祈る詩[12]―W・シェイクスピア2017.8.1
「ソネット 18番」
ウィリアム・シェイクスピア
夏の日と、きみを比べてみよう。
きみの方がはるかに美しく、やさしい。
きれいな5月の花の莟も、烈しい風に揺られ、
夏のいのちは、あまりに短い。
天からの日射しは、時に強すぎることも、
金色の光が蔭ってしまうことも、ある。
ありとあらゆる美は、いつか頽れゆく、
偶然に、または自然な時の流れによって。
しかし、きみの夏は蔭ることない、
今あるその輝きが、褪せることもない、
きみが「死」の影の谷を歩むなど、「死」にも言えまい、
時を越えた詩のなかに、生きるならば。
人が生きて、目を見開いているかぎり、
この詩は生き、きみに命を与え続けるのだ。
(森山 恵 訳)
今月はいよいよ「大御所」のウィリアム・シェイクスピアの登場である。誰もが知るシェイクスピア。やはり主に劇作家、として知られているだろうか。
『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』の4大悲劇。
『ジュリアス・シーザー』『ヘンリー六世』三部作、などの歴史劇。
『ロミオとジュリエット』『十二夜』。次々と題名が思い浮かぶだろう。
エリザベス女王(一世)も彼の演劇を愛し、シェイクスピアは、1597年12月26日のクリスマス休日には、『恋の骨折り損』を御前上演している。また、ファルスタッフという愉快な人物がたいそうお気に召して(『ヘンリー四世』に登場する)、彼を主人公に新作を書かせた、というエピソードをご存知の方も多いだろう。
私が一番好きな作品はなんといっても『真夏の夜の夢』。大学の英語演劇部で上演した作品で、シェイクスピアに開眼したのも、『真夏-』ゆえ。それまで本のページに閉じ籠められていた、「大御所」シェイクスピアが、一気に立ち上がり、生き生きとした言葉となった瞬間だった。一年生の新入りだった私は、表舞台への登場!はなかったものの、今もセリフを思い出す。
オベロン: 悪いところで会ったな、高慢なティターニア。
ティターニア: なによ、嫉妬深いオベロン。
Oberon: Ill met by moonlight, proud Titania.
Titania: What, jealous Oberon?
という会話は、第2幕第1場、妖精王のオベロンと妖精女王のティターニア対面の場面。真夏、月光、アテネの森。妖精。舞台は幻想的な光に包まれていた。しかし、妖精王と女王は大ゲンカの最中だ。
ライサンダー: 心は一つ、ベッドも一つ、二人の胸も、心は一つ。
Lysander: One heart, one bed, two bosoms, and one troth.
これは夜の森を2人さ迷う、恋人たちの台詞。一緒に寝ましょう、と彼が愛を囁き、誘っているのだ。(結局、「お願いだから、もっと遠くに寝てね」と彼女ハーミアに断わられる。)
台詞と共に、自分が作った舞台セットや小道具が思い出される。妖精女王には、カラフルなラメやヘア・スプレーをふんだんに使って、メイキャップを施した。場面転換の時には、舞台天井の細い「すのこ」に上がって、吊り物の操作までした。
さて、私の思い出はともかく、今回は「詩人・シェイクスピア」をご紹介したい。シェイクスピアは多く詩も書き残しているのだ。154篇のソネットで広く知られている。
18番はその中でも特に有名な一篇、「きみ」を誉め讃える詩である。美しい夏の日と比べ、やはり「きみの方がずっと美しい」と歌い上げている。ここでの夏は、旧暦(ユリウス暦)での5-6月、しかもイギリスの夏。今、日本を襲っている酷暑、猛暑、烈しい日射しとは随分と異なるイメージだろう。短く儚く、それゆえ、輝かしい夏である。
しかしイギリスの夏の太陽(「天の目」the eye of heaven)も時に強すぎたり、かと思うと急に蔭ってしまったり。地上の夏は、変わりやすく移ろいやすいのである。「きみ」は、その美しい夏よりも、花よりも、金色の光よりも、美しく、しかも永遠なのである。
11行目「影 (shade)」には、旧約聖書の「詩篇」23章4節「たとえ、死の影の谷を歩むとも、私はわざわいを恐れない」の一節が響いている。死や永遠の概念の導入が、詩の時空を拡大しているのである。
ソネットについて少しだけ説明を加えると、ソネットは、ヨーロッパの定型詩の一つで、13世紀イタリアが起源といわれている。イタリアの詩人ペトラルカが確立し、「ペトラルカ式ソネット(Petrarchan Sonnet)」または「イタリア式ソネット」と呼ばれる。4行、4行、3行、3行の4連。14行。各行の終わりは、abba abba cde cdeと交互に韻を踏む。
この形式が伝播し、イギリスにソネット・ブームが起きたのがシェイクスピアの時代、16世紀末である。シェイクスピアは、これに変化をつけ「シェイクスピア式ソネット(Shakespearean Sonnet)」を編み出している。4行、4行、4行、2行の14行。アイアンビック・ペンタメター(iambic pentameter)と呼ばれる弱強5歩格、abab cdcd efef ggと脚韻を踏む詩型である。
イタリア式ともっとも異なるのは、終わりが2行、になっているところで、ここでちょっとした決めゼリフのように、全体を締めくくるのだ。
「きみ」を讃える18番のソネットの最終2行(カプレットcouplet)は
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
「人が生きて、目を見開いているかぎり、/この詩は生き、きみに命を与え続けるのだ」
と締めている。⼀⾒「きみ」を讃える詩だ。が、最後の決めは、シェイクスピア⾃らの才能、⾃ らの作品を⾼らかに讃えて結ばれるのだ。美貌もなにも、言ってみれば「私のソネットに詠われたのだから、きみは不滅だ」という終わり。さすがシェイクスピア様、「言ってくれる…!」と思ったが、実際、死後約400年後の今も読み継がれているのである。(1616年没)。「永遠」を祈る詩でもあるのだ。
たとえば現在、私が翻訳中のある作品にも、思い掛けない箇所でこのソネットの「本歌取り」らしき一節が出て来た。やはりシェイクスピアは不滅、と改めて思い知る。
最後にもう一つ。この「きみ」とはいったい誰なのか。諸説あるものの、間違いないのは「美青年」であることだ。美貌の女性、ではなく、なんと若き貴公子なのだ。154篇のうち126番までが、彼に向けられている。詩的レトリックを駆使してあつく愛を語っているのだ。もちろん、女性と解釈して読んでもよいし、さまざまな読みに開かれた詩群である。
さて、12回続けて参りました連載、しばらくお休みを頂くこととなりました。1年間お読みくださいました皆様、心よりお礼申し上げます。たくさんのご感想も頂いて嬉しく、励みになりました。またぜひ戻って来たく思っておりますので、その時には改めてよろしくお願い申し上げます。
それでは、『真夏の夜の夢』の終幕、妖精パックのエンディングのセリフに寄せて、お別れのご挨拶を。
わたしはただの影法師、
皆様がたのお目に、もし
お気に召さずば ただ夢を
ひと時見たと思って お許しを。
つたないものではありますが、
夢にすぎないものですが、
皆様がたが寛大に、
お許しくだされば、また励みます。
わたしパック、ウソはつきませぬ、
皆様から厳しいお叱りなくば、
これ幸甚、わたくし、
また励みますゆえ、お許しを
でなければ、ウソつきとお呼びくださいまし。
では皆様、さようなら。
仲良く、お手を拝借いたします。
お礼はこの影法師が致します。
(お辞儀、退場)
(森山 恵 訳 *we をIに変えるなどして翻訳しています。)
それでは、皆様しばしのお別れを!
最後にソネット、パックの原典、シェイクスピアの略歴もぜひご覧下さい。
Sonnet #18
William Shakespeare
Shall I compare thee to a summer’s day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer’s lease hath all too short a date:
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm’d;
And every fair from fair sometime declines,
By chance, or nature’s changing course, untrimm’d;
But thy eternal summer shall not fade
Nor lose possession of that fair thou ow’st;
Nor shall Death brag thou wander’st in his shade,
When in eternal lines to time thou grow’st;
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
from A Midsummer Night’s Dream
‘Puck’s Epilogue’
If we shadows have offended,
Think but this, and all is mended,
That you have but slumber’d here
While these visions did appear.
And this weak and idle theme,
No more yielding but a dream,
Gentles, do not reprehend:
if you pardon, we will mend:
And, as I am an honest Puck,
If we have unearned luck
Now to ‘scape the serpent’s tongue,
We will make amends ere long;
Else the Puck a liar call;
So, good night unto you all.
Give me your hands, if we be friends,
And Robin shall restore amends.”
【ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)】
ストラトフォード・アポン・エイヴォンに誕生。父は革手袋商人から町長にもなった人物。母は裕福な家の出身であった。18歳で8つ年上のアン・ハサウェイと結婚。1590年頃にはロンドンの演劇界に進出、活躍している。(代表作『ハムレット』が1600年頃、つまり、関ヶ原の戦いの時代に当たる)。シェイクスピアは多くの語彙を「発明」したことでも知られ、全作品で使用した単語の総計17,677 語のうち、1,700 がシェイクスピアの新語・造語とも言われている。俗語・卑語、駄洒落も取り入れた言葉の豊穣さ、新鮮さが魅力の一つである。