「大坂の俳句―明治編」を読む
俳人・村上鞆彦が読む『大阪の俳句』シリーズ vol.12016.6.17

 

●松瀬青々句集『妻木抄』を読む

松瀬青々句集『妻木抄』

 松瀬青々の句集『妻木 冬之部』が刊行されたのは、明治三七年。以後三九年にかけて『新年・春之部』『夏之部』『秋之部』が順に刊行された。都合四巻、総三五五七句。明治以降、著者が生存中に自選をして刊行した句集としては、これが嚆矢である。その『妻木』から茨木和生氏が五一〇句を精選したものが、今回採り上げる句集『妻木抄』である。
 一読してまず目につくのは、「解説」で茨木氏が指摘するように、古季語や難季語の句が多いこと。一例として挙げれば、

 

鄙なれはすりなますの酢にかちぬ
焼やき帛しめや風のまにゝゝ霧しろき

 

 前句の目摺膾とは、茹でて皮を剥いた小さな蛙の酢和えのこと。蛙は目をこするという俗説からの名称だそうである。その目摺膾のやや酢がまさった味わいに、田舎の鄙びた風趣が湧く。後句、人毛や獣毛を焼いた臭いで、稲の害獣を追い払うのが焼帛。現在の案山子のルーツであるという。その焼帛の臭いを乗せた風に、濃く淡く霧が流れてゆく、秋もいよいよ深まった田園風景である。

 

その他にも、かのうら、 とまりやまたかなぶりとうしん  など、珍しい季語がたくさん登場する。そんな季語の世界に、大歳時記と首っ引きで踏み入ってみるのも、この句集を読む楽しみの一つである。 ところでそのような句を、青々は実体験を基に詠んだのであろうか。当時の一般的な句作法から考えて、恐らくその大部分は題詠による想像の所産であろう。青々は、実際には体験したことのない風俗や物象の季語に敢えて挑戦することで、己の腕を磨いたのである。その一例として「河豚」にまつわる興味深い話がある。主宰誌「寶船」の明治三四年一一月号に掲載された「俳話」によれば、青々はそれまで河豚を食べたことがなかった。ただし、その毒に当たれば死ぬことは知っており、古人の句を通して河豚の趣味を想像してはいた。そこで今回、敢えて河豚の題に挑戦するとして、〈常に似ず家主和らぐ河豚かな〉〈敷島の我には許せふぐと汁〉〈河豚くふて来し顔妻に見られ鳧〉など、二五もの句を並べてみせる。実に健やかな創作意欲である。自由に想像を巡らし、様々な趣向や言葉を博捜する量産の句作は、実体験や写生を基とすることに慣れてしまった私の目には大きな驚きとして映る。 そんな「河豚」の中から、『妻木抄』にも取られている一風変わった句を紹介する。

 

河豚曰く五更の霜にみなごろし

 

 河豚が言うことには、「もし俺を喰ったなら、夜明け前の霜が降りる頃、ぐっすり眠りこんでいるお前らを皆殺しにしてやる……」。
 さて『妻木抄』の中でも、特に光彩を放つものに、人事の機微を穿った句がある。

 

鶯のつけも共や出養生
箸捨てゝを迎へに走るなり
井さらしや玉の簪は誰がもの

 

 一句目、鶯の雛の傍で声のよい成鳥を鳴かせて、その美声を習わせるのが付子。今は隠居の身で、小鳥飼いに日々を慰める老人であろうか、その大事な籠も一緒に湯治に出かけてゆく。二句目、毛見の役人の姿が見えた。彼らの実地見分の如何で、今年の年貢米の量が決まる。食事中だったお百姓は、たちまち箸を投げ捨てて、一目散に出迎えに走る。三句目、井戸浚いの折に出てきた美しい簪。果たしてこれは誰が落としたものか。所有権を巡って、ひとしきりまた井戸端会議が始まる。
 三句いずれも場面の選択と描写が勘所を押さえていて、主人公たちの喜怒哀楽、生活感情が生き生きと伝わる。季語の風趣を存分に引き出し、趣向の構成に冴えが光るのは、題詠で鍛えた賜であろう。
 る描写の句や、〈志賀山の花や流れて初もろこ〉〈しろき蝶野路に吹かるゝ薄暑かな〉〈うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花〉といった自然詠を味わっていると、改めて青々の句の幅の広さを実感させられる。特に、〈しろき蝶〉の繊細な感受や、〈うつくしき〉の不可思議な妖しさは秀抜であり、これらの資質が更に深化して、後年の傑作〈日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり〉の誕生に繋がってゆくように思われる。
 『妻木 冬之部』の自序によれば、刊行の意図には何の野心もなく、「唯我句を一冊に集めて我見たき計り」であったという。しかしそんな青々一個の思惑を超えて、『妻木』は個人句集の嚆矢として、近代俳句史の記念碑となった。その作品の価値と併せて、忘れ難い句集である。

 

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●筆者紹介

村上鞆彦(むらかみ・ともひこ) 
昭和54年8月2日、大分県生まれ。中学の頃、友人の勧めにより俳句を始める。大学進学とともに、鷲谷七菜子主宰の「南風」に入会。以前から<滝となる前のしづけさ藤映す 七菜子>の一句に憧れていた。その後、南風新人賞・南風賞を受賞し、現在、山上樹実雄のもとで同人として勉強中。俳人協会会員。

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