2014年 第5回 田中裕明賞

受賞者の言葉

榮 猿丸(さかえ さるまる)

受賞者

1968年、東京都生まれ。埼玉県在住。 2000年、「澤」入会、小澤實に師事。 2010年から2013年まで、俳誌「澤」編集長。 「澤」同人、俳人協会会員。

 

 受賞の知らせを聞いた夜、書棚から一冊の本を手に取った。僕の所属する「澤」の2008年7月号、特集は「田中裕明」。総頁数428頁、特集部分だけで236頁にもなるこの号は、「澤」史上もっとも厚い一冊となった。微力ながら編集に携わり、特集の原稿を書く機会も与えられ、その年の前半は『田中裕明全句集』を何度も繰り返し読んだことを思い出す。正直に言うと、最初はわからなかった。どこか茫洋として、とらえどころがないように感じていたのだ。しかしあるとき、ダムが決壊するように、その魅力に取り込まれた。深い霧が晴れて、目の前には満々と水を湛えた大きなみづうみがひろがっていた。言葉の地平が啓けた感覚を味わった。それ以来、田中裕明は僕にとって特別な存在となった。
第一句集『点滅』が、田中裕明の名を冠する賞をいただけることは格別の喜びであり、同時に身の引き締まる思いである。選考委員の皆様に心よりお礼を申し上げます。
そして、小澤實先生、「澤」の皆さん、句集に携わってくださった方々に厚く感謝申し上げます。

 

 

西村 麒麟(にしむら きりん)

受賞者

1983年8月14日大阪市生まれ、18歳まで広島県尾道市にて育つ。2002年高知大学に入学。2005年「古志」入会、長谷川櫂に師事・2009年第一回石田波郷新人賞受賞。「古志」同人。

 

四月に師からこんな言葉をかけて頂きました。田中裕明賞が決まる十日ほど前の話。

 

「私が一番心配しているのは、これからあなたがたくさん賞をもらって、浮かれて駄目になってしまう事です。賞をもらった時こそ、褌をきつく締め、油断してはいけない」

 

そして最後に

 

「これは、一生覚えておいて良いよ」

 

賞を頂くのは三度目ですが、師は今回もおめでとうとは言わないでしょう。しかし喜んで下さる事を僕は知っています。祝福には色々な形がある。
選考委員の皆様、賞の運営に携わって下さった皆様、僕のわがままな句集に素敵な賞を下さり、誠にありがとうございます。
そして、『鶉』の俳句を詠んだのはもちろん僕ですが、この句集を世に出してくれたのは妻です。深く感謝します。このグータラな僕を支え、育ててくれている、全ての人にも。

 

選考委員の言葉

石田郷子

 今年度の応募作を、どれも面白く読ませていただいた。ことに『点滅』『鶉』『しゃりり』『昨日触れたる』には、感じ入った句が多かった。すでに活躍のめざましい作家たちである。中でも『点滅』『鶉』には感心した。どちらかに一位の三点を付けたいと思ったが、まったく異なる作風である。どちらかといえば『鶉』の、俳句らしい普遍性をもった飄々とした作品が私にはなじみ深い。しかしいわば「小宇宙」的な成熟とも思えた。その作品世界はこの先ひたすら深化して、宇宙を突きぬけてゆくだろうか。田中裕明賞としてふさわしいかと考えると、まだまだ推しきれない気もした。
 『点滅』は、現代に生きる若者たちの中の一人として、目に触れるものすべてを俳句の題材とし、何が面白いのかと首を傾げるような作が少なからずあったにしても、その危うさにも未来が潜むように思えた。どの作品も若者らしい苦悩やら愁いやらをまとっているのがよかった。そこで、『点滅』を一位、『鶉』を二位として、あと一冊をと思ったとき、『昨日触れたる』の感じやすさにしても『しやりり』の清新さにしても、読み込んでいけば、作者の意図が強く働いていることに気付かされる気がして、大いに悩んでしまった。おそらく同性としての視点が私の中にあるのだろう。そこでいったん二冊を措き、『蒼の麒麟騎士団』を三番目に入れて、選考会に臨んだ。
 『蒼の麒麟騎士団』は、唯一減点法では読まなかった句集だ。すべて自前という、潔さというよりは青臭い積極性をもって編まれた作品集は、どこか私の心に切り込んでくるところがあった。以下に一句ずつ挙げておきたい。

 

  すきとほる蜘蛛の子吹けば黒ずみぬ  榮猿丸『点滅』 
  エンジンの大きな虻の来たりけり   西村麒麟『鶉』 
  雨と雨の間は美しい裸足   中内亮玄『蒼の麒麟騎士団』 
  膨らんでそこが瞼や秋の風   髙勢祥子『昨日触れたる』   
  呼ぶための口笛強し青芒   野口る理『しやりり』

 

小川軽舟

 自分よりも若い世代の俳人が俳句にどんな新しい可能性を見出してくれるのか、田中裕明賞の選考のたびに期待と興奮をもって一冊一冊の句集に向き合ってきた。早いもので今回が五回目の選考会となったわけだが、若者たちの果敢な取組に選考委員のほうがむしろ励まされているように感じた。
 私が第一位に推した榮猿丸の『点滅』は、現代の日常におけるミニマルな差異に詩を見出す実験の連続とも言えよう。〈Tシャツのタグうらがへるうなじかな〉〈片陰や画鋲に紙片のこりたる〉〈くちびるに湯豆腐触れぬ吹きをれば〉。つまらないと思ってしまえばつまらないこれらの素材を真剣に詠み続ける姿勢が切なく新しかった。その切なさが〈ビニル傘ビニル失せたり春の浜〉〈コインロッカー開けて別れや秋日さす〉といった抒情的な作品を生むのだ。ただし、〈ローリング・ストーンズなる生身魂〉というおもしろがり方は古くさいし、〈トイレットペーパーにミシン目秋立ちぬ〉は着想に惹かれるものの表現が雑だと感じる。そうしたマイナスに目をつぶっても推したい魅力があった。
 第二位に推したのは野口る理の『しゃりり』。知性的な作風ではあるが、自分自身の生き方をほのぼのとしたユーモアで包み込むように眺めているのが楽しい。〈初夢の途中で眠くなりにけり〉〈子孫より先祖親しき日永かな〉〈小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に〉、これらの作品に宿る詩情はこの作者独特のものだ。ただし、作品の当り外れが大きいという印象は否めなかった。
 第三位は西村麒麟の『鶉』。肩の力の抜けた作風にはどこか現代の隠者という風貌があるのだが、それが今の若者の一面なのかとも思われて興味深い。〈ぶらついて団扇に秋の来たりけり〉〈初電車子供のやうに空を見て〉〈学生でなくなりし日の桜かな〉。句集としての構成の巧みさも光った。『点滅』と併せて受賞作となることに異存はない。

 

岸本尚毅

 『鶉』 の受賞を喜ぶ。〈島の秋覗けば何かゐる海に〉〈蟹動くどの白露もこぼさずに〉は助詞でいいさしにして止めることによって余韻のある句となった。〈いくつかは眠れぬ人の秋灯〉〈大久保は鉦叩などゐて楽し〉などもゆるやかな文体で、余韻がある。〈俊寛に鰹が釣れてよき日かな〉は巧い。〈いきいきと秋の燕や伊勢 うどん〉は取り合わせが成功。〈冬ごもり鶉に心許しつつ〉の心の有り様がおくゆかしい。〈香水や不死身のごときバーのママ〉〈ゆく秋の蛇がとぷんと沈みけ り〉〈春風や一本の旗高らかに〉〈残花かな月の光を通しつつ〉などにも注目。市井の隠者を思わせる俳風に覚悟が感じられ、一位に推した。
 『点滅』は、身近な素材を旺盛に取り込む作句姿勢に瞠目し、三位に推した。この作者の得手の句ではないかもしれないが、〈暁や貨車襖なす雪の駅〉〈秒針の跳ねて震へや春隣〉〈永き日やにはたづみ得て道たひら〉〈麦酒酌む呼べばかならず来る友と〉〈ゆく秋やちりとり退けば塵の線〉などはさすがと思った。『鶉』との同時受賞を喜ぶ。
 二位に推した『しやりり』は、〈金風や先客然として窓は〉〈浜木綿や雲の知り得ること僅か〉〈金網は雀許すや春の夕〉〈消えてもう消ゆることなき秋灯〉〈石に花飾り寂しくなる景色〉〈夏怒涛ここもとほくのひとつなり〉〈夏帽や砂といふ砂風に自由〉〈風鈴や家族揃へば夜が来る〉など、洞察と思索を生かした句風が貴重。
 以下に注目句を挙げる。〈塵取を置いて稲荷の暖かし〉(『昨日触れたる』)、〈夕凪の道一本が吾に向く〉(『ユリウス』)。〈根本中堂風に音階空の蝉〉(『蒼の麒麟騎士団』)は堂々たる作。作者は下五を「からのせみ」と読ませるが、「そらのせみ」と読ませれば「風の音階」と響き合うのではなかろうか。〈明急ぐひかりの中の月あかり〉〈ごきぶりといへども光ありにけり〉(『七十二候』)の「ひかり」二句に感心。『革命前夜』は〈悪口のなんと楽しき生ビール〉の露悪的妙味もさることながら、〈玄冬の書は整然と家永忌〉は家永教授の風姿を彷彿させる。

 

四ツ谷龍

 私が一位に推したのは、佐々木貴子句集『ユリウス』であった。ひとつひとつのことばが、生き生きとして、自由に踊っている。考えこんだり、手先で表現を弄んだりせず、裸の心を差し出すように全身で夢中に歌っているところに、強く共感した。

 

  夏至の日の地球のてっぺん乗るわたし

 

 「地球のてっぺん」とは、具体的な何かを暗示するための比喩や寓意ではない。人が有頂天になって生みだす、心の中にある踊るための高いステージのようなもののことだ。それを身体でじかに感じ、そこへ自分も参加しようというのだ。

 

  夏草が砂場に生えて人恋し
  怪獣と打ち解けし晩ゴーヤ食う

 

 前句は開巻第一句目の作品だが、この「人恋し」という心情は全体を貫く通奏低音のように効いていて、作品集としてのテーマを打ち立てることに成功している。後句、怪獣と打ち解ける、ということは、その反面として他の人間とは容易に打ち解けられない自分がいるということなのだろう。今回の応募作の中では、心の影のようなものをいちばんたっぷり含んでいるところが魅力で、すぐれた詩を感じさせてくれた。
 二位は、西村麒麟『鶉』とした。俳句のいろいろな形をよく知っていて、句の内容に応じてさまざまな表現を自在にとれる柔軟性に目を見張った。たとえばリフレインの句、

 

  絵が好きで一人も好きや鳳仙花

 

 「好き」ということばを二度使っているが、一回目が普通のポジティブな「好き」であるのに対し、二回目は孤独癖を示すやや屈折した「好き」であって、このように微妙にニュアンスを切り替えていく手腕が水際立っている。
 三位には、榮猿丸『点滅』を挙げた。多様な現代風俗を取り入れたチャレンジ精神に見るべきところがあった。ただ、表現が短歌的に流れてしまう時があること、平板で安直なリフレインが多いこと、切字「や」「かな」の使い方が硬直的であることなど、課題もあると思った。

 

選考経過報告

 第五回田中裕明賞選考委員会は、5月3日午後1時より5時までおよそ4時間にわたってふらんす堂にて行われた。
 応募句集は10冊。この中より選考委員には3冊を選び、いいものから3点、2点、1点と点をつけた選考結果を連絡していただくことになっていた。
 結果は、榮猿丸句集『点滅』8点、西村麒麟句集『鶉』8点、野口る理句集『しやりり』4点、佐々木貴子句集『ユリウス』3点、中内亮玄句集『蒼の麒麟騎士団』1点ということになった。
 この結果をもとに討議を重ね、榮猿丸句集『点滅』と西村麒麟句集『鶉』の2冊の受賞ということが決定した。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第五回 田中裕明賞候補作品

○中内亮玄句集『蒼の麒麟騎士団』 (2013年6月28日 狐尽出版)
○澤田和弥句集『革命前夜』 (2013年7月13日刊行 邑書林)
○高勢祥子句集『昨日触れたる』 (2013年9月20日刊行 文學の森)
○渡辺とうふ句集『狼藉・テシカ・カ』 (2013年9月23日刊行 私家版)
○y4lan句集『つらぽよ天皇』 (2013年11月26日 私家版)
○佐々木貴子句集『ユリウス』 (2013年11月30日刊行 現代俳句協会)
○五十嵐義知句集『七十二侯』 (2013年12月10日刊行 邑書林)
○野口る理句集『しやりり』 (2013年12月25日 ふらんす堂)
○西村麒麟句集『鶉』 (2013年12月27日 私家版)
○榮 猿丸句集『点滅』 (2013年12月27日刊行 ふらんす堂)