受賞者の言葉
小野 あらた(おの あらた)
●受賞の言葉
近年、「俳句甲子園」を始めとした取組みが実を結び、数多くの高校生が俳句に親しんでいます。私もまた、「俳句甲子園」より俳句を始めた口です。しかし、二十代の俳人の数はそこまで多くありません。ほとんどの高校生は卒業すると、俳句から離れるからです。
思い返すと、「大学入学」「新社会人」の二枚の壁により、多くの句友が消えてゆきました。私より実力があってもです。高校生俳壇の「王者」と呼ばれる開成高校の場合でも、俳句を続ける卒業生は、大学入学時点でおおよそ三分の一に絞られます。その後、社会人となり、多忙となると、本当に多くの卒業生が俳句から離れてしまいます。開成以外の高校ではどうでしょうか。噂を聞く限り、芳しくないようです。句集一冊、百万円かかると考えると、社会人二三年目で第一句集を出版するのが一つの目安であると思いますが、ほとんどの高校生俳人は、ここに至る前に俳句をやめます。
私は原因の一つに「夢」があると思います。俳壇は若手にとって夢の無い世界です。各種の俳句賞を見渡すと、二十代よりも圧倒的に四十代が、四十代よりもさらに圧倒的に六十代が受賞者となっています。俳句は年の功が大切なジャンルですから、年齢が高い人の方が実力が高く、受賞しやすいことは、当然の道理です。私も色々な賞に応募しましたが、洗練された受賞作と、未熟な私の作品とを比べると、そのことを常に痛感させられます。とはいえ、いつも受賞者が年齢制限ぎりぎりの人だと、若手のモチベーションは下がったままです。若手にとって、俳壇で一歩一歩評価されてゆくサクセスストーリーは、描きにくいのが現状ではないでしょうか。
私は田中裕明賞を頂いたことにより、高校卒業から第一句集へ至る、一本の夢の道筋を示すことができたのではないかと思っています。大学生、社会人と俳句を続け、第一句集を出版し、評価してもらう、そんな俳句人生の始まりの夢を形にして、皆に見せることができたと思っています。
しかし、勝負はここからです。私が今後尻すぼみになれば、この夢は実現する価値の無いものと見なされるでしょう。また、審査員を担う大人の先生には「若手はいくら勢いがあっても、信用できない。数年後もいい句を詠めるか不安だ。」という印象を抱かせることになります。今後、若手に賞を与えるのを躊躇するようになることでしょう。
俳句甲子園世代の夢と、大人から若手に対する信用は、今後の私の活躍次第、つまり、我が双肩に担われたと信じ、弛まぬ研鑽を続けて参ります。
まぁ、誰もそんなこと私に期待していないと思うのですが。
選考委員の言葉
小川軽舟
小野あらたの『毫』の受賞に文句なく賛成とは言えない。初読のときにはおもしろく、好きな句集だった。ところが再読すると手の内が見え透くようになった。「弁当の醤油の余る小春かな」はよいけれど、この一句を生かすためには、「秋暑しからしの残る椀の縁」「葛餅の黄粉必ず余りけり」といった同方向の視点、「ピーラーに皮の挟まる小春かな」の同じ季語の配合は抑制すべきだろう。そのあたりのストイックさがないと、瑣事から見る世界観も緩む。「秋惜しむ宿に荷物を置いてより」「水の秋コーラの瓶のうすみどり」など好きな句も多い。「テーブルに七味散りをりかき氷」はよくぞ詠んだと思う。期待を込めてこれからの精進に注目したい。
私が一位に推したのは福田若之の『自生地』である。十二編の中で群を抜いていた。何より感心したのは、現代の言葉(口語の話し言葉と書き言葉)だけで俳句を作り、一冊にまとめあげたことだ。五七五にきれいに収まった口語俳句が陥りがちな標語のような単調さを、福田さんは句跨がりなど複雑なリズムを刻むことで乗り越えた。「春はすぐそこだけどパスワードが違う」「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」「ぽーんと日傘手放して海だぁーってなってる」、俳句が慣れ親しんだ文語をあえて拒みながら、口語で読む快感を与えてくれる。俳句が現代以降の時代を生き続けるための一つの扉を開いた句集だと思う。挿入される文章も含めて知的な装いを凝らしながら、なおナイーブな抒情を隠さないところにも惹かれた。
第二位に推した西山ゆりこの『ゴールデンウィーク』は、からっとした明るさ、一句一句の歯切れのよさが魅力だ。「パプリカの赤を包丁始かな」はポップな色彩と古風な季語が一句に仲良く収まっている。現実を映像のように見た「雪原は静止し雲は早送り」、自分の体内に棲む命をなまなましく詠った「身籠りて心臓二つ熱帯夜」も印象的。
第三位は音羽紅子の『初氷』。風通しのよい写生で人間社会の俗っぽさも北辺の風光もさらりと詠みとっている。「だらだらと研究室の大掃除」「ガガーリン通りの広き白夜かな」「秋興や反物どんと広げたる」など愉快だ。大掃除の句は煤掃などとしては気分が出ない。このままで歳晩の句と読みたい。
なお、『片白草』は私が製作を手伝った句集なので採点対象から除外した。
選考会は六時間に及んだ。その最終盤、『自生地』の作品を「鷹」でも認めるのかと四ツ谷さんに問われて口ごもったことを悔いている。よいものはよい、そう思う。
岸本尚毅
『片白草』を一位、『毫』を二位、『自生地』を三位に推した。『片白草』は写実を基本にした佳品が多かった。「まなぶたのうすきふくらみ蛙の子」「かはほりのきゆつと縮みし眼かな」は細部に目をとめた。「青木咲き雨に黒ずむマンホール」「電球を淋しくしたる蜘蛛の糸」「雀より遠くに居るは石たたき」「ブロンズの乳房を伝ふ秋の雨」「止水栓赤し地虫の出でにけり」「江ノ電のワイパー小さし卯波見ゆ」などの着眼にも感心した。「風邪はやりはじめの町のぬるき風」「田の上の風はつめたし蚊喰鳥」「蜂飛んで地面ゆつくりあたたまる」は温度と空間・時間を詠みこんだ。「口開けて石橋渡る鴉の子」は素朴な書き方ながら対象をよく捉えている。「爛壊なき虫の骸や桐一葉」は句格を感じさせた。総合的に見て候補作中第一位と評価した。
『毫』は対象の細部にこだわった描写の句に特徴がある。「山眠る衣の取れて海老細し」「ちりめんじやこ目に輝きの残るかな」「葛餅の黄粉必ず余りけり」「キャラメルのおまけを立たす夜長かな」「雑煮椀餅を捲れば具沢山」などはその例。ただし写実に徹したことでそこはかとないユーモアが添う。「閉会の辞や校庭の赤蜻蛉」「つくしんぼよく生えて来る墓のあり」「喫水線汚れてゐたるボートかな」「大き蛾は大回りして誘蛾灯」など、ゆとりのある詠み方の句もあった。
『自生地』は二百四十頁余の各頁に最大六句を配置する。夥しい句の間に散文をはさむ。散文と連作風の句群との組み合わせにより、ある人物像とそれを取り巻く世界を構築した。この作者の持ち味が出た作として「歩き出す仔猫あらゆる知に向けて」「僕のほかに腐るものなく西日の部屋」「灰もなく秋のほたるは消えて以後」「意味し草いきれてしんとするひろがり」「書く、波のかりそめの白夜を歩く」「古池が古びつづける梅雨、その音」「雪ちらつき雪にちらつくたぬきの尾」「ふる雪のながめのなかの一家族」「霞たなびくのりしろがあり糊がない」「霜夜、ブロイラーの胸糞を思う」「狂おしくうすくかまきりもどき舞う」「飢えもなくかまきりもどき喉黒く」などを挙げる。
受賞作の候補は以上三作に絞ったが、他の作品もそれぞれに特徴のある力作であった。候補作の多様化を物語るのが『窓の海光』の自由律しかも短律の句群。「月明りそっと歯ブラシを置く」「夜の病院の母のうたごえ」「窓に病んだ手をあてる」「鉄格子に置く月明り」「咳止マズ、夜ノ一部トナル」などは住宅顕信を彷彿とさせる。
津川絵理子
一位に推した、西山ゆりこ『ゴールデンウィーク』の魅力は、見たものを、感じたままに、率直に表現しているところである。その素直さは弱くない。俳句の強さになっている。
例えば〈身籠りて心臓二つ熱帯夜〉。こういった内容の句では明るい季語を付けがちだが、敢て「熱帯夜」としたところに、物憂さ、不安感が立ち上ってくる。本当の自分の気持ちに、正直な人だと感じた。
ユニークな句も多かった。それらの大らかで健康的な詠みぶりに、好感を持った。〈夏の雲ファラオの壁画みな働き〉、王の墓の壁に描かれた、様々な人物の絵が見えるよう。「夏の雲」が力強い。〈チューリップ満開フラミンゴ密集〉は、片仮名、漢語のリフレインが効いた、ユーモラスな句。〈男の力クレソンの水を切る〉、「男の力」でもってザッと水切りされた、瑞々しいクレソンの嵩が目に浮かぶ。表現の省略といった、俳句の基礎力がある人だと思う。
〈君と来た冬とは違ふ豹の檻〉には、思い出と現在が重なる。それも豹の檻の前で、という場面設定が面白い。君と来た冬の自分はもう居ないのだ。青春の切なさが伝わってくる。
成功した句がある一方で、これはどうか、と思う句もあった。落差が大きいのだ。〈汗だくのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ〉は、言葉の面白さに終わった。〈正直に言つて涼しくなりにけり〉は素直すぎる。〈まつすぐに立つてゐられぬ寒さかな〉は寒さの説明になってしまっている。このような粗い句は見られるが、大胆に挑戦する姿勢は失って欲しくない。それを失わない限り、まだまだ伸びるのではないだろうか。
二位には、小野あらた『毫』を推した。細かいところを好んで詠んで、特色のある句集である。〈鯉幟松に触れつつ降ろされぬ〉は、何でもないようだが、松が植えられるような広い庭がある、立派な家構えを想像し、光景が広がるところが良い。〈プールより仰ぐ校舎の高さかな〉もさり気ないが、懐かしく共感性が高い句である。また、細かいものから真実が感じられる句もある。例えば〈蟻の列蟻の骸を避けにけり〉。言われてみればそうかもしれない、と思う。そしてそんな蟻の行動に、人間の世界を重ねて見ることができる。
細かさがユーモアになっている句も多い。〈苗札の花に押されて傾きぬ〉、さり気ないがくすりとさせられる。〈母の日やマッサージ機に顔震へ〉は、かなり面白い。ユニークな母の日である。〈惣菜の値引き待ちをる冬帽子〉〈へそくりの位置を変へたる冬支度〉は俗だが、こうしたものもさらりと俳句にしている。
『毫』は〇を付けた句が一番多い句集だった。作者なりの発見がよく伝わってきた。ただ、ヒットは多いのだが、ホームランとなるとどうだろう、と考えてしまった。それと、ともすれば些事に留まる句がある。それが惜しい。
今はまだ、目にするもの全てを俳句にするのが楽しくて仕方がない、という感じだが、自分の好きなことを突き詰めていけば、新しい境地が開けるだろう。
三位に推した、福田若之『自生地』は、とても意欲的な試みのある句集だ。まず章の構成が目を引いた。一冊の句集を作る過程を、句集の中で再現し、読者はそれを追体験する。普通、本は、終りへ向かって読んでいくが、はじまりへ向かって読んでいく気分になる。
そうした構成のインパクトだけでなく、俳句作品にも見るべきものがあった。〈僕のほかに腐るものなく西日の部屋〉は、都市生活の荒涼とした光景を描いている。〈てざわりがあじさいをばらばらに知る〉の、特異な把握。〈野は枯れて消すまでもない灯がともる〉〈どこにでもあるパンジーがここに咲く〉の突き放したような眼差しを、俳句へ昇華したところ。かと思えば、〈ペプシ! と音してあふれだす冬の星〉からは、現代の青春の抒情を感じる。多彩である。
ただ、やはり分からない句、解釈しきれない句も多かった。散文のような作品や、その他数多くの連作についても、もう少し絞れたのではないか、とも思う。それらすべてを入れなければ、句集を「結晶」させることはできないと作者は考えたのだろうが。とにかく、作者の迷いも含めて、作者自身が投影された句集という印象を受けた。
今回は応募作が十二冊と多かったが、そのどれもが個性的であった。有季定型から自由律まで幅広く、それだけに賞として選ぶことは簡単ではないという思いを持った。また、句集の内容だけでなく、装幀に工夫を凝らすなど、書物としての本を意識させる句集が多かった。本の可能性を考えさせられた。
四ツ谷龍
今回の応募作の中には、強く賞に推したい句集は見出せなかった。この賞の選考では、私自身が刺激を受け、そこから何かを得たいと感じた作品を推挙することにしているが、そのような句集には出会えなかったということである。しかしながら、一応の完成度を見せる句集はあったということ、また12冊という多くの応募があったということから、受賞作は出したいと思いながら、選考に臨んだ。
第1位に推したのは、小野あらた句集『毫』。描かれている世界が狭く面白味に欠けるという他の委員の批判があり、それには私も近い意見なのだが、他の応募句集は良いところがあっても途中で息切れしている印象がある中、小野氏が最後まで自分のスタイルを貫いて一冊としてのまとまりを実現しているところは認めるべきと考えた。
夏草の熱を残せる猫車
欄干へ車を避けて秋の風
第2位は日野百草『無中心』とした。ウィットがあって、省略もよく効いており、内容的にはこの句集にもっとも強く惹かれた。ただ、同じパターンの句が数多く収録されていたり、文法的に疑問のある表現が散見されたりするなど、賞には推しきれない疑問点もあった。
ガマ深く薬莢を抱く大百足
第3位は西山ゆりこ『ゴールデンウィーク』。前半はのびのびと自分の表現したいことを表現されていて好感を持ったのだが、後半になると常識的におとなしくなっているところが残念。表題作の「ゴールデンウィークありつたけのアクセサリー」があまりにも俗な内容であるところも、大きな減点ポイントになってしまった。
葉桜や象のはちきれさうな檻
最終的に小野、西山が評価点1位、2位となり、私としてはどちらが受賞しても良いと感じた。何としても西山作品をというまでの強力な異論は出なかったため、当初の順位どおり『毫』が受賞と決まった。
小野氏の受賞には、かなり運に恵まれた部分があることは否めないだろう。しかし運も実力のうちである。この賞を機に氏がさらなる飛躍をされることを願ってやまない。
選考経過報告
第9回田中裕明賞選考会は、5月4日にふらんす堂において午後1時より午後7時までの6時間にわたって行われました。今回の応募句集は12冊、これまでの田中裕明賞では二番目に多い応募句集の数となりました。選考委員には前もって上位3冊を選んでいただき、良いと思われるものから、3点、2点、1点とそれぞれ点数をつけてもらいました。
その結果、小野あらた句集『毫』7点、西山ゆりこ句集『ゴールデンウィーク』6点、福田若之句集『自生地』5点、大西朋句集『片白草』3点、日野百草句集『無中心』2点、音羽紅子句集『初氷』1点という結果となりました。
今回は4人の選考委員のつけた最高点の3点がそれぞれ皆ことなり、小川軽舟選考委員は『自生地』、岸本尚毅選考委員は『片白草』、津川絵理子選考委員は『ゴールデンウィーク』、四ッ谷龍選考委員は『毫』と評価が分かれました。
一つ一つの句集についての論議の結果、上位3句集の『毫』『ゴールデンウィーク』『自生地』に賞の対象をしぼり、最終的には『毫』か『ゴールデンウィーク』かと意見が分かれたのですが、これまでにない細部にこだわった句集の面白みという岸本選考委員の評価を認めるかたちで『毫』の受賞となりました。
小野あらたさんは23歳(句集刊行時)の最年少の受賞者となります。
ふらんす堂 山岡喜美子
第九回 田中裕明賞候補作品
○『少年レンズ』(葛城蓮士/2017・3・14/私家版)
○『金魚玉』(黒澤麻生子/2017・8・3/ふらんす堂)
○『告白』(瀬戸優理子/2017・8・11/株式会社パレード)
○『毫』(小野あらた/2017・8・21/ふらんす堂)
○『自生地』(福田若之/2017・8・31/東京四季出版)
○『片白草』(大西朋/2017・9・25/ふらんす堂)
○『ゴールデンウィーク』(西山ゆりこ/2017・9・25/朔出版)
○『初氷』(音羽紅子/2017・10・17/童子叢書)
○『赤鬼の腕』(中内亮玄/2017・11・13/狐尽出版)
○『窓の海光』(西躰かずよし/2017・11・21/鬣の会)
○『しっぽから』(あかばねめぐみ/2017・12・24/私家版)
○『無中心』(日野百草/2017・12・31/第三書館)
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