《七月三十日》ひと息を水にのこして櫂涼し

しゃべるとき、ことばは液体に似ている。音とリズムに乗って流れ出し、内容はすぐ蒸発する。多少意味がずれても、表情や声色で補正できる。
対して、書くことばは固体だ。時間をかけて整形されるが、いったん定着すれば変更がきかない。
しゃべる=熱運動、書く=結晶構造。両者の間には相転移のような非連続がある。私はその断層にしばしばつまずき、こぼれ落ちた意味の残骸を、ひとつずつ拾っている。

著者略歴

小津夜景(おづ・やけい)

1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。

(ヘッダー写真:小津夜景)

 

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バックナンバー

  • 7月31日:葭五位の影ほそりゆく昼の岸
  • 7月30日:ひと息を水にのこして櫂涼し
  • 7月29日:籐枕やいま聴こえしは別の夜
  • 7月28日:かはほりの影こそ火より熱きもの
  • 7月27日:青嵐呼べど返事の来ぬ世界
  • 7月26日:もう誰も栖まぬ基地なり月に苔
  • 7月25日:苔むせる月の光をわたる馬
  • 7月24日:夕立や見知らぬ駅に我が影も
  • 7月23日:夕顔を嗅げば老犬名を忘れ
  • 7月22日:なにもないそれが答への夏野かな
  • 7月21日:泉湧くマルセイユには遺書と酒
  • 7月20日:泳ぐ身の影ひとつなる異国かな
  • 7月19日:虹のまま消えて白きは画家の庭
  • 7月18日:虹の果てバゲット抱けば乳母車
  • 7月17日:虹去りて泣き子負ひたる修道士
  • 7月16日:虹立つや見るものすべて逆しまに
  • 7月15日:夏座敷ガーゼのやうな陽が滲む
  • 7月14日:死ぬあたし氷川きよしがきこえてる
  • 7月13日:蛍火の語源は古くLatinのluc
  • 7月12日:優曇華を孕みてバルト眠れずに
  • 7月11日:空き家より盗聴器出るふのりの夜
  • 7月10日:大航海時代の夢を蚊は吸へり
  • 7月9日:残像の市やパパイヤ置き去られ
  • 7月8日:都市熱にゆれるテスラと蜘蛛の糸
  • 7月7日:出欠表の端に死ぬ風ふととまる
  • 7月6日:ジョイス読む蟷螂いつも逆さまに
  • 7月5日:風死してウディ・アレンの茹でた豆
  • 7月4日:フロイトの夢に蛾の影ひとつふえ
  • 7月3日:百足またボルヘスの書を這ふ夜かな
  • 7月2日:蚤を飼ふシェイクスピアの失恋記
  • 7月1日:打ち水や梁をくゆらし光の緒

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