
《十二月十六日》節を秘め歩く京都の冬木立
京都にいる。道がひっそりしていて不安になる。昔は鼻歌をうたいながら歩いている人がそこそこいたように思う。わたしも歌いながら歩くのが好きだが、今やったら迷惑な人だと思われるのであろうか。反社会的人物として通報されるのであろうか。道で話すこととの違いはどこにあるのか。歌は人間の自然として外歩きと相性がよいと思うのだが、なにがどうしてこのような状況になったのだろうか。
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京都にいる。道がひっそりしていて不安になる。昔は鼻歌をうたいながら歩いている人がそこそこいたように思う。わたしも歌いながら歩くのが好きだが、今やったら迷惑な人だと思われるのであろうか。反社会的人物として通報されるのであろうか。道で話すこととの違いはどこにあるのか。歌は人間の自然として外歩きと相性がよいと思うのだが、なにがどうしてこのような状況になったのだろうか。
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