
《八月九日》昼寝果つ遠潮に名を呼ばれつつ
たまに、本に付箋を貼る。きっちり貼る、ということはない。ルールはなく、気まぐれだ。私は直感優位型であり、一貫性に乏しい。だが、それでも、貼るたびに何かが可視化されている、と思う。
付箋は思考の仮固定装置であり、脳の外部メモリとして振る舞う。どこに貼ったか、なぜそこだったか。あとで見返しても思い出せないが、それもふくめて思考の軌跡である。配置パターンは、可視化された読書中の心拍図だ。
無断転載・複製禁止
たまに、本に付箋を貼る。きっちり貼る、ということはない。ルールはなく、気まぐれだ。私は直感優位型であり、一貫性に乏しい。だが、それでも、貼るたびに何かが可視化されている、と思う。
付箋は思考の仮固定装置であり、脳の外部メモリとして振る舞う。どこに貼ったか、なぜそこだったか。あとで見返しても思い出せないが、それもふくめて思考の軌跡である。配置パターンは、可視化された読書中の心拍図だ。
無断転載・複製禁止