受賞者の言葉
北大路 翼(きたおおじ つばさ)
2010年朧の頃から新宿に毎夜出没。
2012年4月、芸術公民館を会田誠より譲り受け砂の城に改称。
現在新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」取り纏め役、砂の城城主。
HP:http://shikabaneha.tumblr.com/
Twitter:北大路翼@tenshinoyodare
受賞の知らせを受けて正直ほつとしてゐる。清清しい気持ちである。僕の挑発的挑戦を真摯に受け止めてくれた選考委員の方々にまづは心からお礼申し上げたい。
『天使の涎』は従来の句集の慣例に悉く叛いた。「叛く」なんていふときつい言ひ方に聞こえるが、それくらゐ句集の様式は膠着してゐたと思ふ。全体の句数、句の天地揃へ、師匠筋による解説、帯裏の自選句などなど。すべてを否定するわけではないが、どのやうな句集にしたら自分の思惑と一致するのか、一度は考へてみるべきだと思ふ。漠然と編んだのでは、「見せる」といふ意識がすでに一歩劣つてゐる。
そして僕が一番こだはつたことはバラ撒かないことである。直接お世話になつた数名以外一冊も謹呈しなかつた。(女の子には酔つ払つてだいぶあげちやつたけど)お金を払つてもいいといふ人にだけ読んで欲しいと思ふ。せこいと思はれるかも知れないが、金銭にこだはるのはあたり前のことだ。プロになる希望がなければ、後進が俳句に興味を持たないのは当然だらう。
運がよかつたことに『天使の涎』は様々なメディアで紹介された。新聞、週刊誌、テレビ、ラジオ、果ては漫画にまで登場した。ラジオで高橋源一郎氏が「大人の句集」と褒めてくれたのは飛びあがるほどうれしかつた。ところが俳壇で『天使の涎』が登場することは殆どなかつた。出版されたことさへ知らない俳人もたくさんゐたと思ふ。まさかタイトルに句集といれなかつたから気がつかなかつたのだらうか。(これも前述の試みの一つ)句集はまだまだ謹呈の文化が根強いことはを身をもつて体験した。
その分、俳句には興味がなかつた一般の人には好評だつた。歌舞伎町と俳句といふ組み合はせが新鮮だつたのだらう。目立つためにかなり際どい句(放送コード的にはアウトですが)もカットせずに収録した。
一般読者を意識するやうになつたのは、「屍派」を立ち上げてからである。飲み屋で始めた句会は三人になり四人になり十人になつた。いまではSNSでつながつたメンバーも含めると全国で百人以上になる。みな屍派がきつかけで俳句を始めた人たちだ。
彼らはいはゆる不良であるが、人の痛みに敏感だ。自分も傷ついて生きて来たのだらう。アウトローとは社会をはみ出した奴らではなく、社会からはみ出されてしまつた奴らである。世の中に斜めな態度をとりつつも、本当は世の中とつながることを求めてゐるのだ。その叫びが屍派の俳句である。
叫びに型はない。
定型詩である俳句と矛盾するやうであるが、型との格闘もまた俳句が俳句であるために必要なものだと思ふ。
格闘は派手にやればやるほど荒唐無稽に見えてしまふ。僕のことをただのパフォーマーだと思うてゐる人も多いだらう。
愚痴ばかり並べてしまつたが、逆に今回の受賞がどんだけ僕を救つてくれたか。きちんと挑戦を見てくれて、傷だらけの俳句を評価してくださつた選考委員のみなさまには感謝しかない。
僕に出来るのは戦ひ続けることだけである。傷つけ過ぎて俳句を殺してしまふかも知れない。僕が死ぬか、俳句が死ぬか、屍派は常に命を賭けてゐる。
選考委員の言葉
石田郷子
今回ほど、すべての応募作において、賞に価するだけの意志と俳句への思いの深さを感じたことはなかったと思う。
一番に推した『遅日の岸』はどの頁を開いても静かに作者の描いた世界に入っていける奥深さがあって、韻文の力とはこれだと思った。この句集を編むに当たって多くの佳句を捨て去ったに違いない、珠玉の句集である。
二番目に推した『帰帆』は、十代で俳壇にデビューし、以後華やかに活動してきた作者の四冊目の句集であり、すでに多くの人たちを指導する立場にありながら、この賞に応募してきた心意気にまず打たれた。作品にも貫禄があった。
最後に、三冊を選ぶとしたら外せないと思ったのが『天使の涎』だった。ほかのジャンルでは当たり前の表現がなぜか俳句になると面白くない、というか何も胸に響いてこないことが多かった。しかし、この句集には胸に響くものがあって、それは一過性のものではないと感じた。ただし、私としてはあまり見たくないような作品がその数を超えている。かといって、それらの作がなかったらこの句集は面白くない。それをどう私の中で位置づけよう。少なくとも作者は、この句集において、世間にも読者にも、そして俳句という詩型にも甘ったれていないのではないか。それかなと思う。 そう思ってこの句集を今回の田中裕明賞とすることに賛成した。
立場上、『封緘』を初めから除外せざるを得なかったことは残念だが、ほかの方が十分に評価して下さったことに心からお礼を申し上げたい。
小川軽舟
私より一回り以上若い世代の十六冊もの句集を丹念に読み一つ一つ選考の俎上に載せるのは幸せな時間だった。私は第一位に村上鞆彦『遅日の岸』、第二位に北大路翼『天使の涎』、第三位に曾根毅『花修』を推した。
『遅日の岸』は知性と感情が調和し、対象を引き寄せる技巧が冴えている。「ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり」の視覚を触覚に置き換えたことによる冷やかな情感、「五月雨や掃けば飛びたつ畳の蛾」の古典的な季語の本意を踏まえて匂い立つような写生。俳句表現の一つの理想を見る気がする。
『天使の涎』は歌舞伎町という舞台に徹底的にこだわって圧巻だ。花鳥諷詠と現代風俗の融合が奇観をなす。掃いて捨てても惜しくない俳句の多さに閉口しながらも、読み終えると「マフラーを地面につけて猫に餌」「俺のやうだよ雪になりきれない雨は」といった句が塵の中でせつなく輝く。
『花修』には無季俳句が多い。先の二句集以外にも『封緘』『森を離れて』『虹の島』など伝統俳句のすぐれた句集が多かった中で、それがかえって目を引いた。「立ち上がるときの悲しき巨人かな」、「燃え残るプルトニウムと傘の骨」。現代を生きる私たちの姿が寓話的に描かれていると感じた。
『天使の涎』が受賞することには異存なかったが、『遅日の岸』は問題が多く受賞に値しないとの四ツ谷氏の意見には賛成できず、田中裕明賞の選考会では初めて最終的に多数決で受賞作を決めることになった。
『遅日の岸』にも弱いところはある。作者の好尚の篩にかけられた素材の範囲は限られており、だからこそ一つの親密な世界を構築できているのだが、ともすると自己模倣や類想に陥りやすい。今回の選考結果を受け止めて、作風を更に磨き深めてもらえることを期待する。私も選考会の議論を通して自らの俳句観をあらためて問い直し鍛え直す機会を得たと感じた。
岸本尚毅
事前の評価では『封緘』を一位とした。「頭の中に烏揚羽を展翅せる」「群咲いてゐて鬼百合のまだ足りず」は独自。「その色の蜻蛉止まる吾亦紅」「雨音に窓開けておく夜学かな」のように、抑制の効いた叙法で景の要諦を押えた句に共鳴した。僅差の二位に『遅日の岸』を推した。「たんぽぽや野に迷ひ出て鴎鳥」「海照れば応へて風の芒かな」「秋の雲デッサンにまだ色置かず」「寒月や踏みやぶりたる水たまり」「花冷えの花にかむさる空しろし」「蝙蝠や街灯よりも月煤け」など往年の秋桜子や波郷の青春性を連想される句境は貴重。第三位は迷いつつ、「団栗や敗れし神を祀りをり」「水晶のごとくしづもる海鼠かな」等に惹かれた『山羊の角』とした。
相対評価では上位二編が一歩抜きん出ていると思ったが、「裕明」の名を思うとき、全体として一抹の物足りなさが残った。裕明賞には、裕明がそうであったように、俳句の新たな可能性への寄与とそれを読者に納得させる技量の両立が期待される。過去の受賞作(及びギリギリで受賞を逸した作)はそれぞれの流儀でその期待に応えるものであった。今回の各編については、「新」または「技」のいずれかの面で、過去のレベル感に照らして今一歩の感を拭えず、大変申し訳ないが、「受賞なし」の可能性も視野に入れていた。
『天使の涎』の評価は悩ましかった。「引つ張り合ふ女の喧嘩鳥交る」「ストリップ最前席の深海魚」「杉花粉飛ぶ街中が逃亡者」「飲めばすぐ戻る機嫌や尿に虹」「ゴミを轢くゴミ収集車春日射す」「綿菓子のやうなおかんを連れ歩く」「秋の雨猫の骸を撫で続け」「店員がかはいいだけでよき師走」「透き通るやうな白さや蛆がわく」「サンタかもあそこで休んでゐる髭は」「おーいお茶はおしつこの色春霞」「驚けば花咲く秋の墓場かな」など呆気にとられつつ惹かれた句は多々。特異な句柄ながら俳句として十分に楽しめる。ふつうの「巧さ」と異質の、この作者独自の「読ませ方」が仕組まれているのではなかろうか。半面、度外れた収録句数や多くを占める露悪的な句の強烈な印象ゆえ、「絶対値」は大きいが、「裕明」の名に馴染まないのではないかとの躊躇もあり、選考会前の時点では、私の中での同編の評価は、恥ずかしながら、事実上の「棚上げ」であった。
私以外の委員は全員『天使の涎』を三位以内に推していた。他の委員の意見を聞いて再考した結果、『天使の涎』を推すことに確信が持てた。「裕明賞」の趣旨に関する私自身の狭量を反省するとともに、他の各委員の度量と、それを引き出すことになった『天使の涎』の力量に敬意を表する。
四ツ谷龍
今回の選考では第1位を北大路翼『天使の涎』、第2位を矢野玲奈『森を離れて』、第3位を藤井あかり『封緘』とした。
まず目を奪われたのは、矢野玲奈句集だった。前に弾んでいくような生命力と、ウイットの豊かさがある。季語を適切な飛躍を交え斡旋できている技量に注目した。
亀鳴くや雨美しき交差点
ただ、矢野の場合は一句の内容が日常と地続きである分、作品に重量感が不足していることは否めない。その点、北大路翼句集は、矢野に負けず劣らず優れたことばの感覚を持ち、かつ都会に生きる大衆のエネルギーを力強く表出している。痛烈な諷刺精神を貫く一方、季語の処理など技術的にもレベルが高く、田中裕明賞にふさわしいと判断した。
新宿に地面などなし雪狂ふ
壁に缶叩く献杯夜暑し
藤井あかり句集は、情景を描きながらも、目の前の空間描写だけではなく前後の時間を含んだ情感も表現できているところが見事であった。藤井が切字「かな」をていねいに大切に使っているところに好感が持てた。
灯して部屋やはらげる葡萄かな
委員による採点で一位だったのは、村上鞆彦『遅日の岸』であった。これも一冊としては見どころの多い句集である。しかし「かな」「けり」を軽く使いすぎるところ、情景描写に作者の心理が入りこむところなど共感できぬ部分があり、授賞とすることはためらわれた。
北大路句集が受賞作に決まったのは喜ばしい。議論に注意深く耳を傾け、柔軟に対応してくださった他の選考委員の皆さんに、心からお礼申し上げる。
選考経過報告
第7回田中裕明賞選考会は、5月4日にふらんす堂において午後1時より6時半までおよそ5時間半にわたって行われました。今回は応募句集16冊と前年の7冊の2倍以上もありました。選考委員には前もって上位3冊を選んでいただき、良いとおもわれるものから、3点2点1点とそれぞれ点数をつけてもらいました。
その結果、村上鞆彦句集『遅日の岸』8点、北大路翼句集『天使の涎』6点、藤井あかり句集『封緘』4点、矢野玲奈句集『森を離れて』2点、大高翔句集『帰帆』2点、曾根毅句集『花修』1点、鎌田俊『山羊の角』1点という結果となりました。
この選考結果の点数に基づいて論議を重ねたところ、北大路翼句集『天使の涎』が村上鞆彦句集『遅日の岸』を押さえるかたちで受賞が確定しました。
今回は受賞句集なしという選択肢もあり得るという選考委員の意見もあった上での受賞結果となったことを報告致します。
また、本賞において、句集制作に関わる場合(師弟関係・選句など)は点数はいれないという方針をとっております。
ふらんす堂 山岡喜美子
第七回 田中裕明賞候補作品
○『さみしき獣』(中町とおと/2015・4・1/マルコボ.コム)
○『天使の涎』(北大路翼/2015・4・19/邑書林)
○『遅日の岸』(村上鞆彦/2015・4・27/ふらんす堂)
○『世界を俳に』(赤野四羽/2015・5・1/マルコボ.コム)
○『朋哉句集』(若杉朋哉/2015・5・12/私家版)
○『封緘』(藤井あかり/2015・6・10/文学の森)
○『花修』(曾根毅/2015・7・1/深夜叢書社)
○『森を離れて』(矢野玲奈/2015・7・15/角川書店)
○『笑ふ』(江渡華子/2015・7・31/ふらんす堂)
○『#はいくたいがー夏秋』(浅津大雅/2015・9・1/私家版)
○『揮発』(柏柳明子/2015・9・30/現代俳句協会)
○『ワンルーム白書』(椿屋実梛/2015・9・30/邑書林)
○『山羊の角』(鎌田俊/2015・10・1/恵曇舎)
○『帰帆』(大高翔/2015・10・25/角川書店)
○『虹の島』(前北かおる/2015・12・17/ふらんす堂)
○『風を孕め』(山口蜜柑/2015・12・29/ふらんす堂)