
《七月一日》打ち水や梁をくゆらし光の緒
人はときどき、自分で選んだことよりも、ただそうなってしまったことに、ずっと深い意味を見出す。言葉も、意味だけで動いているわけじゃない。どう並んでいるか、それだけで何かが伝わってしまうことがある。きちんと名前をつけられなかった気持ちや、言いそびれたことなんかが、そういう言葉の並びのすきまに、わずかに揺れている。遠くで起きた何かが、静かに伝わってきているような感覚だった。
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人はときどき、自分で選んだことよりも、ただそうなってしまったことに、ずっと深い意味を見出す。言葉も、意味だけで動いているわけじゃない。どう並んでいるか、それだけで何かが伝わってしまうことがある。きちんと名前をつけられなかった気持ちや、言いそびれたことなんかが、そういう言葉の並びのすきまに、わずかに揺れている。遠くで起きた何かが、静かに伝わってきているような感覚だった。
著者略歴
1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。
(ヘッダー写真:小津夜景)
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