの朝』は生活の中での発見にあふれ、作品一つ一つが粒だっている。「切り口のざくざく増えて韮にほふ」など、ちょっと見方を変えるだけで世界が手つかずの新鮮さで現れる。受賞作となったことに私も納得している。
三位は堀本裕樹の『熊野曼荼羅』。産土である熊野だけをテーマに第一句集をまとめあげた力量には感服する。「口移しするごとく野火放たれぬ」の比喩のぞくぞくするような息遣い。テーマと著者の若さがぶつかりあって快い。
高山れおなの『俳諧曽我』は五七五の埒外に裾野を広げて鬱勃たる巨峰の印象。圧倒的な筆力だが、一句で屹立する作品がほしかった。御中虫の『関揺れる』は季題に代わる題詠の試みが現代的。機略縦横であらためて著者の言葉のリズム感に感心した。宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』の詩情、山田露結『ホーム・スウィート・ホーム』の哀愁にも惹かれた。七冊が七冊、個性を主張して競い立っていた。
岸本尚毅
一位に推した『はじまりの樹』は粒ぞろいの句の揃った句集であるが、その中に「縫うて着て簡単服の昼長し」「すこしづつ皮余らせて大蛇老ゆ」「義仲寺を行つたりきたり秋扇」のような句があることに期待する。もっともっと俳句の深淵を見せてくれる作家だと確信する。
二位にはあえて『俳諧曽我』を推した。一句独立の蓄積、あるいは、ある程度トーンの揃った句風で勝負する句集が一般的だが、『俳諧曽我』は良くも悪くも、精巧なおもちゃ箱のような句集のあり方を見せてくれた。その匠気を評価したいと思う。
三位には『光まみれの蜂』を推した。「ある星の末期の光来つつあり」のような本格的無季句。「桃の花老人はみな眩しさう」「もの書けるほどにあらねど月明し」などいろいろな可能性を包蔵した作家であり、期待したい。
『熊野曼荼羅』は、「鷹とわれ打ち響きたる峠かな」「北風や熊笹は眼を切るごとし」「かつて人焼きし磧や居待月」「思ほゆる灘や桔梗の碧深し」などの気迫、格調に注目した。今どき珍しい句集と言ってもよい。惜しむらくは一句の中、句集全体の中での緩急が足らないところ。「力作」を並べることは読者に負担を強いることになる。上手に力を抜けば「剛球」がさらに生きると思う。
『ホームスウィートホーム』は、「掛けてある妻のコートや妻のごとし」「空はたえず海を吸ひ上げ稲の花」「秋暑し掃除機と妻動き出す」「元禄の遠し西鶴忌の近し」「いちはやく霞む美談でありにけり」「春なれや波の音する洗濯機」など、とにかく面白く読ませる技が素晴らしいと思った。今後は「春光や鴎の中をゆくかもめ」のようなタイプの句も掘り下げて欲しい。
『鳥飛ぶ仕組む』の「洗濯を終へて秋めくおばあさん」「カーディガンかけたる椅子や飛ぶ」「弁当の本質は肉運動会」はなかなか誰にでも出来る句ではない。『関揺れる』は、句毎に関悦史氏の姿が浮かぶ。「本日は関のち揺れとなるでしょう』等の句々に抱腹絶倒するたびに震災のこと(正確に言えば、虫氏が自問しているような、震災と自分との関係)が心に苦く蘇って来る。
四ツ谷龍
私が一位に推したのは、津川絵理子句集『はじまりの樹』であった。一句を印象させるうえでの成否のポイントをよく掴んでいるところがみごとであった。
サルビアや砂にしたたる午後の影
サルビアが水はけのよい土を好む植物であるというところを的確に押さえ、また影が「落ちる」とか「こぼれる」とか言わず「したたる」と表現しているところに踏み込みがある。さらにS音の頭韻から一転して下五で重いG音が三回打たれるという明暗の対比が鮮烈である。
梅雨空といふ縦長の景色かな
ひつそり減るタイヤの空気鳥雲に
俳句は、俳句以上のものであってほしい、という考えが私にはある。その意味で津川作品には、「あまりにも俳句である」という側面がなくはない。しかし俳句以上のものを獲るためには、俳句の要諦を理解するということも重要なのだ。津川絵理子の「さらなる一歩」を期待したい。
二位に推した堀本裕樹『熊野曼荼羅』は、ことばを強く押し重ねていく表現意欲に魅力がある。ただ、その裏返しとして安易な反復(リフレイン)が多く、無駄にことばを使っているという弱点も抱えているように思った。
宮本佳世乃『鳥飛ぶ仕組み』からは、素直であることの美質を教えられる。表現する前に材料をもうひと息煮詰めて、ふかく自分の感覚を引き出すくふうがあればと思う。
点は入れなかったが、御中虫『関揺れる』は、世に流布する震災を題材とした俳句に対する痛烈な風刺をこめた一書である。賞という枠で評価するよりも、もっと違う場面で取り上げられるべき句集と判断して採点対象にしなかったが、出版の意義を讃えたい。
選考経過報告
第4回田中裕明賞の選考会は、4月29日にふらんす堂内にて午後1時より午後5時まで4時間にわたって行われた。
応募句集は、全部で7冊。この中から選考委員に3冊の句集を選び、よいと思ったものに3点、2点、1点と点数をつけ選考日の前日までに連絡して頂いた。
結果は津川絵理子句集『はじまりの樹』8点、神野紗希句集『光まみれの蜂』4点、宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』4点、堀本裕樹句集『熊野曼荼羅』3点、高山れおな句集『俳諧曽我』2点、山田露結句集『ホーム・スウィート・ホーム』2点、御中虫句集『関揺れる』1点という結果となった。
この結果をもとに、あらためて一冊一冊について討議をかさねた結果、最初の選考どおり津川絵理子句集『はじまりの樹』が、選考委員全員の了解のもとに第4回田中裕明賞に決定した。
ふらんす堂 山岡喜美子
第四回 田中裕明賞候補作品
○御中虫句集『関揺れる』(2012年3月31日 邑書林刊行)
○神野紗希句集『光まみれの蜂』(2012年4月12日 角川書店刊行)
○津川絵理子句集『はじまりの樹』(2012年8月11日 ふらんす堂刊行)
○堀本裕樹句集『熊野曼荼羅』(2012年9月15日 文學の森刊行)
○髙山れおな句集『俳諧曽我』(2012年10月31日 書肆絵と本刊行)
○山田露結句集『ホーム・スウィート・ホーム』(2012年12月12日 邑書林刊行)
○宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』(2012年12月25日刊行 現代俳句協会刊行)