祈る詩[6]―ディキンソン(2)2017.2.1

 


エミリ・ディキンソン

「祈り」とは ささやかな道具
それを通して人は
「神」のもとへ ―拒まれた―
言葉を投げ掛ける

 

「それ」によって ― 神の耳へ ―
もし神が聞くとして ―
この「道具」類を足し合わせると
「祈り」になる

(森山 恵 訳)

 

 

 

©Megumi Moriyama
©Megumi Moriyama

 

前回もご紹介したエミリ・ディキンソンを、もう一度取り上げたい。
どの詩人も1度や2度では語り尽くせないが、
ディキンソンには殊に思いが残るのだ。

 

私がディキンソンと出逢ったのは大学・大学院時代のこと。
英文学科の恩師が、ディキンソン専門家だったのだ。
S先生は戦後間もない1953年、
第1回フルブライト留学生として氷川丸でアメリカ・ボストンに渡っている。
前回も書いた通り、1886年に亡くなったディキンソンの詩がオリジナルに近い形で再編されたのは1950年代に入ってからである。
S先生はまさにディキンソン研究が大きく展開した現場に居合わせたのだ。
まだ殆ど紹介されていなかったであろうテキストを、日本へ持ち帰られた。
女性研究者として立つのもまだ困難な時代、
結婚も子育ても研究も、なにもかもこなす完璧な女性だった。

 

「私の」ディキンソン像はS先生の思い出と切り離せない。
小柄で上品で知的で明晰な、あの先生の姿と。

 

初めてエミリ・ディキンソンを読んだ時の驚き!
先生が教室で配った詩篇は、一見どれも短くやさしく見えた。
しかし読み進めると文法的な捻れや省略、暗示的表現など独特なレトリックに戸惑った。
様々な解釈が可能で、立ち止まってしまうのだ。
帰国子女の学生が殆どだった教室でも、困惑し紛糾した。

「こうも解釈できる」
「〈彼〉って誰のこと?大文字の〈彼〉だから、神様?それとも?」
「この行で、このダッシュで意味が切れているのでは」
「ここは受動態?おかしい、ミスプリじゃないの?」

 

実際、アメリカでの本格的紹介が遅れたというのも、彼女の詩の特殊性ゆえだ。
「書き損じ」と解釈した編集者らによって、
「正しい」「分かり易い」「文意の通る」表記に書き換えられたのである。

 

目に付く単純なところで言えば、彼女が多用する「―」記号は、
手書き原稿では短い線見えたり、ピリオドに見えたり、
またある時には明確にダッシュであったり、判然としないこともある。
印刷によって大きく印象は変わる。
ダッシュを削除している版まである。

 

私が初めに出逢ったテキストでは「―――」と、かなり長い棒線で表記されていた。
詩に内在する沈黙の顕われ、私にはそう思われた。
しかし詩稿を見直すとむしろ、短い線を息継ぎに、前へ前へと小走りに詩が展開しているようにも読める。解釈は今も分かれる。

 

さて、今回の詩篇「祈りとはささやかな道具」は「祈り」そのものについての詩だ。
全体の響きは少しもの悲しくも感じられる。
「祈り」は道具、しかもささやかな道具でしかない。
何よりも読者を驚かせるのは、6行目の「もし神が聞くとして」だろう。
祈りは神に届くのか否か。
人には知りようがない。投げ掛けるだけ。不可知のものへ。詩人は懐疑的なようだ。

 

ではディキンソンは神を信じていなかったのだろうか。
祈らなかったのだろうか。
別の詩では次のように書いている。

 

もちろん― 私は祈った―
それで神は 心に留めただろうか?
空の小鳥が ― 地団駄を踏んでいた ―
その程度には 気に留めたでしょう
(…)

 

実は、エミリ・ディキンソンの詩型の基本は「賛美歌韻律」だ。
(4行の連を基本として、弱強の4歩格または3歩格。
ABABなどの脚韻、そのヴァリエーション)
人気の「アメイジング・グレース」、クリスマス賛美歌「ああ、ベツレヘムよ」等もこの韻律で書かれている。
幼い頃から教会に通っていた彼女には、賛美歌の韻律が染みこんでいただろう。
(この賛美歌形式は、特に彼女の宗派で多く取り入れられていた)
旧約聖書の「詩篇」にも通じる「賛美歌韻律」を、独自の詩型に発展させたのである。

 

詩を書くこと、自分だけの言葉を見付けて詩を書くこと、
それがディキンソンの賛美歌であり、祈りだったのだと思う。
妥協のない強い意志を持つ、純粋な人だったのだ。

 

在学中のある日突然、S先生の訃報が届いた。
きちんと着替えて教授会へと向かう直前、玄関先で倒れられたという。

 

「わたしは〈死〉のために立ち止まれなかったので -
 〈死〉がやさしく止まってくれた わたしのために -」

 

ディキンソンの詩が強烈に浮かび、言葉を失った。

 

エミリ・ディキンソンの詩の向こうに、いつもS先生の優しい顔が思い浮かぶ。
あんなに私のことも心に掛けて下さっていたのに…と悔いのような思いに囚われる。
でも、と思い直す…

 

真摯な研究者であった先生は、天国でも重い本やノートの束を抱え、
生き生きとディキンソンに質問しているだろう。
「この箇所は…」「こちらは…」
するとディキンソンは早口に、でも愛情を込めてユーモラスに応えるのだ。
「私も分からないわ」
そんな想像をする。
そして、エミリは自分の詩を唱えるのだ。

 

蜂と –
蝶と –
そよ風の御名(みな)によりて − アーメン!

 

これは勿論、

 

父と –
子と –
聖霊の御名によりて − アーメン

 

と十字を切るときの祈りの言葉のパロディである。
エミリ・ディキンソンの愛らしい遊び心と、
生き生きとした息吹に、私たちもまた生きる力を貰うのだ。

 

 

 

Emily Dickinson

Prayer is the little implement
Through which Men reach
Where Presence – is denied them –
They fling their Speech

 

By means of it – in God’s Ear –
If then He hear –
This sums the Apparatus
Comprised in Prayer –

 

 

 

©Megumi Moriyama
©Megumi Moriyama

【エミリ・ディキンソン(1830-1886)】

アメリカ東部ボストン郊外のアマストに生まれる。アメリカを代表する女性詩人。祖父と父は弁護士で、その後父は州議会や下院議員にも務めるなど裕福な家庭に育つ。家に閉じ籠もって暮らしたとは言え広い敷地の「お屋敷」内であった。
独特の詩風を編み出し、イマジズムやモダニズムの先駆とも言われる。彼女の詩が整理されて全貌が明らかになったのは1950年代になってから、またダッシュなどオリジナル表記のもとに出版されたのは1981年になってからである。

 

 

 

 

 

 

 

【略歴】

森山 恵(もりやま めぐみ)

東京生まれ。
1993年 聖心女子大学大学院 英語英文学修了。
2005年第一詩集『夢の手ざわり』ふらんす堂より上梓。
その他詩集『エフェメール』(ふらんす堂)、『みどりの領分』、『岬ミサ曲』(思潮社)。
淑徳大学池袋エクステンションセンターにて2014年「イギリスの詩を読む」講座担当。
NHK WORLD TV 「HAIKU MASTERS」選者。
翻訳書近刊予定。

森山恵ブログ「poesia poesia」

愛読してきた外国の詩など、これからご紹介していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

 

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