
《八月二日》夕立やサドルにひとつ空の花
窓を拭いた。布と水と、少しの力で。すると雲が、あまりにもはっきりと見えた。見ていたつもりだったけれど、わたしはずっと、曇ったものごしに風景を眺めていたのだ。曇っていたのは窓なのか、それとも、わたしのほうか。見るという行為は、こんなにも頼りなくて、拭くという単純な動作で、こんなにも更新される。家事というのはつまり、世界の輪郭をもう一度、自分の手でなぞりなおすこと。見えてなかったものを、見えるようにすること。おくればせながら、気づきました。
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