《十二月十六日》節を秘め歩く京都の冬木立

京都にいる。道がひっそりしていて不安になる。昔は鼻歌をうたいながら歩いている人がそこそこいたように思う。わたしも歌いながら歩くのが好きだが、今やったら迷惑な人だと思われるのであろうか。反社会的人物として通報されるのであろうか。道で話すこととの違いはどこにあるのか。歌は人間の自然として外歩きと相性がよいと思うのだが、なにがどうしてこのような状況になったのだろうか。

著者略歴

小津夜景(おづ・やけい)

1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。

(ヘッダー写真:小津夜景)

 

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バックナンバー

  • 12月16日:節を秘め歩く京都の冬木立
  • 12月15日:冬の鳩ふくらんだまま赤信号
  • 12月14日:霜柱バゲット一本買って出る
  • 12月13日:小春日の誰も読まない雑誌棚
  • 12月12日:あなぐまの夢よりさめて妻の怒気
  • 12月11日:風邪ひいてほめられたことばかり思ふ
  • 12月10日:蜜柑むくみんなの手から夜がこぼれる
  • 12月9日:短日やバターたっぷりのごほうび
  • 12月8日:炬燵から出ずに謝る午後三時
  • 12月7日:寒昴みづのゆらぎの底までも
  • 12月6日:ねずみもちひとは名づけるのが上手
  • 12月5日:冬の波ちょっと小走りになる夕
  • 12月4日:扉絵のごとき静けさ冬の家
  • 12月3日:枯蔦のくるんとしたとこ好きになる
  • 12月2日:落葉ふわっと乗っかってくる上目づかい
  • 12月1日:狐火が遠くて今日の皿が割れ

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