
《十一月二十四日》木菟引や声のかげろふ木を巡る
ハノンは弾くのも聞くのも好き。だけどチェルニーは無理だ。今まさに、夫がベートーヴェンのソナタを弾く前の準備運動として延々チェルニーをやっていて気が狂いそうである。そんなんええからはよ弾かんかい、と思う。ハノンの楽譜は単なる運動のパターンであり、水の滴りやミシンの針のような抽象的な無があって、気持ちがいい。だがチェルニーは旋律を装いながら結局なんでもない。その詐欺が疲労の原因みたいだ。
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ハノンは弾くのも聞くのも好き。だけどチェルニーは無理だ。今まさに、夫がベートーヴェンのソナタを弾く前の準備運動として延々チェルニーをやっていて気が狂いそうである。そんなんええからはよ弾かんかい、と思う。ハノンの楽譜は単なる運動のパターンであり、水の滴りやミシンの針のような抽象的な無があって、気持ちがいい。だがチェルニーは旋律を装いながら結局なんでもない。その詐欺が疲労の原因みたいだ。
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