《十二月五日》冬の波ちょっと小走りになる夕

冬の波が寄せては返すその浜辺で、わたしはふと小走りになった。理由はない。ただ背中のどこかに冷たい気配を感じた、それだけのことである。振り向くと、足跡がひとつ、わたしのものとは逆向きに刻まれていた。誰かが、波とは逆に、こちらへ向かってきている。なのに誰の姿もない。足跡だけが、砂の上に、ひとつ、またひとつ。気づけばわたしの足は止まり、風が、耳もとで、低く名を呼んだような気がした。わたしのではない名だった。

著者略歴

小津夜景(おづ・やけい)

1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。

(ヘッダー写真:小津夜景)

 

無断転載・複製禁止

バックナンバー

  • 12月5日:冬の波ちょっと小走りになる夕
  • 12月4日:扉絵のごとき静けさ冬の家
  • 12月3日:枯蔦のくるんとしたとこ好きになる
  • 12月2日:落葉ふわっと乗っかってくる上目づかい
  • 12月1日:狐火が遠くて今日の皿が割れ

俳句結社紹介

Twitter