岸本尚毅の吟行日記32016.6.29

 

俳句実践講座

岸本尚毅さんが指導をされている句会を取材しています。
実践の場で俳句をどうつくるか、大変参考になると思います。

 

●岸本尚毅作
冬ざれや踏めば水吐く野辺の石
水涸れしところ日がさす風が吹く
ぶら下りゐしが離れて梅落葉
大木はおおかた黄なる冬紅葉
鴨歩くところは早瀬広々と
あたたかにして仄暗く日短
大空は明るくあれど日短


●岸本尚毅特選
水涸るるところどころを落下して  八江
湯豆腐を掬ひて夫の震へる手  薫子

●尚毅選
ひといろにならんとしつつ落葉かな  八江
かちわたる鴨やときをりかつと照り  昌子
川曲る落葉大きく取残し  紀子
写真屋に時計二つや朝しぐれ  昌子
ぬかるみにつもる落葉でありにけり  定生
そこだけの紅葉明りに太子堂  喜代子
鳥啼いて木の根あらはに寒き崖  八江
柿すだれ遥かに富士を望みつつ  董子
泡立草群るる河原に焚火かな  定生
山茶花に足をとどむる人もなし  和恵
谷昏し冬の紅葉の盛りなり  京子
瀬に並ぶ石整然と冬ざるる  董子


●今日のチェックポイント ~添削例を通して~
・言葉の選び方と助詞の使い方

(原句)そこだけの紅葉明りに太子堂
これは原句は「そこだけの」となっていますが、この言い方ですと口語っぽいので、「そこばかり」とすると文語調になりますね。
→(添削句)そこばかり紅葉明りや太子堂

(原句)地も水も落葉まみれや冬の蠅
この「まみれ」は良くないですね。この「まみれ」とすると100%良くないですね。「落葉ばかり」でしょうね。
→(添削句)地に水に落葉ばかりや冬の蠅

(原句)棕櫚に八手に青木に落葉つもりけり
「に」をとったほうがいいのでは。あえて字余りにする必要はないのでは。
この形だと一句の中に「や」と「けり」が入る形になります。「棕櫚八手青木に落葉つもりけり」と「に」を使う手もありますが、この句の場合は「や」が良いような気がします。
→(添削句) 棕櫚八手青木や落葉つもりけり

●岸本尚毅氏の選評

○水涸るるところどころを落下して
「ところどころを落下して」というのは、ある川の流れの風景を的確のとらえていると思います。こういう風景というのは、本来なら季節性のない風景なんだけ れども、この「水涸るる」と言ったことで、ある静かな冬山の、少ないながらも水が落ちている風景が出ているんじゃないかと思います。

○かちわたる鴨やときをりかつと照り
これはいいんじゃないですか。時々日が射す感じが出ていて。

○川曲る落葉大きく取残し
「大きく」というのはある面積ですね。曲がったところの岸辺というか洲のような所に落葉がうずたかく残っているというのは、確かにありますね。

○谷昏し冬の紅葉の盛りなり
力がありますね。表現が簡単なんだけど、力のある作品です。

○山茶花に足をとどむる人もなし
確かに山茶花というのは、寒い時、にんな忙しい時に朝夕に見たりするんですが、誰もちらっと見るんだけど足はとめない、というある山茶花の頃の季節感が出ていますね。

○鳥啼いて木の根あらはに寒き崖
なんというか、あまり抜いたところのない句なんですが、これはいいんじゃないでしょうか。上5から中7まで同じトーンで入っている句なんだけど、この句は これでいいと思います。普通は、どっか抜かないと句が窮屈な感じになるんだけど、この句の場合は、ある密度感がいいんじゃないかと思います。

○瀬に並ぶ石整然と冬ざるる
この「整然」が僕はわりと好きです。人工的に並べたんではないけれども、ある秩序感が感じられるというのは、冬の川として納得できるところだと思います。

○湯豆腐を掬ひて夫の震へる手
手がなぜ震えているか、まあ高齢のためということなどがあるんでしょうけど、「湯豆腐」だからこそ、そこにほのかな哀れさもあるし、湯豆腐の印象が出ますよね。

 


 

●おことわり
このページは、俳句愛好者の作句の勉強の一助とする目的で、岸本尚毅さんが句友諸氏と個人的に行っている句会の様子を紹介させて頂くものです。この句会は 私的な会であり、部外者には一切オープンにされておりません。そのため日付・場所・作者名は非公開です。お問い合わせはご遠慮ください。引用された作品の 著作権は、実在する各作品の作者に帰属しますのでご注意ください。

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