2023年 第14回 田中裕明賞

受賞者の言葉

岩田 奎(いわた・けい)

1999年京都生。
「群青」所属、俳人協会会員。
2015年、開成高校俳句部にて作句開始。
2018年、第10回石田波郷新人賞。
2019年、第6回俳人協会新鋭評論賞。
2020年、第66回角川俳句賞。

 

 -------------------------------------

 

(まえ)
京都に、東京に、豊岡に、鳥取に、数多の旅先に。
自分を育ててくれたすべての場所や出会いに心から感謝する。
(いま)
句集は自分の成長の記録であると捉えた。
いまの自分は抒情というものがなべて気に入らないが、初学のころのそういう句も気に入らないなりに記録と割りきって残すことにした。
いうなれば蒸溜ではなくて醸造という方法によることで、迷いや甘さも含めて真に私の血を分けた本になったように思う。
選者の先生方には思いきりの悪い分身を評価していただきうれしい限りである。
(あと)
ある程度悧巧な子供にはなりおおせたと思うので、次は狷介な老人を目指してゆきたい。

 

 

選考委員の言葉

佐藤郁良

 今回の対象作は十二篇、それぞれに魅力があり、若手句集の充実ぶりを実感した選考であった。この中で、岩田奎『膚』と小山玄紀『ぼうぶら』は私が跋文を書いており、製作過程から関わっていた句集のため、慣例に従い選考の対象から外したことを、初めにお断りしておく。
 今回、私が一席に推したのは、『十一月の橋』(杉原祐之)である。「蛞蝓の長き腸透けにけり」のような硬質な写生句に力量を感じたほか、「嬰児の蒲団かるがる干しにけり」などの子育て俳句、「辞めさうな後輩とゆく年忘」などの職場俳句にも注目した。全体的に安定感があり、平均値が高かったことを評価して一席に推したが、若干おとなしい作風で、冒険が不足していたところはあったかもしれない。
 二席に推したのは、『水と茶』(斉藤志歩)である。全体的にポップな印象の句集であったが、「風呂に湯の溜まるあひだを賀状書く」など、日常の些細な場面を拾い上げてくる姿勢に好感を持った。「ヘッドライトに若き狸が振り返る」など、作者独自の感性が光る句にも注目した。今後の活躍が期待される作者であることは間違いあるまい。
 三席には、『青水草』(鈴木光影)を推した。「蜃気楼歩き続けて脚になる」など、写生を超えたふしぎな感性で世界を捉えようとしているところに注目した。「麻服の気だるき腕に従へり」など眼の利いた句もある一方、やや観念的な句が多かったことが残念に思われた。今後の益々の研鑽に期待したい。
 私の中での次点は、『丈夫な紙』(山岸由佳)である。「こゑ消えてプールに映る誰かの家」や「本入れて鞄の深くなる夜寒」に見られる繊細な感性を伸ばして、自分の世界を構築していってほしいと思う。
 受賞作に決まった『膚』(岩田奎)は、私以外の三人の選考委員が一席に推した句集であり、この句集が裕明賞に決定したのは当然の結論であったと思う。私自身は、自分が跋文を書いていることから選外としたが、自信を持って世に送り出せる受賞作であると思っている。「旅いつも雲に抜かれて大花野」など十代の頃の瑞々しい作品も良いが、「いづれ来る夜明の色に誘蛾灯」「あと一度ねむる夏蚕として戦ぐ」などの吟行句にも、言葉の選択の確かさや華やかさ、地に足のついた力強さを感じる句集である。
 この他、『ぼうぶら』(小山玄紀)、『ことり』(小川楓子)も独自の世界を持った見逃せない句集であったことを申し添えておく。



関悦史

 候補作12句集はそれぞれ独自の様式や方法をつかんでいるものが多かった。
 1位に推した岩田奎『膚』は、表出されることを待ちかまえている詩的な何ものかが、その熱量を失うことなく俳句形式のなかに瞬時に昇華したような輝かしさを帯び、憧憬、事物、情念が出会う場として皮膚にこそ深さを見出すヴァレリー的な認識が自家薬籠中のものとされていた。少なくない旅吟も、事件の生成する場としての膚が時間的空間的に延長されたものと捉えることができ、方法的統合性において一歩抜け出ていた。
 候補作全篇を何度か読み返すうちに次第にその堅固さが際立ってきた山岸由佳『丈夫な紙』を2位とした。デペイズマン的な言葉の取り合わせのはざまから不思議な時空を立ち上げるやり方は近年珍しくはないのだが、その手つきにたとえば吉岡実の詩に通じるような、言葉が進むにつれて事物あるいは事物のはざまの領域が彫りだされていくのをまざまざと目にするような結晶度がともなっており、間接的に作者の固有性が強く感じ取れた。
 第一句集をまとめるにあたってそれまでの端正な句を捨て、はたからすれば得体の知れない領域に足を踏み入れた小山玄紀『ぼうぶら』は達成度の点からすれば上位に入らないはずなのだが、読み終えてしばらく経ってなお胸中に沈潜するインパクトはたしかにあり、読者たる自分の反応を検分しているうちに3位に浮上した。友人、身内と親しみのあるらしい幾つかの土地を主な題材として構成される世界は広くはなく、イメージの奇妙さにも謎や他者性はさしてなさそうであるにもかかわらず、作者が己の心と記憶を丁寧に触診していく過程で拾った物たちによる生の再構築作業自体が読者を引き込む力を持っていたのかもしれない。有季句も多く含まれていたが、季語の生かし方にも地味ながら意外性が宿っていた。
 ほかにも吟味すべき点の多い魅力的な句集は少なくなかったが、詩性、文体、題材(社会、時代、人生なども含む)の相克から独自のスタイルを打ち立ててその魅力を発散するものばかりであったわけではなく、各結社内における制作方法のパターン化が目につくものもないわけではなかった。それぞれの作家がこれまでに何を読み、どう受容し、どこまでを意識してきたかが句集をまとめたとき間接的に露呈する。



髙田正子

 選考会が4回目にして初の対面で行われることとなり、対象句集12冊を持ち出すために(カートで曳いてゆくのだ)並べてみた。立てると丈高く南瓜の色をした『ぼうぶら』がまず目に入る。次は同じく黄色の帯の『丈夫な紙』、そして蛍光ピンクの帯の『水と茶』と続いた。書店の棚にこうして並べられることは今や稀有なこととなったが、目を引くということを改めて考えたのだった。
 これは外面の話。
 中身もそれぞれ固有の面白さがあって、12通りに味わい分けるのが楽しくもあった。もちろん最終的には1冊のみに絞り込むのではあるが、存分に読めたという充実感が苦さに勝った。それにしても若いということは、それだけで変化に富んで面白い。別に私自身が年寄りぶるつもりはなく、変化を留めておくことが句集をまとめる意義でもあると改めて思ったのだった。読み通すのに当然時間はかかるが、候補作は10冊以上あるのが断然あらまほしい。
 今年も一位には迷わなかった。『膚』が図抜けて良かった。〈耳打ちのさうして洗ひ髪と知る〉はごく初期の句。そんな句を詠む高校生って一体、と何度読んでも驚く。〈まだ雪に気づかず起きてくる音か〉〈仕舞ふときスケートの刃に唇映る〉瑞々しさが匂い立つ。〈天の川バス停どれも対をなし〉〈逃水を轢きたるあとはだれも見ず〉日常のふとした気づきにも、知的処理の高さが思われる。〈いづれ来る夜明の色に誘蛾灯〉の「いづれ来る」、〈ただようてゐるスケートの生者たち〉の「ただようてゐる」など、措辞の切れ味も魅力的であった。
 二位にも迷わず『水と茶』を推した。〈ぼた雪や簞笥を人の病むにほひ〉は古い和簞笥の雪の日の匂いを髣髴とさせる。「おばあちゃんちの匂い」とでもいおうか。〈子雀の嘴にある鼻の穴〉嘴がまだ黄色いと見つめて「鼻の穴」に帰着する面白さ。〈まだ黒くなる芋虫の骸かな〉その眼差しのしつこさに敬意を表したい。〈目がふたつマスクの上にありにけり〉敢えて「ありにけり」と措いたことで無表情さを思わせる。また〈おり立ちて枯野に靴の親しまず〉の「親しまず」など、最後まで力を塩梅しつつ詠み切っているところにこの人の力量を感じた。
 三位は迷ったが『ふつうの未来』を推すことにした。序文に池田澄子さんが書かれていたが「詩的認識をそのままにせず、下五で何事もなかったような形にして身に引き寄せている」ことによる、読者からのアクセスのしやすさに驚きを覚えつつ。その細やかさが淡さに通じることがあるかもしれないが、丁寧な詠みぶりにおおいに好感を抱いた。



髙柳克弘

第一位に推した岩田奎句集『膚』は、高校生時代の抒情性豊かな作風からはじまり、吟行先の地名を前書きで明示した写実的な作風に変わっていった。前半には「旅いつも雲に抜かれて大花野」「まだ雪に気づかず起きてくる音か」、後半には「奥州市天竺老婆みな氷る」「座頭虫天辺にゐるケルンかな」といった秀句を拾うことができた。今後もさらなる変化を遂げる勇気、そして秀句を生み出す力を備えた作者であると確信した。
 二位に推した『水と茶』の著者である斉藤志歩は、誰も気づいていないような日常の断片を切り取るのに長けていた。「朝練へ雪のスナック街抜けて」「炊飯器に花の模様や犀星忌」「遠足や眠る先生はじめて見る」「サンダルを踏んで受け取る出前かな」「取り出しておでんの夜に使ふ鍋」「くしやみしてくしやみの音を真似されて」など写実に根ざした向日性に富む作風。日常の裏にひそむ混沌や不穏まで届くような写実を成せる可能性を持った作者だと思う。
三位に推した小山玄紀『ぼうぶら』は無季俳句も取り入れた意欲的な集だった。「鎌倉の未亡人より賀状来ぬ」「父達の橋の計画秋の蝶」「受験生より電話来る渚かな」などの有季句、「遠ざかりつつ友人は楔形に」「旅せむと胸の柱をばらしておく」「棘描くうちにすつかりよくなりぬ」などの無季句、秀句は多く拾えた。やや抽象度の高さが過ぎるために読者を置き去りにして、庶民文芸である俳句の域を超えていると感じる句もあった。
 候補となった句から一つずつ引きたい(刊行順)。日々の句作の積み重ねから豊穣な成果を見せてくださったことを心から感謝したい。「凍星や彼女の嘘と洗濯機」(夕雨音瑞華『炎夏』)、「残業の妻の分までおでん買ふ」(杉原祐之『十一月の橋』)、「歩き来て顔に渦なす枯野人」(鈴木光影『青水草』)、「きらら虫快走ご安心の毎日」(小川楓子『ことり』)、「冬の金魚家は安全だと思う」(越智友亮『ふつうの未来』)、「アカシアの樹の立ち細る冬の虹」(伊藤幹哲『深雪晴』)、「君に返すわが香移しし革ジャケツ」(椎名果歩『まなこ』)、「朝桜トラックの幌しかと締め」(渡部有紀子『山羊の乳』)、「冬麗の花粉をつけて戻り来し」(山岸由佳『丈夫な紙』)。



選考経過報告

 第14回田中裕明賞の選考会は、5月4日の午後1時半よりふらんす堂にて対面の選考会となりました。対面での選考は新しい選考委員となってはじめてのことです。  選考委員は、あらかじめ良いと思われるものに3点、2点、1点をつけてもらい上位3位までを決めてもらいます。  その結果、岩田奎句集『膚』9点、句集『水と茶』6点、杉原祐之句集『十一月の橋』3点、山岸由佳句集『丈夫な紙』2点、小山玄紀句集『ぼうぶら』2点、鈴木光影句集『青水草』1点、越智友亮句集『ふつうの未来』1点、という結果となりました。  佐藤郁良選考委員は、句集『膚』と句集『ぼうぶら』についてはそれぞれ跋文を寄せ編集にかかわったということで、点をいれることを控えられました。  3人の選考委員が句集『膚』に最高点の3点を付けて最高得点となり、佐藤郁良委員も異存はなく、その結果、最高点をとった句集『膚』が今回の田中裕明賞の受賞となりました。  今回の応募句集は十二冊と多かったのですが、選考委員の方々が口をそろえておっしゃったのは、充実したレベルの高い句集が揃っていたということです。結果的に無点となった句集についても、3位にするかどうか迷ったという句集も多く、そういう意味では悩ましい選考であったかもしれません。  応募句集も多く、今回から選評について時間制限をお願いしました。点の入った句集は5分、入らなかった句集については3分を基準としましたが、語り足りなかったことは冊子に補足して語ってもらうことに致しました。冊子「第14回田中裕明賞」にすべて記録されていますので、是非に読んでいただきたいと思います。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第14回 田中裕明賞候補作品

○『炎夏』(夕雨音瑞華/2022年3月1日/ふらんす堂)
○『十一月の橋』(杉原祐之/2022年4月9日/ふらんす堂)
○『ことり』(小川楓子/2022年5月20日/港の人)
○『青水草』(鈴木光影/2022年5月30日/コールサック社)
○『ふつうの未来』(越智友亮/2022年6月23日/左右社)
○『深雪晴』(伊藤幹哲/2022年9月25日/文學の森)
○『ぼうぶら』(小山玄紀/2022年11月22日/ふらんす堂)
○『水と茶』(斉藤志歩/2022年11月25日/左右社)
○『まなこ』(椎名果歩/2022年12月6日/ふらんす堂)
○『』(岩田奎/2022年12月11日/ふらんす堂)
○『山羊の乳』(渡部有紀子/2022年12月26日/北辰社)
○『丈夫な紙』(山岸由佳/2022年12月28日/素粒社)

 

【刊行順】