2024年 第15回 田中裕明賞

受賞者の言葉

浅川芳直(あさかわ よしなお)

受賞者

1992年宮城県名取市生まれ、同市在住。東北大学大学院に在籍し、哲学を専攻。1998年「駒草」入門、現在同人。2017年より東北ゆかりの平成生まれで同人誌「むじな」を発行。2020年第8回俳句四季新人賞、2021年宮城県芸術選奨新人賞、2022年第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞。

 剣道には「露の位」という教えがあります。木の葉に溜まった水滴は凝集して露となり、満ち満ちると弾けて大地に落ちます。機が熟すまで静かに気を溜め、露が弾けるように打ち切りなさいという教えです。
 私の俳句も、露の位で行こうと思うようになりました。心動く出会いをじっと待ち、その瞬間を逃さないこと。自分の側の感受性を高めておいて、対象に対する直感を働かせること。形式の返り討ちに遭うことも受け入れ、覚悟を決めて言い切ること。
 あまり奥深く考えると難しくなる気がします。
 誰にもできる単純なことを、誰も真似できないほど練り上げてゆきたいと思います。 

 今回の受賞は、俳句を志す表現者としてこの上ないスタートです。主催のふらんす堂様、選考委員の先生方、幼い頃、私の美意識を耕してくれた亡祖父・津軽芳三郎と「駒草」の故・世古諏訪さん、お付き合いいただいているすべての皆様に感謝いたします。本当にありがとうございます。

 

 

南十二国(みなみ じゅうにこく)

受賞者

1980年12月 新潟市生まれ
2006年2月 「鷹」入会
2007年   「鷹」新人賞
2009年   「鷹」俳句賞
「鷹」同人・俳人協会会員

 ふらんす堂の山岡喜美子さんより受賞のお電話をいただいたとき、私はデンカビッグスワンスタジアム前の遊歩道を歩いていました。
 デンカビッグスワンスタジアムは、新潟市内のひらけた場所からならどこからでも見える、新潟市のシンボル的存在です。その名のとおり水面にうかぶ白鳥を思わせる形をしています。
 受賞の知らせをどこかうわのそらで聞きながら、私は巨大な翼を載せたコンクリートの外壁いっぱいにみちる橙色の夕影を見上げていました。
 『日々未来』は小川軽舟先生をはじめ、多くの皆様の温かい後押しで生まれた句集です。このたびの思いがけない受賞は、孵って間もない雛鳥への親鳥のみちびきのようなものかもしれない。そんなふうに受けとめ、さらなる未来へはばたきたいと思いました。  選考にあたられました先生方に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

選考委員の言葉

佐藤郁良

 今回の対象作は9篇、それぞれに個性的で魅力があったものの、どれを一席に推すべきかは、正直かなり迷った。それだけ実力が伯仲していたとも言えるし、抜群の一集がなかったと言えるかもしれない。
 そのような中で、私が一席に推したのは、『木賊抄』(中西亮太)である。「やはらかき蜷の腹より蜷の道」や「秋の蚊の志なく飛びゆけり」など、動物の一物句が秀逸で、いささかのユーモアがあるところに好感を持った。「糊あまくにほへる障子洗ひかな」なども確かな実感があり、堅実な写生句に力量を感じた。どういう句を作りたいのか、他の句集と比べて自分の方向性がしっかり定まっていると感じたことが、一席に推した理由である。他の選考委員から支持が得られなかったのは残念だが、今後も迷わずに自分の道を究めていただきたいと思う。
 二席に推したのは、『夜景の奥』(浅川芳直)である。全体的に安定感があり、俳句の基礎がしっかりできている印象があった。「かごめかごめ残花瓦礫へ降りゐたり」などの震災詠をはじめ、東北の風土に根ざした作句姿勢にも共感した。また、「夜濯に道着の藍の匂ひけり」「電灯のひそかな異音さくらの夜」など、即物的でありながら、かすかな叙情が漂う作品にも惹かれた。四人の選考委員全員から支持され、田中裕明賞に決まったのは自然な結論であったと思う。
 三席には、『巣立鳥』(千鳥由貴)を推した。「祖父に似て眉太き子や雲の峰」「走りきて水筒つかむ五月かな」など、健康的な子育て俳句に好感を持った。また、「けだるげに衣桁をすべり花衣」など、モノの質感がしっかり伝わってくる写生句にも実力を感じた。ややおとなしい作風で、他の選考委員からの評価が得られなかったのは残念だが、今後の益々の飛躍に期待したい作者である。
 もう一篇の受賞作に決まった『日々未来』(南十二国)は、私の中では次点クラスの評価であった。全体に向日性のある作風で、「遺跡ふと未来に似たり南風」など発想のユニークな句や、「コスモスや両腕に猫抱きあふれ」など措辞に独自性がある句に強く惹かれた。一方で「恐竜は蜥蜴に猿は人間に」など、理知に偏りすぎていて全く評価できない句もあった。「地球」「宇宙」と言った大味な単語の多用も気になり、上位3篇に推すことができなかった。
 受賞作を『夜景の奥』一本にすべきか、『日々未来』を含めたダブル受賞とすべきかは、選考委員の中でも意見が分かれ、議論となった。私自身は、『夜景の奥』の単独受賞でよいのではないかと思っていたが、最終的にはダブル受賞を受け入れた。ダブル受賞とすることで、賞の価値が下がることは好ましいことではないが、受賞をきっかけにその作者がさらに伸びてくれることを期待したいと思ったからである。受賞されたお二方には、その責任を自覚して、今後のさらなる研鑽と飛躍を期待したいと思う。
 今回、選外とはなったが、『髪刈る椅子』(吉田哲二)も良い句集であった。子育て俳句は粒揃いであったが、もう少し幅広い素材が拾えると良かったかもしれない。その他の句集にも、それぞれ見どころがあり、可能性を感じた。応募者の皆さんの健闘を称えたい。

 

関 悦史

 今回の応募作に驚嘆の念を覚えさせられる異質さを帯びたものはなかった。ゆえに審査時の順位付けも相対的なものとなった。賞の格を重視した場合、該当作なしとするのが妥当と思えたが、新人賞のことではありなるべく受賞者を出すべきとも思い、他の選考委員の点も集中した上位2作への授賞にことさら異を唱えることはしなかった。
 私が1位に推した藤原暢子『息の』は句柄がのびやかで、唯一、審査を忘れて楽しめた句集だった。こちらも裕明賞の候補であった前句集『からだから』刊行からわずか3年での第2句集で、身体感覚を希薄に拡張して他のものと通底しあう基本的な方法は変わらないが、作品の空気がより豊かになり、そのことが抑制的なつくりの「畳屋の白い朝顔ひらきけり」のような都市叙景にも生きていた。ただし他との通底を禁欲しきって外からの写生に踏みとどまった章「町の名」の句などは精彩や個性を欠いた。
 2位とした南十二国『日々未来』は、児童向けにリライトされたSFのシンプルな装画を想わせる世界の親和的な捉え方がすでに明確で、その明るさ、純朴さを俳句の形に仕上げ、魅力的な作品にする技量も持っている。その技量が明るい世界と俳句形式とを平穏に慣れあわさせているようで、文体によって作品から排除されるものの質量を思わせ、どこかもどかしさを感じさせもするのだが。
 とはいうものの風土や生活をさほど題材として打ち出しているわけではないにもかかわらず、浅川芳直『夜景の奥』とともに地方の暮らしの感触や感慨が自然に伝わる句もあり、句集としてインパクトは希薄ながらスタイルの独自性において優れていた。「ロボットも博士を愛し春の草」のような有名句(必ずしも名句というわけではない)をすでに持っていることも親しみやすい作風ゆえの強みではある。
 3位に推した浅川芳直『夜景の奥』は句の中に「ひかり/光」の類が頻出するにもかかわらず、そこからただちに連想される、遠いものや聖性にあこがれる性質のロマン主義に偏った平板な句集との印象はない。光と対峙し見据えている己の方に軸足が置かれているためかもしれないのだが、それ以前にこの句集は、目に見えないもの、不可知なものを詠むことを峻拒しているとも考えられる。標題句「雪となる夜景の奥の雪の山」にしても「夜景」が「光」のヴァリエーションだが、「奥」までしかと視野の内に捉えられており、茫々漠々たるその果はない。ただし題材に「砂溜る破船の中や南吹く」のように荒涼の気が漂うものが少なからずあり、気分を通したリアリティが句集を貫いていて、そこが必ずしも堅実一方ではない魅力に繋がっている。
 今回ことに無得点となってしまった句集に真面目に句作の修練を積むという取り組み方の作者が多かった気がするが、謙虚が過ぎると句集に張りがなくなり、色気は失われる。

 

高田正子

 選考委員が今のメンバーになって5回目の選考会であった。任期10年の折り返し地点に差し掛かったことになるが、はじめの3回がZoom開催であったせいか、その実感は希薄だ。ただ、候補者のお名前を存じ上げていることが増えた。ありがたい変化である。
今年の候補作は9冊。9通りの個性に真向かうことは楽しかったが、選考には悩んだ。1位と2位には『夜景の奥』と『日々未来』を、3位4位には『息の』と『耳梨』と『トルコブルー』を並べて唸った。
 1位に推した『日々未来』は、世界のすべてが驚きだった日々を、読む人に思い出させてくれる句集だ。たとえば〈あかるさに脚あそびゐる浮輪かな〉に昔々の海水浴の景が蘇った。海を喜ぶ自分の脚の不思議な白さに驚いた記憶だ。小学生だった私に作句の意志や気分は無く、また大人になってからはそうした驚きを抱くに至らず、よって私にこの類の句は無い。〈巣立鳥とどろく水に遇ひにけり〉〈ででむしの腹ゆゆゆゆと動きけり〉〈蝶ふたつはやくちことば言ふごとし〉等々プリミティブな出会いがふさわしい言葉を与えられて並んでいる。もちろん対象に驚きをもって迫れば迫るほど、擬人化や(関氏の名付けたところの)擬自然化が多くなるのは必定。オノマトペや比喩も多く、均衡のとれた句集とは言えない。が「生まれたて」の勢いは断トツであり、私はそこを推すことに決めた。
 2位とした『夜景の奥』は対照的に冷静で思索的である。はからずも2冊の表紙はそのイメージ通りに対照的な赤と青。抽象と具象。混沌と整然。並べるとお互いに個性が際立つ気がする。 『夜景の奥』は4章から成るが、それぞれが起承転結の役割を担っていることに瞠目した。転の章(第3章)には独断的かつ直情的な詠みが増え、その勢いが好もしい。編年体であるから、このころ乗って来たということであろう。〈春愁はきつと退屈タオル乾す〉〈電灯のひそかな異音さくらの夜〉〈白ばらへ雨の垂直濁りけり〉〈揚羽蝶葉にこぼしゆく卵かな〉等。第4章が更なる転であったら、1位に推したかもしれない。
 3位とした『息の』は2度目の応募である。前作『からだから』(2020年刊)で長所とされた身体感覚を更に研ぎ澄まし、指摘された欠点を一掃してまとめあげた見事な一集。〈じやがいもの花より雲の生まれけり〉〈百足虫さらさら私を樹と思ふ)といった作者らしい句群に、〈木枯や拝む手に銭匂はせて〉〈白萩やかがんで入る木の扉〉のような「らしくない」が味のある句が入るようになってきたことも評価してよいだろう。
 今年は選考に携わるようになって初めて2冊の受賞作を出すことになった。主催のふらんす堂さんには申し訳ないが、いつも以上に達成感の伴う選考となった。

 

髙柳克弘

 第一位に浅川芳直『夜景の奥』を推した。風景を的確に写し取る手腕に長けていて、そこに主情も色濃くこめられている。典型的なのは「雨あがるひかり氷菓の封を切る」であろう。雨あがりの夏の空が見えてくるとともに、日々を生きる活力を感じた。「日向濡れゆく初雪の駐車場」は巧い句だ。「初雪」の本意をしっかりおさえている。「あかるくてからつぽしぼり器のレモン」は、現代の小説や短歌に伏流するものを汲み上げている。上の世代の俳人たちがやり残した大きな仕事を成してくれそうな、可能性に満ちた作者である。
第二位に推した南十二国『日々未来』は、「ロボットも博士を愛し春の草」「遺跡ふと未来に似たり南風」といったSF小説の題材も散見され、従来の句集にはない新しさを感じた。「手の届かないものに恋焦がれる」というテーマが句集を貫いていて、統一感もある。今後もひとびとに愛誦されるであろう代表句を、いくつも持っているのも強みだ。「集まつてだんだん蟻の力濃し」「せはしなくあをいてがみを読むひばり」。
第三位は野名紅里『トルコブルー』とした。学校や家庭が主な舞台となっていて、それは関心の狭さという弱点にもなってしまっているが、淡い色調の独特の世界観を作ることに成功している。「扇風機売り場で母を待つてゐる」「祖父の撮る祖母や大きな夏帽子」。
全体に、俳句の伝統や季語の本意に誠実に向き合っている句集が多かった。誠実であることは、若い世代の作者のひとつの傾向と見える。ただ、積み上げてきた歴史に対して批評意識、反骨精神を持つことも大切だろう。
以下、候補となった句集から、ひとつずつ好きな句を引く(刊行順)。「青芝に髪刈る椅子を据ゑにけり」(吉田哲二『髪刈る椅子』)、「走りきて水筒つかむ五月かな」(千鳥由貴『巣立鳥』)、「鹿轢きし列車つるりと来たりけり」(十月十日『幸福な夢想者の散歩Ⅱ』)、「木に戻りつつある家も暮れかぬる」(藤原暢子『息の』)、「柏餅カナダの滝の大きくて」(中西亮太『木賊抄』)、「学僧が護符の糊煮る目借時」(桐山太志『耳梨』)。

 

選考経過報告

第15回点数表

 第15回田中裕明賞の選考会は、5月4日の午後1時半よりふらんす堂にて対面のかたちで行われました。
 選考委員は、あらかじめ良いと思われるものに3点、2点、1点をつけてもらい上位3位までを決めてもらいます。
 その結果、浅川芳直句集『夜景の奥』8点、南十二国句集『日々未来』7点、藤原暢子句集『息の』4点、中西亮太句集『木賊抄』3点、野名紅里句集『トルコブルー』1点、千鳥由貴句集『巣立鳥』1点という結果になりました。
 今回、関悦史選考委員が選考会場にむかう電車の車両事故にて選考会開始時刻にまにあわないという事態が発生しました。到着をまってすすめると1時間あるいは2時間、開始が遅れてしまうかもしれないことを鑑み、いままでの選考のやり方を変え、点の入らなかった句集より評してもらい、関選考委員には間に合った段階で加わってもらい、選評をもらえなかった句集については冊子で評してもらうということになりました。幸いなことにほぼ1時間ほどの遅れで関選考委員も到着し、選考会は滞りなくすすみました。今回、受賞の論点となったのは、8点の浅川芳直句集『夜景の奥』の単独受賞とするか、あるいは、7点の南十二国句集『日々未来』のダブル受賞とするか、です。それについては、かなりの時間をかけて話合われました。点数が競っているということもあり、二つの句集が対照的なものでもあるということから、結果ダブル受賞ということになりました。
 今回は点の入らなかった句集から評して貰ったわけですが、選考委員の方たちの選評はとても丁寧でそれぞれの美質に言及しており、点の入らなかった句集から評するのは、かえっていいのではないか、という感触を得た次第です。
 冊子「田中裕明賞」にすべて記録されていますので、是非に読んでいただきたいと思います。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第15回 田中裕明賞候補作品

○野名紅里句集『トルコブルー』(2023年7月30日 邑書林)
○吉田哲二句集『髪刈る椅子』(2023年8月4日 ふらんす堂)
○南十二国句集『日々未来』(2023年9月7日 ふらんす堂)
○千鳥由貴句集『巣立鳥』(2023年9月13日 ふらんす堂)
○浅川芳直句集『夜景の奥』(2023年12月2日 東京四季出版)
○十月十日句集『幸福な夢想者の散歩Ⅱ』(2023年12月18日 デザインエッグ株式会社)
○中西亮太句集『木賊抄』(2023年12月25日 ふらんす堂)
○藤原暢子句集『息の』(2023年12月25日 文學の森)
○桐山太志句集『耳梨』(2023年12月25日 ふらんす堂)