
《十月二十二日》棉にふれ迷子の犬が雨となる
だいたい毎日スランプである。スランプというのは実は例外的な状態ではなく、人間の標準装備なのだと思う。なぜなら、思考も感情も身体も、わたしたちのもつものはつねに途切れ途切れで、完成に至ることがないからだ。ひとは調子のよい瞬間を「本来」と勘違いしているにすぎない。むしろ何も出てこない、進まない、という停滞そのものが毎日の呼吸と同じくらい自然なことだと、最近ようやく思えてきた。
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だいたい毎日スランプである。スランプというのは実は例外的な状態ではなく、人間の標準装備なのだと思う。なぜなら、思考も感情も身体も、わたしたちのもつものはつねに途切れ途切れで、完成に至ることがないからだ。ひとは調子のよい瞬間を「本来」と勘違いしているにすぎない。むしろ何も出てこない、進まない、という停滞そのものが毎日の呼吸と同じくらい自然なことだと、最近ようやく思えてきた。
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