2015年 第6回 田中裕明賞

受賞者の言葉

鴇田 智哉(ときた ともや)

受賞者

1969年 木更津に生まれる
1996年 俳句結社「魚座」(今井杏太郎主宰)入会
2001年 俳句研究賞受賞
2005年 句集『こゑふたつ』出版、俳人協会新人賞受賞
2006年 「魚座」終刊
2007年 俳句結社「雲」(鳥居三朗主宰)入会、編集長
2013年 「雲」退会、結社無所属となる

 

今ということ

 

海へ潜って、それから上を見あげると、青白く眩しい水の向こうに、ゆらめいている水面が見える。水面には日がゆがみつつ動いている。
その水面へ向かって昇っていく。
そして、水面から空へ、目がうつるその瞬間の、水のゆらめきそのもの。
水のゆらめきなのか、目のゆらめきなのかがわからなくなる感じ。
いつも目は、水面だ。
目のおもて側はゆらめく空、目のうら側はゆらめく海。

 

海にとけている過去や未来、それらはときどき、水面の今へのぼってくる。
以前と以後が、水面を行き来する。
句集のあとがきに、「心は以前にも以後にもうつる」と書いた。
心とはすなわち、この水面の今である。

 

「凧と円柱」は、水面にありえているだろうか。

 

選考委員の言葉

石田郷子

 今回の選考には、第一に『青鳥』、第二に『凧と円柱』、第三に『君に目があり見開かれ』と順位をつけて臨んだ。が、この三冊は一口に句集と言っても、全く作風が異なり、その違いはジャンルそのものが異なると言っても過言ではないほどである。毎回のことだが、今回も比較は困難だと思った。田中裕明という作家のイメージに重ねてみてふさわしい人を、最後には選ぶしかない。

 

 『青鳥』はオーソドックスな俳句の形を守りながら、作者自身の生活に根ざして、新人らしく感動や喜びをのびやかに表現している句集で、清々しいことこの上ない。『凧と円柱』は全く理解の及ばない作品もあったが、限りなく空想の世界に遊ばせて貰える楽しさがあった。力のある作家だと思う。『君に目があり見開かれ』は、『一番線』『砂の輝き』としばし迷ったものの、脆さと強かさを合わせ持った野性味のある青春性にはやはり強く惹かれて選んだ。『凧と円柱』もそうだが、なによりもまず一人の作家として意図したところがあるという健やかさは外せないと思った。そういう意味で今回の受賞作に異論は無い。

 

小川軽舟

 俳人が成長する道すじはさまざまである。俳句結社で主宰や先輩に育まれ、やがて作者自身の個性を現して一人前になっていく者。俳句結社から独立して、あるいは一定の距離を置いて、俳人としてのスタンスを固めて行く者。その軌跡として残される句集は、だから扉を開けて中に入った瞬間から、人によってまったく異なる空気に満たされている。
 第一位に推した佐藤文香の『君に目があり見開かれ』は、既成の俳句らしさからすり抜けつつ、それでもなお俳句によってこそ世界を自分に引き寄せることができるという意志をもって一句一句が詠まれていることが感じられる。なぜか不思議と励まされ、元気が出る句集だった。「歩く鳥世界にはよろこびがある」、飛ぶ鳥ではない、歩く鳥だというのがよい。私も一緒に歩いてよろこびたくなった。「柚子の花君に目があり見開かれ」「風はもう冷たくない乾いてもいない」、内包する情趣は案外古風だ。しかし、古風であることと現代的であることは矛盾しないだろう。
 第二位に推した鴇田智哉の『凧と円柱』も見慣れた俳句からは遠い。しかし、それでもなお、俳句でなければならないという意志はしたたかだ。「上着きてゐても木の葉のあふれ出す」「凩のふざけるこゑのして終る」。五七五の形式がへたるぎりぎりまで意味という空気を抜いてやって、言葉が言葉そのものとして響き合うことを目指している。空想ではなくあくまで現実に立脚して詠まれていることは、「毛布から白いテレビを見てゐたり」に始まる震災詠からもわかる。
 第三位とした鶴岡加苗の『青鳥』は、結社で健やかに育まれて才能が次第に開いてゆく過程が、句集としてくっきりと表れていた。「鍵穴のやうな子の耳青胡桃」「音たてて開けるカーテン朝ざくら」「街灯にまたも弾かれ夜の蝉」といった作品が好もしい。私自身が結社で育った道のりを振り返るようななつかしさを感じた。

 

岸本尚毅

 選考委員会では『君に目があり見開かれ』を第一位に推した。「これもあげるわしやぼん玉吹く道具」は、きっぷのよい女の子が友達にシャボン玉の道具一式を与えているところを想像する。「これも」なので、他にも物を与えたのだろう。「月下汗だくずつと大きく手を振り合ふ」は、季題は「汗」。絵に描いたような青春というのか。「貸ボートの左の空が明るくて」は「貸」と「左」が読者の想像を誘う。「雨の日の水澄むことのほんたうに」は「ほんたうに」によって水面の印象が強まる。「人待てば樹は春雨に重くなり」は「重く」に感情が託されている。この言葉、この文字に読者がどう反応するかを考え抜いて、よく練り上げた作(美しく練り上げたのではなく、読者が自然に句の世界に入って行けるように、という意味)が多くあった。表紙に小さい字で「レンアイ句集」とあったが、それは無視して読んだ。
 『凧と円柱』を第二位に推した。「或る夜の守宮と影をかさねたる」「かまきりの眼のそらに面したる」「水に輪があらはれ寒くなりにけり」「点々と石やいはきの白い夏」「うなばらが照りぬ樹液にすずめばち」など、とにかく句に力がある。こういう句は逆立ちしても私には作れない。脱帽である。この句集の受賞に全く異存はない。
 『青鳥』を第三位に推した。「青嵐吾子につむじの二つあり」「絨毯の薔薇をなぞつてゐる赤子」「着ぶくれてお座りの子のすぐ傾ぎ」「親馬鹿は我のみならず年賀状」「風邪ひけば二重まぶたになる子かな」など、子育て経験者としては納得出来る句ばかり。「そのうへを飛ぶもののなし曼珠沙華」「ふたたびの雨聴くことも夜長かな」「雪降れり空ともつかぬあたりより」「街灯にまたも弾かれ夜の蝉」「山百合の蕾に雨のはね返る」「町内の夜景を眺め缶ビール」「夜濯や夜も明るき街に住み」「立ち並ぶ夜店ふるさとさながらに」など、二物配合に依存せずに読み応えのある句が作れるところに注目。「信号の赤が真赤に夏の雨」「自転車を漕いでむかしへ秋ざくら」などの季題の「噛み砕き」も良いと思った。

 

四ツ谷龍

 どのジャンルであれ、ほんとうに新しいと呼ばれる作品は、「世界観の新しさ」「感覚の新しさ」「技術的な新しさ」の三つを同時に実現していなければならない。鴇田智哉句集『凧と円柱』はこの三条件をすべて満たす、すばらしい句集である。
 世界観の新しさ:世界を物体の集合として見るのではなく、膜面の集合のようなものとして見る独創性。

 

  かまきりの眼のそらに面したる
  どこまでの木目のつづく春の家

 

 感覚の新しさ:部分を重視することで全体を不分明にし、高低感が逆転し、物同士の境界が消されていく。その結果、現実が日常とはまったく違うものとして見えている。

 

  髪切はむらさき色の脚で来る
  ぼんやりと金魚の滲む坂のうへ

 

 技術的な新しさ:本句集に導入された多くのテクニックをこの場では紹介しきれないが、一例として文節をまたいで同音を連打する技法を指摘したい。

 

  雉鳴くとトタンの板が出てをりぬ
  まつくらな家にとんぼの呑み込まる

 

 鴇田智哉は俳句に一時代を築く可能性を持つ人である。このような作家を受賞者として迎えることができたのは、田中裕明賞にとって名誉なことと言ってよいのではないか。
 他の六冊は、近い水準の句集が揃ったという印象であった。甲乙つけがたく、順位を決める上で大いに迷った。二位を鶴岡加苗『青鳥』、三位を岡田一実『境界 -border-』としたが、他の四冊がそれに劣るというわけではない。

 

  ずぶ濡れのアシカ三頭みなみかぜ  鶴岡加苗『青鳥』
  金風や馬の横腹盛り上がり  岡田一実『境界 -border-』

 

 今回も多くの方が応募してくださったことに、心から感謝したいと思う。

 

選考経過報告

 第6回田中裕明賞の選考会4月29日にふらんす堂に於いて午後1時から4時過ぎまでおよそ3時間余りにわたって行われた。
 選考委員は石田郷子、小川軽舟、岸本尚毅、四ッ谷龍の四氏。応募句集は全部で7句集。前もって三句集を選びそれに良いと思われるものから3点、2点、1点と点を付けて貰い、その結果に従って討議を重ねた。 その結果、鴇田智哉句集『凧と円柱』9点、佐藤文香句集『君に目があり見開かれ』7点、鶴岡加苗句集『青鳥』7点、岡田一実句集『境界-border』が1点という結果となった。その上で一冊一冊を丹念に討議し、鴇田智哉句集『凧と円柱』に受賞が決定した。
 今回、点数は一定の句集に集中したが、点が入らなかった句集もそれぞれ期待されるべきものがある、というのが各選考委員の評価であった。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第六回 田中裕明賞候補作品

○涼野海音句集『一番線』(文学の森)
○佐藤文香句集『君に目があり見開かれ』(港の人)
○杉田菜穂句集『砂の輝き』(角川学芸出版)
○鶴岡加苗句集『青鳥』(KADOKAWA)
○鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂)
○岡田一実句集『境界-border-』(マルコボ.コム)
○岩田暁子句集『花文字』(KADOKAWA)