秦夕美・藤原月彦『夕月譜』(ゆうづきふ)。
194㍉×194㍉三ツ目綴じ製本 28頁
非常に贅沢な本である。
秦夕美(はた・ゆみ)さんと藤原月彦(ふじわら・つきひこ)さんの共著によるもの。
藤原月彦は、歌人藤原龍一郎の俳号である。
タイトルは「夕美」の「夕」と「月彦」の「月」を採って「夕月譜」。
半年ほど前に、秦夕美さんからコピー原稿と一冊の本がおくられてきた。
うすい冊子であるが、なにか妖艶なオーラを放つ冊子であった。
タイトルは「巫朱華」(プシュケ)とある。
「妖雪の卷」とある。
頁を繰れば、「雪」をテーマにした俳句作品、小説、エッセイが収録された16頁の薄い冊子である。
が、美意識に貫かれている。
筆者は、秦夕美と藤原月彦。
奥付は昭和61年12月25日とある。
ということは、いまから40年以上も前である。
装画は亡き長岡裕一郎、本作りは俳人の宮入聖。
この冊子は9巻まで刊行されたようである。
秦さんは40代、藤原さんは30代、濃密な時間が費やされた典雅な遊びの本である。
秦夕美さんのご希望は「巫朱華」に掲載した作品を選んで一冊の本をつくって欲しいということであった。
作品は全部で12篇。
コピー原稿はその時に発表したレイアウトのままであり、それを再び再現して欲しいということ。
これはかなり大変な作業となり、わたしとスタッフの緑さんはいろいろと美しい案配になるようにと時間を費やした。
そうして出来上がった『夕月譜』である。
目次を見ていただければ分かるように「雪月花」がテーマとして貫いている。
古典から現代までの気持ちにかなう作品へオマージュをささげながら、それを題材にして俳句によって新しい作品世界を構築していこうというもの。さまざま切り口をみせながら美意識が貫いている。
すべての頁を紹介したいところであるが、ここには数頁にとどめる。
「雪卍」と題した作品群。「にごりゑ遺文」とあるように樋口一葉の「にごりゑ」からの着想である。
紙面を見ていただきたい。ゴチック体の雪が卍をつくっている。
「乱蝶」とタイトル。「好色五人女」と副題。「好色五人女」に題材をとっている。
十七句の俳句が縦書きにあるのだが、真ん中の七句のみ段を下げている。
最初の五句は雪という字がゴチックで×に交差し、真ん中は月が×に交差し、最後の五句は花が×に交差している。
そして真ん中を右から左はゴチック文字が横につらぬいている。
しらげしにはねもぐてふのかたみかな
これは「野ざらし紀行」にある、芭蕉が杜国へ別れの際におくった一句である。
白げしにはねもぐ蝶の形見哉
なんとも凝った「乱蝶」の頁である。
このかたち、よく見れば「蝶」が羽をひろげた様にみえてくる。
もう一篇のみ紹介したい。
「定家曼荼羅」と題した2頁におよぶもの。
定家の世界をモチーフにした俳句がつづく。
その俳句の天と地にそれぞれ、俳句のはじまりと終わりの音がひらがなで表記されている。
天のほうのひらがなを右から読んでいくと、
はるのよのゆめのうきはしとだえしてみねにわかるるよこぐものそら
地のほうは、左から読んでいく。
みわたせばはなももみぢもなかりけりうらのとまやのあきのゆふぐれ
と定家の和歌二首がおかれている。
なんとも甘美にして雅びな言葉遊びだろうか。
ここに費やされた豊饒な時間を思う。
いい時代だったのかもしれない、とも。
さて、この本の造本は、「三ツ目閉じ製本」というもの。
冊子「巫朱華」はホッチキス止めだった。
わたしはこの本の製作を引き受けたときから、ホッチキス止めにはしたくないと思った。
秦さんはすべて任せるとおっしゃった。
で、製本屋さんを呼んで、かつて見た「三ツ目閉じ製本」の見本をわたし、「こんなふうな本がつくりたい」と頼んだのだった。
「三ツ目綴じ製本?やってるとこあるかなあ」ということで探してもらい、どうにかそこまでこぎつけたのだった。
装幀は君嶋真理子さん。
こういう優美な世界は君嶋さんは得意である。
紫と肌色を用意したところ、秦夕美さんと藤原さんはすこし迷われて、「肌色」を選ばれた。
夕暮れを思わせる色だ。
タイトルはツヤ有り金箔。
本文がはじまる前とうしろに薄紙を挟んだ。
ここで問題がおこったのだ。
薄い紙はできない、というのだ。
わたしは見本を探し出し、できないはずはないからやって欲しいと頼んだ。
すると手間暇がものすごくかかるという、コストもかかるとも。
しかし、厚い紙なんかもってきたぶちこわしである。
時間がかかってもいいから、やって欲しいとねじ込んだ。
秦さんと藤原さんは待ってくださるということ。
和紙である。
このやわらかな手ざわりがいい。
三ツ目綴じ製本。
白い糸をつかって手作業で綴じていく。
間紙が薄いとさらに大変になるらしい。
出来上がったときは感慨無量だった。
もっちろん、おふたりとも大変気に入ってくださった。
「あの時だから出来たのね。いまでは絶対出来ないわ、若かったのよ」と秦夕美さん。
「昭和という時代の影響もありますね」と藤原月彦さん。
長岡裕一郎さんの装画、宮入聖さんの本作り、昭和がおわるころの若い俳人たちの詩歌への熱狂のようなものがこういう作品を生み出したのかもしれない。
(ふらんす堂「編集日記」2019/12/4より抜粋/Yamaoka Kimiko)