朝晩2019.7.11

 

小川軽舟句集『朝晩』

 

 

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四六判ハードカバー装 帯有り 214頁 二句組
俳誌「鷹」の主宰小川軽舟さんの第5句集である。第4句集となる『俳句日記2014 掌をかざす』に次ぐものである。「あとがき」によると「この句集は、二〇一二年から二〇一四年までの三年間の作品を中心に、二〇一八年までの作品を適宜加えて編んだ」とあり、また、「この間、ふらんす堂のホームページに一日一句と小文の「俳句日記」を一年間連載し、『俳句日記2014 掌(て)をかざす』としてまとめた。」とあり、時間的には第4句集『掌をかざす』と同時期のものも収録していることとなる。本句集には、著者による「序に代えて」がある。2018年の12月16日に日本経済新聞に掲載されたものだ。著者があえてこの「序に代えて」を句集の前においたことは、ある思いがあってのことである。そのことはまた「あとがき」にも記されているが、おのずと読者はその作者の思いにさりげなく導かれながら句集の世界入っていくことになる。句集名「朝晩(あさばん)」もまた、作者の思いを見事に象徴しているのではないだろうか。
なぜなら、俳人小川軽舟にとって、朝起きてより、夜になって床につくまでの日々の時間のさまざまな日常の局面を俳句に作品化していくことが本意であるからだ。さまざまな日常の局面とは、サラリーマンとしての、単身赴任者としての、結社の主宰者としての、あるいは俳句をつくるものとしての、父親としての、子どもとしての、夫としての、社会生活をおくる一市民としての、あるいはそのようなペルソナを脱ぎ捨てたなにもない者としての、そういう一刻一刻なかで掴みとったものを俳句に果敢に詠んでいく。その作品が本句集を形作っているのである。
しかし、そういう予備知識もなしに本句集を読んでいったとしても、わたしたちはそこに作者のリアルな暮らしぶり出会い、そうか単身赴任なのか、料理もどうにかやっているんだなとか、そんな景に思いを寄せて、思わず笑ってしまったり、ふーんと思ってしまったり、日常の些事が巧みに詠まれていてさすがと思ってしまったり、するのである。
本句集の装丁は山口デザイン事務所の山口信博さんと玉井一平さん。

 

 

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白を基調とした文字のみの非常にシンプルな装丁となった。
この句集を手にとった方はお気づきだろうか。
「朝」には「月」がり、「晩」には「日」があることを。

 

 

 

2-2

 

 

「朝」の「月」をツヤなしの銀箔押しで。

 

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「晩」の「日」をツヤ有りの金箔で。

 

 

 

 

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背もまた、平面とおなじように銀箔と金箔を用いた。
装丁者が意匠をこらしたのは、それのみではなく、「朝」と「晩」との距離である。
たっぷりと距離をとることによって、そこに時間の流れがうまれることを意図した。

 

 

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帯の活字はあえて異なる書体をもちいてみた。

 

 

 

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カバーをとった表紙も同じ白の用紙をつかってスミのみの印刷。

 

 

 

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見返しのみグレー。

 

 

 

 

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扉。

 

 

 

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花布もスピンも白。

 

 

 

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たっぷりとした時間を感じさせる、清潔でそして品格ある句集となった。

 

 

 

(ふらんす堂「編集日記」2019/7/9より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

 

 

 

【追記】

さて、昨日のブログで小川軽舟さんの句集『朝晩』を紹介したのであるが、大切なことをいくつか忘れてしまった。
すこしここに書き記しておきたい。
この句集には、各省の見出しとなる頁五箇所に、挿絵(イラスト)が描かれている。これは小川軽舟さんのご希望によるもので、谷山彩子さんの装画である。谷山彩子さんは、俳誌「鷹」の表紙を描かれておられるイラストレーターでおられる。本句集のために描かれたイラストのなかから、装丁者の玉井一平さんが各章にふさわしいものをそれぞれレイアウトをされた。
いくつか紹介したい。

 

 

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どれもとてもさりげない表情をして、句集におさまっている。
ただ、そこにおかれたカットというのではなく、この句集の世界に風通しのよい奥行きを与えている。
そして、すこしもうるさくない。イラストそれぞれが句集にある優しさを添えている。
風通し、優しい表情、というもの、それはどこかで著者の小川軽舟さんの世界につながっていくものだ。
シンプルな白い装丁と響き合ってたいへんすてきだ。
わたし、こんな大事なことを忘れていたことに昨晩、気づいたのだった。
谷山彩子さま、大変失礼をいたしました。
そして、もうひとつ、これはわたしが勝手にやったことだけど、この句集に一見同じように見えるんだけどほかの句集とはちがう「ある表情を加味した」というと言い過ぎか、ある「ちいさなはからい」をしたのである。ほんとうにほんとうにそれは耳かき一杯くらいの小さなことで、わたしと神のみぞ知るところだったのだけれど、先日小川さんには申しあげたので小川さんは知るところとなった。ほんの少しのことなので殆どの人は気づかないと思う。少しもったいをつけて言っているように思えるかもしれないが、わたしにはこの一冊を作らせて貰う上で大切なことだった。句稿をいただいたときにそうしようって思ったのだ。本が出来上がってわたしは満足した。(それは自己満足にすぎないかもしれないが、より美しい一冊になったと確信している。ぜったいね。)そうでしょ、小川軽舟さま。って有無をいわせないyamaokaである。
もし気づいた人がいらしたら、ご連絡を。金一封は差し上げられないけれど、褒めてあげますわ。。。

 

 

 

(ふらんす堂「編集日記」2019/7/10より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

 

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