2017年 第8回 田中裕明賞

受賞者の言葉

小津 夜景(おづ やけい)

1973年北海道生まれ。

blog : http://yakeiozu.blogspot.fr

 

 

 句集をつくりたいと思ったのは、俳句を書き始めてちょうど二年が経ったころでした。軽い気持ちで西原天気さんに相談したところ、返ってきたのは、「本、出すといいです。句歴なんて気にせずに」といった、これまた軽いお言葉。
 一人の人に賛成してもらえたというのは私にとって大きな心の支えとなり、あれこれ思案しつつ編み上げたのが、この『フラワーズ・カンフー』です。天気さんにはその後も、意匠の検討や著者校正といったいくつかの節目で相談に乗っていただきました。
 句集を編むのはたのしい経験でした。そして今、この句集に読者がいて、またこのたび選考委員の方々のご寛容を賜りましたこと、本当に幸せです。これからも皆さまに助けていただきながら、焦らず、自然に、歩んでゆければと思います。
 最後に、田中裕明賞応募をすすめてくださった担当編集の山岡有以子さん(ふらんす堂)に感謝を申し上げます。 賞の件で連絡いただいた時は、「漢詩超訳、短歌、散文詩、小説、エッセイを含むこの本は、“折り目正しい筋”がいかに捉えようと、紛うことなく『句集』であると有以子さんはお考えなのだ」と恐縮いたしました。この句集の雑居性が、他ジャンルへの俗気からではなく、俳句そのものを想う中でおのずと生じたものであると解していただけたことがなによりも有難く思われます。ありがとうございました。

 

 

選考委員の言葉

小川軽舟

 田中裕明賞の選考に当たるのはこれが八回目。回を重ねるごとに、若い俳人たちによって新しい俳句の風景が開かれていくことに驚いている。今回の応募作は六冊で前回の十六冊から数は減ったが、また新しい風景に出会えたという印象は前回に劣らず強い。
 私は中村安伸の『虎の夜食』を第一位にした。「行春や機械孔雀の眼に運河」「儒艮とは千年前にした昼寝」「漏電や蓮の上なるユーラシア」といった、解釈を拒みながら言葉同士がゆるやかに響き合って懐かしい幻を見せてくれるような不思議な雰囲気に惹かれた。俳句の古典的な形式美は守り、伝統俳句との親和性も高い。「少女みな写真のなかへ夕桜」「名月やむかしの猫を膝の上」は、いかにも俳句的な季語のあっせんが、この句集の中でかえって新鮮に見えた。
 第二位には小津夜景の『フラワーズ・カンフー』を選んだ。俳句の新しい風景ということをいちばん感じた句集である。「あたたかなたぶららさなり雨のふる」「ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵」「春や鳴る夜汽車シリングシリングと」といった作品の言葉の質感は今まで触れたことのないものだ。その一方で、私にはどこに感興を覚えたらよいのか掴めない句も多かった(正直に言えば大半だった)。しかし、それもまた新しい風景、日常の脈絡を離れた言葉の戯れに、囀りを聴き分けるようにゆっくり付き合ってみたくなる。採点と討議の結果『フラワーズ・カンフー』が今回の受賞作となったことに異論はない。
第三位は工藤惠の『雲ぷかり』。「ブロッコリーいい奴だけどもう会えない」には共感できたが、「いやなのよあなたのその枝豆なとこ」はさっぱりわからない。そんな落差が愉快だ。口語調の軽やかな詠みぶりの中、「沈丁花夫婦並んで歯を磨く」「青みかん幼なじみがレジを打つ」といった句に作者の世代の実感が滲み出ているのも興味深かった。
 『虎の夜食』と『フラワーズ・カンフー』は散文作品を交えてまとめられている。『虎の夜食』は俳句作品に比べて散文がゆるく、『フラワーズ・カンフー』は逆に散文の魅力の前に俳句が一句一句の存在感を発揮しきれていないもどかしさがあり、いずれも百パーセント成功しているとは思わないが、句集という書物を、そしてその中で俳句作品をどのように読者に享受してもらうか、そのための工夫は異端視せずに評価したい。その点でも新しい風景を楽しませてもらえた。

岸本尚毅

 『フラワーズ・カンフー』を一位、『虎の夜食』を二位、『真青』を三位とした。『フラワーズ・カンフー』には、想像力を心地よくくすぐられた。例えば「あかんべの舌でひとでを創られし」からは、天地創造と、あかんべをするアインシュタインを連想した。「うららかを捧げもつ手の手ぶらかな」は、「うららか」という季題があたかも手に持てるものの如くである。だが下五の「手ぶら」で軽やかにはぐらかされる。「ふるき世のみづにも触るるミトンあれ」の「ふるき世のみづ」からは創世記を連想した。命令形の「あれ」は「光あれ」と同じだが、そのような連想は「ミトン」で軽くはぐらかされる。「昼寝せり手は流木をもよほして」はだらりと眠っている手から流木を連想する。「もよほし」の使い方に感心した。「晩春のひかり誤配のままに鳥」は誤配された光が鳥となるのだろうか。晩春の気分がある。「黴のパンあるいはパンセ風に寄す」は「黴のパン」から「パンセ」へ音韻を生かしつつイメージが展開する。「あるいは」も巧いが、それにもまして「風に寄す」に驚いた。「寄す」という語のニュアンス(心を寄す、物に寄す等)を生かしている。この句集には快い驚きが随処にあり、独創的だと思った。

 『虎の夜食』も読み応えがあった。奇想天外な漫画のような句が多く、楽しめた。「いなづまのいれずみを負ふ人魚姫」「歌留多撒く東洋一の鉄塔より」「任天堂の歌留多で倒す恋敵」「新宿の月に髭描く遊びかな」などはそのまま絵を思い浮かべた。「春風や模様のちがふ妻二人」は愉快なパロディ。「天窓があり永遠に上下あり」は洗練された無季句と思う。「はたらくのこはくて泣いた夏帽子」「聖無職うどんのやうに時を啜る」「草若く女の馬鹿をからかへり」などは、各章に置かれた散文からも伺われる作者の人物像が反映されているように思え、惹かれるものがあった。

 このほか『真青』の「あめんぼの脚の地につく潦」「葉の上に蛇の涎の光りけり」「花火などなかつたやうな夜空かな」「争へる熊を見てゐる狐かな」「雪のほか啄む物の無き林」などの描写に注目した。「教会の鐘鳴り秋刀魚網の上」(『雲ぷかり』)、「二階には李さん一家鳥帰る」(『途中』)、「こめかみに眼鏡置くこぶ水澄んで」(『bi』)なども面白いと思ったが、句集一冊の読み応えとしては、過去の受賞作及び惜しくも受賞を逸した作のレベル感に照らし、受賞は上位二作に絞られると思った。『フラワーズ・カンフー』と『虎の夜食』はともに無季句が立派だが、あえて比較すれば、季題を詠み込んだ句も含めたとき『フラワーズ・カンフー』に一日の長があると思った。

 

津川絵理子

 一位に推したのは、『虎の夜食』だった。短い物語と俳句の組み合わせ、という形式がユニークで、一冊の本として読ませる力がある。物語の内容は多様であり、その配置にも心配りが感じられた。物語と俳句の付かず離れずの関係が良い。ただ、中には物語の文章が無いと分かりにくい句群があった。その場合俳句が文章に寄りかかっているように感じられた。一冊を通して俳句と文章のバランスを取り続けるのは難しいことと思うが、作者の挑戦を評価したい。俳句作品では〈鰯雲どのビルも水ゆきわたり〉の詩情の豊かさ、〈うれひつつ紙風船の船長に〉のユーモア、〈鰯雲怒声ひとつのあとしづか〉の哀感、〈印度からお茶が来さうな梅雨晴間〉のおおらかさに特に心惹かれた。こうした句は文章があってもなくても関係なく読めて、スケールの大きな詩心に満ちている。
 二位に選んだのは『真青』であった。対象を捉える眼差しが真っ直ぐで、かつ作者の個性が感じられる句がいくつもあった。日常の中で見逃してしまいそうな細かいことをおろそかにせず詠んでいるところにも好感を持った。〈裸子に見つめられつつ着せてをり〉は、こういう何でもない場面を見ていても、俳句にするのは案外難しいのではないか。作者ならではの把握がある。〈花火などなかつたやうな夜空かな〉〈蛍光灯それぞれ色の違ふ秋〉は何気ない句だが余韻がある。〈蜻蛉の止まらうとするにぎり飯〉は臨場感があって楽しい句。このようにキラリと光る句がある一方で、説明や只事に終わっているものがあり、その落差が気になった。一冊の句集としてもっと完成度を高められる人だと思う。
 三位は『フラワーズ・カンフー』を選んだ。幅広い知識と独特の文体を自在に活かし、章ごとにスタイルを変え、既存の句集のかたちを軽々と飛び越えている。それだけに手強い句集である。〈まなざしがゼリーぢーっとしてゐると〉の音感、〈オルガンを漕げば朧のあふれたり〉の独特の把握に惹かれた。〈長き夜のmemento moriのmの襞〉は言葉から引き出される身体感覚にハッとさせられる。「出アバラヤ記」の構成力と文章の美しさにも打たれた。正直私には理解できないところがあったが、一見自由に言葉と遊んでいるようでも、緻密に作り上げられた世界なのだと感じる。未知の世界への扉を開くエネルギーに溢れた句集だと思うので、受賞作となることに異存はない。

 点は入れなかった三冊についてだが、『雲ぷかり』は日常の発見を楽しんで俳句にしていて気持ちが良い。作者の年代ならではの視点もある。〈青みかん幼なじみがレジを打つ〉は互いの何となくくすぐったい心理が想像できて面白い。上手く纏めている句集だけれど、ここからはみ出す部分が出てきても良い。『途中』とbiは粗削りの印象があった。しかし『途中』の〈二階には李さん一家鳥帰る〉の懐かしさ、一家の生活を想像させるところに惹かれた。biの〈猫柳わたしを好きな人が好き〉は、あっけらかんと詠みながらも鋭い人間観察がある。それぞれに見どころがあると思った。

 

四ツ谷龍

 真に新しいと呼ばれる作品は、「世界観の新しさ」「感覚の新しさ」「技術的な新しさ」の三つを同時に実現していなければならないと日ごろから言っているが、小津夜景『フラワーズ・カンフー』はこの三条件を満たす画期的な句集である。
 世界観の新しさ:抽象的な構造(かたち)を先に仮想して、そこに現実を嵌めてゆく。
  冬苺ところとときのふたなりに
  (空間と時間が作る座標軸に冬苺を置く)
  夏はあるかつてあつたといふごとく
  (「夏」という全体集合に「この夏」という新しい要素が加わるという数学的視点)
 感覚の新しさ:句から自然主義的な実体を消し去り、抽象的なイメージだけで事物を感じる。
  ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵
  斑猫に花の柩車のある暮らし
 技術的な新しさ:先行する文学作品の換骨奪胎、ひらがなの巧みな活用など、さまざまなテクニックが導入されているが、ここでは特筆すべきものとして「一句の途中で母音を切り替える技法」を指摘したい。音韻の活用で、複雑な内容を直截に伝達することに成功している。
  あたたかなたぶららさなり雨のふる
  (ア・タ・タ・カ・ナ・タとA母音を6度打ち、さらに「らさ」「なり」「雨」と Aの頭韻を踏んだ上で、最後はU母音2音で翳を含んで終わる)
  ほのかなる世へのほほんと鴎あれ
  (ホ・ヨ・ノ等、O母音を多用して暖かい感じを出した上で、最後は「鴎」「あれ」 とAの頭韻を踏んで明るく転じる)

 2位には抜井諒一『真青』を推した。細やかな描写を大切にする安定感のある作風に見るべきものがあった。
  初蝶の止まりて翅を緩めざる

 3位は工藤惠『雲ぷかり』とした。ほのぼのとした感じの句集だが、アクの強い作風ではないだけに、もう少し平均点が上がらないと読者に伝わるものが弱いと思った。
  凩の中のきりんへひとりごと
 小津句集と受賞を競った中村安伸『虎の夜食』は、私には句集一冊としての方向性がどこにあるのかよく見えなかったため、点を入れなかった。津川委員が中村作品をていねいに鑑賞されていたのは印象的であった。新委員を迎えて、田中裕明賞は今後も充実した審査を続けていくことができると思う。


選考経過報告

 第8回田中裕明賞選考会は、5月3日にふらんす堂において午後2時より午後六時の四時間にわたって行われました。今回の応募句集は6冊、前年の応募句集の16冊をはるかに下回りました。選考委員には前もって上位3冊を選んでいただき、良いと思われるものから、3点、2点、1点とそれぞれ点数をつけてもらいました。
 その結果、小津夜景句集『フラワーズ・カンフー』9点、中村安伸句集『虎の夜食』8点、抜井諒一句集『真青』5点、工藤惠句集『雲ぷかり』2点という結果となりました。
 一つ一つの句集を丹念に選評しながらも、最終的には高得点を獲った『フラワーズ・カンフー』と『虎の夜食』の二冊を賞の対象として論議を重ねた結果、小津夜景句集『フラワーズ・カンフー』の受賞となりました。
 従来の句集の編み方とは異なる二冊の句集が評価されたということは、これからの句集の編み方もその読みも様々な可能性に開かれているということを考えさせる選考会であったことを報告致します。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第八回 田中裕明賞候補作品

○『bi』(牟礼鯨/2016.6.1/私家版)
○『雲ぷかり』(工藤恵/2016.6.1/本阿弥書店)
○『真青』(抜井諒一/2016・10・15/文學の森)
○『フラワーズ・カンフー』(小津夜景/2016・10・15/ふらんす堂)
○『途中』(松井真吾/2016・12・10/私家版)
○『虎の夜食』(中村安伸/2016・12・24/邑書林)