《六月十日》木苺や塔にささったままの鍵

彼女は一度、本を閉じた。重さは変わらない。けれど、持ち直すたびに、手のなかでじわりと重心が移動する。本の内側で、文字が寝返りを打っているみたいだった。椅子にもたれて、ひとつ息を吸う。空気が冷たくて、背中のほうまで冷える。自分の身体が冷たいのか、空気が冷たいのか、はっきりしない。毛布がずれて、足首に風があたる。足をくるっと巻いて、小さくなる。肺に空気が入りすぎた感じがした。

著者略歴

小津夜景(おづ・やけい)

1973北海道生まれ。句集に『フワラーズ・カンフー』(第8回田中裕明賞)、『花と夜盗』。エッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』『ロゴスと巻貝』。そのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者須藤岳史との往復書簡『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』。現在『すばる』で「空耳放浪記」連載中。

(ヘッダー写真:小津夜景)

 

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バックナンバー

  • 6月11日:失せものの香をたどるや夏座敷
  • 6月10日:木苺や塔にささったままの鍵
  • 6月9日:打ち水やあとさき湾る下駄のこゑ
  • 6月8日:青蛙棲むとは粘土火のかたち
  • 6月7日:蟻のこと書いてるだけで日が暮れる
  • 6月6日:白服を遺書の風ごとたたみけり
  • 6月5日:扇より逃げし香りの名は知らず
  • 6月4日:金魚とは水にある火のゆくへなり
  • 6月3日:風鈴や裏返りゆく紙の町
  • 6月2日:籐椅子や風たまゆらのままに在り
  • 6月1日:金魚鉢覗くたびまた変はる顔

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