
《五月十七日》家系図に欠番のある夏座敷
紙に、まだ名前が与えられていないように思えた。おそらく、その理由は明快である。何かに名をつけるには、まずその対象を「知る」ことが前提となる。しかしこの紙にふれたとき、彼女の指はすでに動きを始めており、感触はそのあとを遅れて追いかけてきた。つまり、知るよりも先に、使うという事実が生じていたわけである。道具とは、えてしてそういう順序で人に受け入れられることがある。思考より先に、行為が滑り込むのだ。
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紙に、まだ名前が与えられていないように思えた。おそらく、その理由は明快である。何かに名をつけるには、まずその対象を「知る」ことが前提となる。しかしこの紙にふれたとき、彼女の指はすでに動きを始めており、感触はそのあとを遅れて追いかけてきた。つまり、知るよりも先に、使うという事実が生じていたわけである。道具とは、えてしてそういう順序で人に受け入れられることがある。思考より先に、行為が滑り込むのだ。
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