
《一月十二日》坐ることなき冬帽の男かな
「あしらの俳句甲子園」の翌日、大洲をうろつく。寅さんの映画で、嵐寛壽郎が大洲城の元殿様を演じたところだ。晩年のアラカンが「寅次郎君」と呼ぶ声が忘れがたい。
昭和八年一月十二日の虚子句日記は「七宝会。松韻社にて。日比谷公園散歩」。このときの句が「襟巻の狐の顔は別に在り」だ。この句を目にすると、母が若い頃、奮発して狐の襟巻を買ったことを思い出す。小学生だった私はときどき狐の顔をおもちゃにした。
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「あしらの俳句甲子園」の翌日、大洲をうろつく。寅さんの映画で、嵐寛壽郎が大洲城の元殿様を演じたところだ。晩年のアラカンが「寅次郎君」と呼ぶ声が忘れがたい。
昭和八年一月十二日の虚子句日記は「七宝会。松韻社にて。日比谷公園散歩」。このときの句が「襟巻の狐の顔は別に在り」だ。この句を目にすると、母が若い頃、奮発して狐の襟巻を買ったことを思い出す。小学生だった私はときどき狐の顔をおもちゃにした。
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