
《十二月三十日》思考とは雪野を歩く音のなさ
今年は若い頃に読んだ本を手放した。思考の主導権を過去の自分に握られたくなかったからだ。内容はすでに頭の中にあり、本を処分したからといって消えるわけではないが、それでも「忘れたい」という思いのほうが強かった。まっさらな気持ちで勉強がしたい。そのために視界を白くしたい。本棚の前を通るたび、過去の自分に呼び止められる状態では思考が前に進まない。手放したのは本ではなく「既読である自分の像」だったのかもしれない。
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今年は若い頃に読んだ本を手放した。思考の主導権を過去の自分に握られたくなかったからだ。内容はすでに頭の中にあり、本を処分したからといって消えるわけではないが、それでも「忘れたい」という思いのほうが強かった。まっさらな気持ちで勉強がしたい。そのために視界を白くしたい。本棚の前を通るたび、過去の自分に呼び止められる状態では思考が前に進まない。手放したのは本ではなく「既読である自分の像」だったのかもしれない。
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