岸本尚毅の吟行日記132016.6.30

 

俳句実践講座

岸本尚毅さんが指導をされている句会を取材しています。
実践の場で俳句をどうつくるか、大変参考になると思います。

 

 

●岸本尚毅作
手をかざし少しあたたか陽炎へる
水の中埃かぶりて蝌蚪の紐
挨拶もなく見る仏あたたかに
蝌蚪の紐水の如くに透き通る
尾を降つて春の小鳥は墓が好き
這ふ虫は未だ春浅き虻の顔
春禽の墓から墓へ翼見せ
風少しあり陽炎の立つ墓に


●岸本尚毅特選
水音のおたまじやくしはまだ卵  喜代子
いつまでも外明るしと蝶生れ  八江
冴返る供花にかならず赤き花  喜代子
この墓地に名士あまたや猫の恋  定生
おくつきは明るく寒く春の鳥  紀子
墓原に覚えありけるあたたかさ  昌子
奥つ城に育つ木々あり春の風  定生
つつましく笑ふ喪の人桜餅  八江

●尚毅選
筧水あしびの花に落ちてゐる  八江
掃く僧の眼鏡きらりと百千鳥  美緒
蹲の竹新しく二月かな  薫子
春の風つもる落葉を飛ばしもし  定生
あんのぢよう鶯餅に笑まひける  昌子
春浅き墓地に梅見て椿見て  章
日は吾にうしろ通るは春の猫  章
年寄のじまんばなしや梅日和  昌子
梅咲くやどの家も人のなきごとく  喜代子
霊前に言問だんご桜餅  薫子
大寺に棲みて恋する猫であり  章
梅咲くとおもひたちたる外出かな  八江


●岸本尚毅氏の講評

 

岸本尚毅の吟行日記13


○甲虫死ねば頭の中食はれ

道ばたにからっぽな外側だけになった甲虫が落ちている。それをどういうふうに俳句にするか、普通は甲虫の骸がどうしたというふうなアプローチになるんで すけど、この句の場合「頭の中食はれ」とふうに言ったのがいいですね。知的な操作がもちろんあるんですけど知的な操作に終わらずに写実になっているという ところがいいと思います。たしかに「頭の中食はれ」と外側だけになっているということは、内側を多分蟻などが中身を食べ尽くしたということの裏返しである ということですね。

○をりからの稲穂の中を詣でけり
「をりから」というと意味としてはちょうど稲が実るころにそこの参道を通ったということになるんでしょうけど、「をりから」と言ったことでそこにある稲の光とか風とか匂いとかにつつまれているような感じがするんですね

○秋の風路上の芥走らしむ
「芥」といいながら秋風らしい感じが出てますね。「走らしむ」という言い方はこの句の場合はいいと思います。空き缶でもいいし、ちょっとした紙くずが吹かれているんじゃないかなあと思います。

○畳の目にかかりて草の穂絮かな
細かい句なんですけど、細かな草の絮が畳の目にちょっとひっかかって風が吹いてるんだけど、畳の目にひっかかったままそこから動かないそんな感じがありますね。

○コスモスやもの持たぬ手を高く振り
もの持たぬ手」というのが両手なのか、もしかすると片手には荷物をもっていてもう一方の空いた手で合図をしているということなのかもしれません。「コスモス」の感じが出ていると思います。

○稲雀垣荒れてゐる家近く
これもおもしろいですね。「垣」の荒れている家に田んぼがあって稲雀がいるっていうことなんですけど、この「垣」が荒れているというのがなんかこう臨場感がある感じがします。

○小流れのあるひは激し草の花
「小流れのあるひは激し」という部分がなかなかうまいですね。「草の花」は無難ですね。

○ゆきずりの赤子に見とれ豊の秋
これも小さい赤ちゃんをかわいいと思ってみることはあるんですけど、それがちゃんと俳句にはなかなかならないんですけど、この「ゆきずりの赤子に見とれ」というのが過不足のない表現ではないかとおもいます。

○稔り田のひろびろとあう畳かな
畳にいて畳のまわりの空間が稔り田になっているということですけど、畳の色とその色の延長線上に稔り田の色が広がっているという気持ちの良い句ではないかと思います。

○参道を稲田にとほす鳥居かな
参道をやや鳥瞰的というか上からみた感じなのですけど、鳥居があってそこからすっと稲田に一筋の参道がまっすぐに通っているという感じがわかるんじゃない かなと思います。これは余談ですが、そこの八幡様の社を見ますと、わたしは高野素十の『初鴉』にある「田の上に春の月ある御社」という句を思い出します。

●ほかにワンポイントアドバイス

○葛咲くや家並途切れるこのあたり
これは「途切れる」ではなく「途切るる」ですよね。やはり文語表現がいいとおもいます。

○みんみんや池か沼かと前にして
この「「池か沼かと」はいいですけど、「前にして」はちょっと無理があって、たとえば「池か沼かとうち眺め」とした方がいいと思います。この「池か沼か と」を活かすためには「前にして」ですとややつながりが悪いように思います。こういうものが「池」というんだろうか「沼」というんだろうかって見ながら眺 めているというのは、みんみんの感じにあいますね。いや、この「みんみんや」は「秋蝉」の方がいいのかな、今日がもう秋なんでそう思うのかもしれません が、「池が沼か」という感じからすると少し漠然と「秋蝉や」としたほうがあるいはおさまりがいいかもしれませんね。

 


 

●おことわり
このページは、俳句愛好者の作句の勉強の一助とする目的で、岸本尚毅さんが句友諸氏と個人的に行っている句会の様子を紹介させて頂くものです。この句会は 私的な会であり、部外者には一切オープンにされておりません。そのため日付・場所・作者名は非公開です。お問い合わせはご遠慮ください。引用された作品の 著作権は、実在する各作品の作者に帰属しますのでご注意ください。

俳句結社紹介

Twitter